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(No191) 城北にぎわい亭  鑑賞記 その1
          

 平成22年9月9日(木)の午後7時から旭区の城北市民学習センターで開催された落語会、第21回城北にぎわい亭の鑑賞メモ。

 



桂 雀五郎 「阿弥陀池」

 雀五郎は、目つきが悪いというか、愛想がない。で、出てきた瞬間のぱっと見ぃは暗い印象を与える。ダイアンの西澤みたい。
 口開けらしく、自分で名ビラをめくり、ほとんどマクラなしに「阿弥陀池」に入る。
 
 「阿弥陀池」は、笑いも多いのでよく口演される。

 前に南光師で聴いたのを詳しくメモしてるので、特徴的な演出だけをあげてみたい。

(1) 主人公のあほ(仮に喜ぃ公としておく)が、けっこう漢語を使う。
 新聞を読まんから世間のことを知らんと言われ、「新聞みたいなもん読まいでも、そら日本全国ゆうわけにはいかんが、大阪のことやったら何でも『即答』しまっせ」と言う。
 で、「阿弥陀池」で騙され、「大阪のことやったら分かるゆうたんは『撤回』します。しやけど、こと町内のことやったら・・・」と言う。
 軽い違和感あり。

(2) 物知り(甚兵衛さんとしておく)には「阿弥陀が行け」、「糠に首」のほか、「でこに小判」、「馬の耳に餞別」というネタがあるようだ。(喜ぃ公は聴かずに帰ってしまうが、ぜひ中身も聴いてみたい)

(3) 一人目の男に仕掛ける時にやたら言い間違えるのだが、その時のギャグが「乗り突っ込み」なども交え、実に豊富。

(4) その具体例としては「手が切れて腕ぼろぼろ」「それ、ひょっとして腕が利いて腕に覚えがある、か?」「・・・・お前、この話、知ってんのとちゃうか?」

 ただし、これは上掲南光師の噺でもそうだった。

(5) 「体かわした」の「体」が出てこず、「アレかわした」というと、聞いてる男が「くちづけか?」と言い、喜ぃ公は抱き合ってキスする格好をいったんして「あほ!」とのりつっこみ。

(6) 「体」で、南光師は、「針の先!」「鯛か?」「そう!タイをかわした」「・・・どつくで」と聞いてる側を怒らせたが、雀五郎は「針の先!」「えさか?」「どつくで」と喜ぃ公を怒らせている。

(7) 「四つばい」を「夜這い」と言い間違え、聞いている男が、手を口の横に持ってきて「おやっさん、これか?」と尋ねる。

(8) 「ぬかりがない」を「ヌメリがない」と言い間違え、喜ぃ公自身で「手ぇすべすべ」とかぶせる。

(9) 「匕首(あいくち)」を「がま口」と言い間違え、これも自ら「何ぼでっか?」とかぶせる。

(10) 「心臓」を「しんイヌ・・・・・しんネコ、にゃぁ〜〜」と鳴き声をあげる。

(11) 「しんゾウ」が出てこず、「ほれ、おるやろ?キバがあって、ぱお〜〜んゆうやつ。ほれ、身体、ねずみ色で。ぱお〜ん!インドやアフリカに棲んでる。ほれ、あの!ぱお〜〜ん!」と鳴き声を多用しながら悩む。聞いている男、「そこまで知ってんのに、何で出てこうへんねん?」
 この、周辺のやたら詳しい情報は知ってるのに肝心の単語が出てこないというギャグは桂文華師のパターンかな?

 で、さらに、この聞いている男は「マンモスやろ?」とボケる。

(12) 二人目の男の家では東西南北どこの辻にも米屋がない。南光師は、「この町内、米、食わんの?」としていたが雀五郎は「この町内、パン食か?」としていた。

(13) 「殺された」たっちゃんが嫁さんの弟というのは同じだが、南光師は「わいは材木屋がええゆうたのに、嫁はんが米屋やったら食いっぱぐれがないゆうて・・・・」としていたが、雀五郎では、二人目の男自身が米屋を薦めたことになっていた。

 「たつぅ〜〜!!」と絶叫し、身をよじり「わいのせいやぁ〜!!」と号泣して自分を責める。そして、天を仰ぎ、「頼むぅ〜〜!!う、嘘やて、ゆうてくれぇ〜〜!!!」と再び絶叫する。
 喜ぃ公、身の置場がなく、膝立ちになって、水泳をするような(例えが古くて申し訳ないが、植木等が「スーダラ節」で「♪すいすい す〜だらだった すらすらすいすいすぃ〜♪」と泳ぎ回るような感じ)手つきをして「うっそでぇ〜〜す!」

 

 なかなかよく工夫している感じで、客席もよく沸いていたと思う。特に、二人目の男にこの話が嘘と白状するきっかけが「頼む!嘘やゆうてくれ!」というのは流れ的にも自然で、単に「こら、シャレにならんな」と思って白状するパターンより面白かった。そのためにはやはり、男自身が米屋の奉公を薦めたというのが自然だ。
 そこまで考えて構成してるのだろうから、偉そうな言い方だがこの調子で精進を続けていただきたい。

 


 


桂 雀太 「遊山船」


 暦の上では8月7日が立秋でして。つまり、もう秋になってひと月たってまんねん。・・・・どこがや!

 今年の夏は暑いゆうより暑苦しいですな。何でも大阪のおばちゃんが一人「あっつぅ〜〜!!」ゆうたんびに0.1度温度が上がるそうです。

 ある暑い昼下がり、見知らぬ男が町内に来て「雨、降らしまひょ〜」。

 興味をもった男が注文すると、何やら呪文を。と、一天にわかにかきくもり、ざざ〜っと雨が降ってきた。

「あんた、普通の人やないな?」という問いに、実は自分は龍で時々小遣いかせぎにこんなことをしてますとのこと。

「ああた、こうやって暑い日ぃに雨降らして、涼ししてくれたけど、寒い日ぃにぽかぽかと温(ぬく)めてくれることはでけるんか?」という問いに、
「それは子どもの子龍(こたつ。炬燵)にやらせてます」・・・・という小噺を一つはさんで、さらにまくらを続ける。 

 私、今は西区に住んでますが、こないだまで大阪の高級住宅地といわれる・・・・・・京橋に住んでました。

 四畳半ひと間でね、トイレは共同。風呂なし、日当たりゼロで家賃2万円でした。

 忘れもせん「しらたま温泉」ゆう銭湯に毎日行ってましてね。ここは、水風呂やのぉて「氷」風呂で有名ですねん。水風呂んとこパイプがあって、何十分かにいっぺん上から氷がぼとぼとぼとぉ〜〜と落ちてくる。
 家にもちろんクーラーなんかありませんからね、その氷、集めてぐぐ〜っと身体に押し付けますねん。それで身体、思いっきり冷やして。

 ほんで脱衣場でクーラー一番きついやつ。もう16度くらいに下げて、身体、とにかくキンキンに冷やして。せやけど、家まで自転車で帰ったら汗ボトボト。何しに行ったんや分からへん。

 花火の形態模写などを交え本編へ。

 この噺もいぜんざこば師匠で聴いたのをけっこう詳しくメモしたので、気のついた点だけを挙げていきたい。

(1) 上流で洪水があって家が流れてきたと言う喜六に清八が「あれは大屋形(船)や」と言う。と、喜六が「ああ、清やんがよぉ金借る?」「そら、親方や。いらんとこで恥辱与えな」という台詞が面白かった。

(2) 芸妓を説明するのに清八がシャレ言葉を使うのでなかなか伝わらない。「出てる妓(こ)やがな」「船ん中入ってるで」「褄(つま)取る妓!」の後、「猫をかじって食うてる妓」と言ったような気がしたが自信はない。三味線で稼ぐという意味なのだろうか?

(3) いわば「半肯定」ともいうべきギャグが珍しくて良かった。

 清八が芸妓のことを芸衆と言ったが、それで喜六が得心したので不審に思った清八が分かってるのか確認したところ「芸州。広島の人なんやろ?」という喜六の答えに「うん。・・・そら広島の人かて居てるかもしれんけど」と半ば肯定。

 これは後の仲居さんのところでも繰り返され、「中井さん?ほな、隣は田中さん?」という喜六に「うん。そら、田中さんかも知れんけどな」

(4) 最後に「衆」とつけるとしゅっ!と聞こえるという例示で、「ほな、松っちゃんは松衆か?」「・・・まま、そうやな」「竹やんなら竹衆?」「そやな」「ほな、梅やんは梅しゅ(梅酒。梅衆)?」

(5) 同乗している板場をざこば師は「風呂場で盗っ人する?」「そら板場稼ぎや」とぼけていたが、今回は「包丁持ってる。強盗か?」「何で強盗と一緒に船乗んねん」というくすぐり。

(6) 「遊山船」の有名なギャグとして「仮定の問答」と呼ぶべきようなものがある。

 喜六が舞妓の振袖を見て「あこに南京豆入ったら取りにくいやろな」と言うのだ。清八が「何であんなとこに南京豆が入んねん」と頭から否定する。
 と、喜六は「うん。入らへん。入らへんねんけど、もしか入ったら取りにくいなぁ」と返すが「取りにくいも何も、何であんなとこに南京豆なんか入れなあかんねん」とあくまで否定。
 なおも喜六は「入れなあかんことない。入れなあかんことはないねんけど、ひょっと入ったら取りにくいやろなぁゆうてんねん」てなやり取りを延々と続け、ついに喜六が「もしもや!もしも!」と大声でキレてしまい、清八が「・・・・・わしが悪かったわ。取りにくい」と認める。

 ざこば師では「わいの勝ちや」と喜六が勝ち誇り、それ以後、清八はあきらめたのか、「仲居はなぁ衆やな、などとという喜六に「そうです」、「その通りです」と気弱に従う。
 雀太は、それほど勝ち誇らず、「せやろ?」と肯定する程度で、しかも「しやけど、やっぱ、あないなとこに南京豆は入らんな」と冷静に我に返るのが面白かった。

 それと印象的だったのが、清八から勘定は100円はするやろうと言われた喜六が「わいやったら、100円持ってても、こないな金の使い方せえへんで」と言い、清八が「使うも使わんも、お前が100円てな銭、生涯持つわけないがな」と返す。
 何度か繰り返し、え?さっきの会話、もっぺんやんの?と思いかけた時に「やめとくわ。頭クラクラしてきた」とひいたのが、なかなか呼吸が良かった。

(7) 喜六が「わいはとうとう分かってしもた!」と大声で宣言する。こんな船遊びに100円も散財する奴はどんな商売してるんやろぉ?という先ほどの疑問の答が分かったというのだ。

 芸妓の胸元に手を入れてるので、あの「きゃあ」(客)はスリだというのである。

 「わざと、さしてんねん」と清八に言われ、喜六は自分でやってみて「・・・・・フニャフニャ、パフパフ?わいにも入れさせて〜〜!!」と絶叫。
 この「パフパフ」という擬音は、後でも「いつまでもパフパフばっか、しとられん」と使っていた。

(8) 卵の巻焼きを「きゃあ」は、本体を食べず生姜ばかりつまむ。「あいつ変わってるねぇ」と喜六は気が気でない。
 やっと卵に箸をつけたかと思ったら川に投げ入れた。
 ざこば師では「川の鯉にでもやんねんやろ」という清八に喜六が「鯉になりたい」と言うくらいだったが、雀太は「どうせほるんやったら、下ぃほらんと上にほったらええのに」「どないすんねん」「こないして、(鳥のように羽ばたく真似)ぱくっ!」

(8) 夏は毎日ウナギやという喜六に「お前とこは子どもがおらんさかい、そない贅沢がでけんねん。うちみたいに子ども売るほどおったら、そうはいかん」といったん清八は感心するが、すぐにそれは半助(ウナギの頭)で、本来は「ほかす」(捨てる)とこやと指摘する。

 喜六は「ええ?わい、今までほかすとこ食うてたん?一生にいっぺんでええから、ウナギの胴に巡り会いたい」と心細いことを言い、清八にまじめに稼いですこし倹約したらウナギくらい食えるがなと言われるや「生きる望み湧いてきた」と、清八には「もっと大きい望み持て」とハッパをかけられるものの、いじらしい。

(9) 稽古屋の姐さんの台詞が洒落ていると感心した清八。喜六に(おんなじ女でもお前の嫁はんとはえらい違いや。あ、そう言や)「お前とこの嫁はん、確か女やろ?」。喜六が「一瞬考えたがな」というのが面白かった。
 

 
 ちょっと(具体的な姿勢ではなく噺の調子が)全体的に前のめりというか、やや粗く力が入りすぎのところもあったが、独創的な演出もあり、なかなか良かったと思う。

 

 


 

 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが録音はしてません。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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