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(No187) 上方演芸ホール&扇町寄席  TV鑑賞記 
          

 たまってる分を簡単に。



桂 文三 「芋俵」


 平成22年5月24日(月)の放映(上方演芸ホール)。

 マクラで、落語に出てくるのは石川五右衛門やのうて「無し」右衛門てなええ加減な奴ばかり。
「おい、なし(梨)右衛門、お前、本名は何ちゅうねん?」
「長十郎です」
「そうか。いつから、泥棒、してんねん?」
「二十世紀から」
というのが面白かった。


 

 泥棒の工夫で、外から鍵を破るのは難しい。芋俵に人を忍ばせ、忘れ物をしたのでちょっと見とってくれと商家に頼もう。取りに行かなんだら、まさか店先に放り出しはせずに、店の中で預かってくれるやろう。
 そしたら、俵の中の人間が、こっそり夜中に内側から開けて、仲間を招き入れたらええ・・・となかなかプラン自体はいい。

 しかし、悲しいかな、人材不足で、通りかかったアホに、俵の中というキーパーソンを委ねざるを得なかった。


 商家は商家で、腹を減らした丁稚と下女が、その日、芋俵を預かったことを知っており、こっそり芋をくすねようと俵の中に手を伸ばす。

 ぐっと押されて、アホが思わずブ〜〜!
「気の早いお芋や」というのがサゲ。


 まあ、珍しい噺を聴けたということでよいか、と思う。

 

 


桂 勢朝 「餅屋問答」


 これも上記の「上方演芸ホール」。
 初めて聴く噺家さんと思う。 

 「待ってました!」という声もなく、地味に登場・・・・と皮肉を言う。

 顔は太田光に似てる。

 どうぞ楽屋にお訪ねください。ただ一つだけルールがあるんですと言って「ご祝儀」ネタに。

「大きな花束より小さな札束」
「拍手よりキャッシュ」
「ご声援より五千円」
「上本町より谷町
(タニマチ=旦那衆)
「参議院より衆議院
「祝儀」院)
「お菓子よりおあし」
「お稲荷よりおひねり」
(犬の躾なら)お手より伏せ(布施)」 

 勢朝の祝儀ネタはしつこいと不評なんですと自分で言っていたが、確かにそうかも。

 噺自体は、江戸落語で定番の「こんにゃく問答」。
 ばくち打ちが「融通坊主」で禅寺の坊主となっていたが、そこに永平寺の修行僧がマジで問答へ。困って、頼りの餅屋のおやっさんに相談に行く。

 「耳が聞こえんふりして、知らん顔しとこ」とごまかす算段をしていた。
 修行僧、いろいろ問うも返事が返ってこないので、荒行の一つ、無言の行をしておらえると拝察するので、身振りで問うと、胸のところで小さな丸を手で描く。

 あと、やり取りは定番なんで、私のサイトのここなどを参照いただきたい。

 


桂 楽珍 「半分垢」


 5月23日(日)の放映(扇町寄席)。

 徳之島出身で訛りがきつく、文珍に「入門させてくれ」と言っても理解してもらえない。しかし、文珍はとがめず、優しい笑顔で「日本に来られて何年になるんですか?」と尋ねたという。

 以前、文珍、鶴瓶と3人の落語会を徳之島でしたそうだ。地元出身ということでポスターでは先輩をさしおき、楽珍の顔を大きくしている。
 ホテルに着いた時、本土から女子高校生が来ており、文珍や鶴瓶を遠巻きにしてささやき合っている。「ああ、先輩らは人気あるからな」と他人事のように思っていたら、彼女らは楽珍を見るなり群がってきて「サインして!」、「身体、触っていいですか?」と大騒ぎだったそうだ。
 なぜかといえば、彼女らは駅伝か何かの全国大会で合宿していたらしい。監督は、島じゅうに貼られていた楽珍の大写しのポスターのいくつかに「5km」、「10km」とか書き込み、毎日の練習メニューで「A班は、5kmの楽珍から20kmの楽珍まで。B班は逆に40kmの楽珍から15kmの楽珍まで戻ってこい」とか指示してい「たそうだ。

 彼女らは、苦しい練習の中で、何もないサトウキビ畑の中に突っ立っている電柱に貼られた楽珍のポスターを目印にしていたわけで、「何とか30kmの楽珍の顔見るまで頑張ろう」などと思っていたのだから大人気だったのも頷ける。

 
 上記の徳之島ネタは、番組冒頭の南光、八光との対談でのもの。本編のマクラは、本編に合わせ相撲ネタ。

 息子さんが(もうやめたそうだが)相撲取りだったそうだ。
 息子のような下っ端が取っている時は、呼び出しも行司も、また新米。

 行司も、緊張のあまり、力士の名前が頭から飛んでしまう。

「ひがぁあしぃ〜〜〜 ・・・・・・・・・・」
 頭の中が真っ白になってしもたんですが、何か言わんといかん。苦し紛れに、
「・・・ほっちゃちゃあ〜〜!!」

 ビックリしたんは、当の相撲取り。「ええぇ〜??俺、いつ田中から”ほっちゃちゃあ”になってん?」

「にぃいしぃ〜〜〜 ・・・・・・・・・・・」
 緊張してるんで西の方の名前も飛んでしもた。しやけど、今度は”ほっちゃちゃあ”は使えまへんわな。同じやとばれてしまう。ほんで、しゃあなしに、
「・・・へいほっほぉお〜〜!!」

 これ、ほんまの話ですよ。私、”ほっちゃちゃあ”と”へいほっほぉお”の取組を見ました。

 出世した力士が久しぶりに地元に帰ってきた。
 「関取、身体大きなりましたか?」と訊く町内の者に、おかみさんが、「顔は畳一畳分」、「つい牛、踏み殺した」、「ハマチ、10本ぺろりとたいらげた」などと言う。

 関取は、ある宿屋で富士山の見事さを誉めたら、そこの女中が「毎日見てると、そんなに大きいとは思いません。(頂が雲の上と言っても)半分は雪でございます」と謙遜したが、これを見習えと諭す。

 おかみさんの自慢話を伝え聞いた別の者が来るが、今度は、いえ、小そなって帰ってきました。顔は、せいぜい煎餅一枚分、踏み殺したんは虫で、10匹食べたんはチリメンジャコ。

 何や聞いたんとえらい話が違うなぁと首をひねる男に、最後は「大きぃ見えても、半分は垢でございます」がサゲ。

 サゲの前から自分で吹き出してるのは、私は好きではない。

 


桂 都んぼ 「堪忍袋」


 6月6日(日)の放映(扇町寄席)。

 喧嘩の絶えない夫婦に、仲裁に入った隠居が、うっぷん、不満をその中に吹き込んだら、後は笑える「堪忍袋」というもんがあるらしい、いっぺんこしらえてみんかと薦める。

 
 グチの中で、「ちょっと収録まで時間あるゆうて、天神橋筋商店街の大阪ホールゆうパチンコ屋で、ギャラの倍ほど負けやがって!何ぼ汗かいてしゃべったかて、きょうはタダ働きじゃ!」は笑った。

 状況は分かるので、素に戻って客に「本日の落語はところどころドキュメンタリーでお送りしています」と念を押すのは蛇足だと思う。

 都んぼは、よく「元気」という単語で表現されるが、元気と粗野は違うと思う。おかみさんのしゃべり方が、旦那と区別がつかない。そりゃ、お上品な奥様でないのは重々承知しているが、あまり口汚すぎると聴いていてあまり快くない。

 そうした口汚いやり取りの中ではあるが、奥さんは「家の仕事で忙しいのに、部屋、指でこすって『汚いなぁ』なんて、こんなイヤミ言いよる」、「いっしょけんめいご飯の支度してまんねん。今、生の大根切ってるねんから、まだて分かりきってんのに、『めし、まだみたいやなぁ』なんて、こない皮肉なこと言いまんねんで!」と仲裁役に訴える。

 旦那は旦那で、「どこがイヤミでんねん?わいは根が正直やさかい、何の気なしに指でこすったらほこりが付いたから、見たまま、思たまま、『汚いなぁ』てゆうただけや。これが、指が汚れてんのに『きれいやなぁ』なんてゆうたら、こらイヤミでっせ。
 大根かて、そうや。生の大根かじって、『ああ、よぉ煮えてる』ゆうたら、そら皮肉やけど、ほんまのことゆうて、何が皮肉やねん」
というやり取りは、ああ、こうゆう「行き違い」はあるよなぁと身につまされた。

 

 おかみさんがチクチク縫った袋に「わたいには無駄遣いすな!ばっかりゆうくせに、自分は、たっかい育毛剤買いやがって!」と吹き込むと、ありゃ?何かすっきりして、旦那にほほ笑みかけてしまう。

 旦那、「ええ?何、笑てんねん?え?堪忍袋、でけたんかい?貸さんかい!」

 この堪忍袋が近所でも評判になったが、この夫婦も気持ちよく誰にでも貸したるもんやさかい、袋がぱんぱんになってしもた。
 
そこに、近所の商家の上品な若奥さんがやってきた。お店の商売は繁昌、お夫婦仲もええし、お姑さんにも孝行を尽くすと評判で何もご不満はございませんでしょう?と言ったが、ほんのささいなことでございますが、お貸し願いたいとのこと。

 
 
すると、奥さん、袋に向って「くそババ!死ね!!」

 そこへ、奥さんの店の者が、お姑さんの具合が悪いので、堪忍袋を貸してくれと駆け込んできた。
「い、いや。さっきまでやったら、ちょっとだけ空きがあったんやが・・・・・・。いま、どえらいのが入ってしもたからなぁ。もう入らん思うで」

 何をゆうてんねん、と無理やりお姑さんの枕元に持っていったが、ぷつ!と堪忍袋の緒が切れてしもたさかい、中身があふれた。特に、入ったばかりの若奥さんの「くそババ!死ね!」があふれ出て・・・・・・・お姑さん、元気になった、というのがサゲ。

 サゲはもひとつかな?と思うが、なかなか珍しい噺で良かった。 

 

 


 

 

 どうも、お退屈さまでした。録画はしてますが見直してません。殴り書きメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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