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(No210) 日本の話芸 TV 鑑賞記 平成22年12月31日(金)、早朝5時再放送の鑑賞メモ。
かみさんは「あんた、二十日も商売休んじゃバチがあたる。明日から商売で出るから今日は呑み締めだって言って二升五ん合も呑んだよ」と出るように促す。
さん喬は「増上寺の鐘」と表現していた。Wikiによれば桂三木助などは増上寺と演じ、多くは「切り通し」、芝の青竜寺の鐘などといった演出をしているようだ。 拾ってきた金を、勝公は「へへへへ」と笑いながら勘定する。 で、寝た後、かみさんは「夕河岸、行っておくれ」と起こす。 マクラで、江戸前は東京湾での魚を意味するが、地方で「江戸前」と書かれたりしている。今では江戸前というのは「東京風」というくらいの意味になっていると語る。
「金が欲しい、金が欲しいってばかり思ってたから、こんな夢見ちまったんだなぁ。おっかあ、どうしよぉ?」と問いかける勝公に「一月もありゃ返せるじゃない」と、かみさんの返しは、談春に比べると軽い。「死のう」なんていう談春の勝公ほど深刻でないのは、休んでるのが100日でなく10日そこらからなんだろうか。 「働かねえで酒呑めねぇかな、なんて考えてるから、あんな情けねえ夢みちまった」と、あくまで反省する勝公。 飯台、包丁、わらじと「夢ん中でも・・・・」と首を傾げる勝公。 談春では女房に名前がついていなかったが、さん喬は「おふみ」と呼び、子どもができる。 大晦日、使っている若い者に「早く風呂に行け」と言うが一人ぐずぐずしている。何してんだ?と訊くと、赤ん坊が泣いていて掛けを取りはぐれたと言う。勝っつあんは豪快に笑って、来春でも来夏でも・・・・再来年の春でも。そんなこと気にせず早く湯に行けと出してやる。 勝公は、大晦日の掛取りの思い出を語る。 「晦日の掛取りを、俺ぁ押入れ入って隠れて、おめえがうまいこと言って追い返すのを聴いてた。みんな帰ったと思って出てきたら、薪屋のじいさんが忘れ物したって帰ってきた。俺ぁ隠れる暇がなかったんで、お前が投げた風呂敷かぶってたら、じいさん、粋じゃねえか。 おっ、福茶か?まあ、いいや」 なぜ言わない、なぜ今日言うというナゾについては、 「明日は言おう、明後日は言おう。明々後日は・・・・と思ってるうちに。 でも今年の夏、あんたが、おう、おふみ、俺ぁ魚屋やってて良かった。ご隠居が『昨日のコチは美味かった。寿命が二年も三年も伸びた心持ちがした』と言ってくれたって、あんた涙流して喜んでたじゃないか。 あたし、もう大丈夫だ。今年の大晦日には何もかも言おうと決めてたんだ。 あたし、大晦日って大嫌いだった。だって、うちのおとっつぁんもおっかさんも何も悪いことしてないのに、大晦日になったら来る人、来る人みんなにごめんなさい、ごめんなさいって謝ってばかりいた。 今年みたいに楽しみな大晦日は初めてだったんだよ。・・・・・ああた、ごめんなさい・・・・」 「・・・・・お手をお上げなすって。辛かったろうなぁ」と勝公はかみさんをいたわる。
TVの再放送がたまたま「芝浜」だった。 談春とさん喬のそれはずいぶん違っていた。この際なんで、いつ録音したものか記録も残ってないが、ず〜〜〜っと昔に録音した談志の「芝浜」のMDを聴き返すことにしてみたい。 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。 |