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(No195) ヴィアーレ寄席 鑑賞記 その1
          

 平成22年9月26日(日)、ヴィアーレ大阪で開催された落語会の鑑賞メモ。

 



桂 二乗 「子ほめ」

 京都の二条の四畳半に住む二乗がヴィアーレに参上・・・・といういつものギャグ。会場の人が愛想で拍手してるのに「何の拍手か分かりませんが」というのは、私はあまり好きでない。

 
 先日TVで、東大だか京大だかの心理学の先生が言ってはったんですが、人間の本心ゆうのは、案外と知れてしまうそうですね。

 2回繰り返すとそれは逆の意味やそうです。

 確かにそうかもしれません。何ぞ食べても「どうや?」「うん。うまい、うまい」ゆうのは大したことない。
 ほんまにうまい時は、ただ一言「・・・・・・うまい!」

 ですから皆さんも気ぃつけないけませんで。
「あんた、浮気してんのんとちゃうか?」
「何ゆうてんねん。してへん、してへん。ほんま、ほんま」

・・・・ってみな、ばれてしまう。 

 先日、京都の居酒屋で呑んでましたら、横の人が話しかけてきはって、「兄ちゃん、仕事、何してんのん?」てな話になりまして。

「ええ・・・。まあ、ご存知ないでしょうが、落語家やってまして、桂二乗ていいます」
「いや、いや、おっちゃん、落語好き、好き。二乗さん?聞いたことある、ある。ファン、ファン!

 みな、分かってしまいましてね。しゃあないし、こう申しました。
「へえ。そら、ごひいきくださいまして、おおきに、おおきに

 後の本編は、まあまあ、普通の出来。

「根ぇから葉ぁまで言わなあかんのかい」、「出銭(でせん)」といった古風な言い回しに、習ったとおりに忠実に語ってるんだなぁとまずまず好感を抱く。


 


桂 よね吉 「ふぐ鍋」


 二乗が名びら、座布団などの世話をしたのだが、気になるらしく座布団の位置を直す。どうも最近、よね吉というとおじぎするまで神経質だなぁと感じることが多い。

 先ほども放送でゆうてましたが、携帯電話の電源を切っていただきたい。とゆうのは、マナーモード、あれ、あなどれないんです。ブ〜、ブ〜、ブ〜ってね。

 一番、言いたいことを申しあげましたので、これで一席終らせていただきます。
(と、頭を下げる。つられるように数人、手を叩く)

 何で手ぇ叩くねん。

 えらいもんで、あんだけ暑かったんですが、秋の気配がしてまいりました。

 芸術の秋、スポーツの秋・・・・・・・・・・・・・八代”あき”。

 食欲の秋ゆうとお鍋がうまいですなぁ。私は、その中でもふぐが一番うまいと思うんですが、高いですなぁ。すぐ1万円、2万円とかする。

 そこいくと、どこの店とは言いませんが、大きなハリボテの下がってる店。ふふふ屋。
(店名をはっきり言わない)

 そのずぼら屋(と、いきなりズバリと言う)では1980円ぐらいなんですな。不思議でしょ?

 私の師匠は吉朝ゆうんですが、船場吉兆ちゃいまっせ。師匠の吉朝に「1万も2万もするふぐが、何でふふふ屋では1980円なんでっか?」と訊いたことがあるんですが、師匠は「百聞は一見に如かずや。いっぺん、実際にふふふ屋に行ってこい」言われましてね。

 ・・・・・・・・・あのぉ、ふふふ屋の関係者の方、いらっしゃいませんよね?

 鍋が出て、ふぐの乗った皿が出て、ほんで骨壷ゆうんですか?いや、ガラ入れ、ガラ入れ。

 よね吉、箸でふぐの身をつまみ上げ、しげしげと眺めては、そのままガラ入れへ。

 以前、吉朝でふぐ鍋を聴いたが、その時は、鍋に入れようとしたが、あまりに身が少なくてやむなくガラ入れに入れざるを得なかったという感じ。
 一方、よね吉はしげしげとは見つめるものの、鍋の上を経由せずいきなりガラ入れに入れるので見ていて「何か、もったいないなぁ」という感じがした。

 ただ、これも以前に吉朝師では気にならなかった(=自然に思えた)のが、そう感じたというだけなので、吉朝師が鍋の上を通していたかどうかは確信なし。

 ふぐとゆうと毒ですが、何でこんだけ科学も進んで知識もあんのに毒に当たるんやろ?て気ぃしませんか?テトロドトキシンゆう猛毒はメスの肝とか卵巣にあるんですな。オスの精巣は白子ゆうて毒はない。

 ところが、たまにね、これ
(手を口の横に当て、オカマの格好)がいるらしい。水槽見たら、内股で泳いどる。

 ふぐ鍋や・・・・・あ、間違えました。ふぐは食いたし、命は惜しし、てなことゆいますが。

 後で出てくる「ふぐ鍋や 鯛もあるのに無分別」という歌を先に言ってしまったのだろう。

 後は、吉朝の「ふぐ鍋」を忠実になぞっている。

 手を顔の前に立て「人の道に・・・・・外れる」と横にずらすとこや、「鍋の真ん中、線、引かしてもらいまっせ」というところなどが少し違っただろうか?

 この噺は、サゲのどんでん返しが見事なので、初めて聴く人はサゲの後で「ほぉ〜〜」という感嘆の声を出すことが多いが、今日もそうであった。

 

 


桂 雀松 「星野屋」


 「お付き合いください・・・と言っても、結婚を前提としたお付き合いではございません」とか「待ってました!という声は嬉しいが帰りに言われると・・・・」といったマクラはいつもの通り。
 今年の夏は暑かったですなぁ。でも、今はクーラーをつけたら涼しい風が出てまいります。

 私が子供の頃はクーラーなんかなかった。・・・・・いや、よそではあったんかもしれませんが、うちの家にはなかった。今は、もうクーラーのない夏て考えられません。

 クーラーどころか、昔は電気、ガス、水道てなライフラインもなかったですからな。そんなん、今やったら電気、ガス、水道のない生活なんて考えられませんが。

 落語かて300年ほど前にはなかったんですからな。それがどうです?今や落語のない生活てなもんは・・・・・・どうってことおまへんなぁ。何の支障もない。
 ですから、我々噺家は、皆さんの庇護の下に生きている、
(両手を身体の前でクロスさせ自分を抱くように)小鳥のように弱い商売です。

 何せ、皆さんに来ていただかんと、売って歩く訳にいきませんのでね。
 いくら落語の好きな方でも、頼みもせんのに、はっ!と気ぃついたら枕元に米朝師匠が座ってたら何か息苦しいもの感じるでしょ?せっかくの日曜日が台無しゆうか。

 
 前に聴いた時も雀松だった。

 これも先ほどの「ふぐ鍋」と同様、最後でどんでん返しのある、よぉでけた噺である。

 雀松の最近の円熟具合は大したもんだと感心する。



 

 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが録音はしてません。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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