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(No153) 第73回 平成紅梅亭  & 日本の話芸 TV鑑賞記 その1       

 古いメモを片付けたくて。2008年9月30日に放映された平成紅梅亭、9月23日放映の日本の話芸の鑑賞メモ。



三遊亭白鳥  「ナースコール」

 「白鳥の湖」の出囃子で、ジャージのような着物で登場。
 不安げな拍手を、ありがとうございます。

(たもとが羽根のようになっている) あひるではございません。

 白鳥、SWANでございます。

 元の名前は三遊亭新潟と申しまして、上越高田の出身でございます。

 日本でも有数の豪雪地帯でして、実家は自転車屋なんですが、誰も買いやしない。

 

 学校で社会の時間、「厳しい自然と闘う人々」という授業の時、「おい、これ藤田の親父じゃないか?」って言う奴がいまして。

 見ると、教科書でエスキモーの氷の家の横に、雪下ろしをする高田の人々ってのが載ってました。

 うちの親なんか芸人と言うと、みんな横山やすしだと思い込んでまして、私が落語家になると言うと、「ひであきがヤクザになった」と嘆きまして、人から「最近、息子さん見ないけど?」なんて聞かれても「あの子は、アフリカに行って行方不明になってしまいました」なんて言ってました。

 だけど、私が真打になりまして白鳥を名乗ることになった時、新聞に「新潟から白鳥飛び立つ」なんて見出しで記事になりましてね。
 すると、ちゃっかり「白鳥の母」なんて自分も新聞に載ってました。「大きく育てました」なんてコメントも寄せましてね。

 最近じゃ「韓国はいいねぇ。キムチ(気持ち)がいい」なんて、ギャグの反応を私に確かめたりするんです。でも夜中の3時に電話してきて「これ、どうかな?『やっぱタバコやめた方がいいかな?』『そりゃスワン方がいい』」なんてアドバイス求めるのはやめてもらいたい。

 


 はっきり言って本編はおもしろくなかった。
 変な看護婦みどりちゃんの話。

 自慢の「ナイチンゲール賞」のメダルが「何よ、これ!メンソレータムの蓋じゃない!」「道理で目がツン!とすると思った」とか、

「『白い巨塔』ってドラマが好きで」「唐沢寿明、いいわよねねぇ」「いえ、田宮二郎」「あんた、いくつなの?」なんてギャグはぽつぽつ笑えるが、全体的には低レベル。



五街道雲助 「幾代餅」

 働き者だった清蔵という搗き米屋の若い衆。親方が心配して聞いてみると、絵双紙で角海老屋の幾代太夫に一目惚れして、腑抜けのようになってしまった。

 飯ものどを通らず、ふらふらの清蔵を親方が励ます。
「なぁに、大名の遊び道具たって、金せぇ持ってりゃあ、どうにかならぁ。おめえ、一年みっちり働きな。

 そうすりゃ、俺が何としてでも、会わせてやらぁ」

「え?本当ですか!
 親方、あっしゃぁ治りました!」
「おう、そうかい。じゃあ、粥でも食うか?」
「いえ、鰻丼を三つばかり」

 それからというもの、清蔵は一年死に者狂いで働きました。

「おい、清蔵。おめえ、よく頑張ったな。夜の目も見ずに働いたから、見ねぇ。給金が13両2分もたまったぜ。

 これで何を買う?」

「はい!おいらんを買います」
「え?おめえ、いつまでも、うちの二階にゃいてらんねぇだろう?
 この分なら、もう少し辛抱すりゃあ、一本立ちできるぜ」

「いえ、親方。あっしゃあ、1年がんばりゃあ幾代太夫に会える、それだけを励みに頑張ってきたんで」

「・・・・・そうか。まあ、しょい投げくらうのがオチだろうが、俺ぁ、おめえのそういういさぎいいとかぁ、でぇ好きだ。

 よし!ただ、ああゆうとかぁ何かと格式、決め式があるらしいが、俺ぁ詳しくねえんだ。
 何でも医者の薮井竹庵先生が詳しいらしいから、呼んでやろぉ」

 

「お邪魔します。竹井です。はい、はい。お話は伺っております。

 で、軍資金はいかほど?ふむ、13両2分。なるほど、まず一晩が精一杯ですな。

 何?それぎり、振られてもいい?うん!気に入った!力になりましょう」

「おい、清蔵。おめえのその扮装(なり)じゃだめだ。
 ほれ、結城の対に、下しぼりの長襦袢。帯は博多の献上。
 雪駄も用意してやった。

 で、おめえの給金13両2分に、ちょいと足して15両ちょうどにしてやった。

 だが、言っとくぞ。しみったれた遊
(あす)び、するんじゃねえ。一晩ですっくり使ってこい!

 お、おい。泣くんじゃねえよ」

(涙ぐみながら、竹井に)よ、よろしくお引き回しをお願いします」

「承知しました。ただ・・・・搗き米屋の若い衆というのも何なんで・・・・そうだ、野田の醤油問屋の若旦那という触れ込みにしましょうか

 それと、返事も『へえへえ』じゃいけません。
 万事、鷹揚にね。手なんぞも、ちょいと襟元に置いたり、たもとに添えたりしてね。
 少し、後ろにそり気味にして、『はい、はい』とね。じゃ、参りましょうか」
「い、一生懸命がんばってまいります!」

 

「あ、着きました。

 やあ、おかみ。久しぶり。今日は野田の醤油問屋の若旦那を連れて来たよ。これから贔屓にしてもらいな。

 時におかみ、実は、この若旦那にお見立てがあるのさ。幾代太夫。

 いや、難しいのは分かってるよ。でも、会うだけでもかまわないっておっしゃってるんで」

 売れっ妓の幾代太夫ですが、その日に限ってうまく上楼(あが)ることができた。
 思いも思い、焦がれも焦がれた幾代太夫ですから、清蔵、頭に血がのぼって、夢見心地でございます。

 合図をして、おひけということになり、どこがどう気に入られたかお床入りということになりまして・・・・・・。

 翌朝、幾代太夫はキセルを差し出し「ぬし、おつけなまし」。
 清蔵は、火皿で火玉が踊るほど吸い込みまして・・・・・・・・。

 幾代太夫が「ぬし、今度は、いつ来てくんなます?」

 これはただの社交辞令ですから、「ああ、すぐに裏を返さぁ」とか何とかいい加減なことを言うもんなんですが、根が真面目な清蔵、

「一年たたないと、来ることができやせん」
「・・・・・・・・・・一年とは、また、ずいぶんお見限りじゃありんせんか?」

 清蔵、そこで幾代太夫に頭を下げた。

「おいらん。あっしゃぁウソついてました。

 あっしゃあ、若旦那なんかじゃない。実は、日本橋博労町の搗き米屋六太夫んとこの若い衆なんです。
 ここに来るにも一年働きに働いて、この服装
(なり)も全体、親方に支度してもらったんで。

 ですから、この次、ここに来るにゃあ、また1年働かねぇと来ることができやせん。
 ただ、おいらん。あっしゃあ、1年真面目に働いて必ずまた来ますんで、その時は、どうか、嫌がらずに会ってもらえねぇでしょうか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・ウソや見栄の渦巻くこの世界に、ぬしのような方がいようとは。

 ところで、ぬしは、おかみさんがおわんなますか?」
「いや、そんなもんは・・」

「あちきは来年3月に年季が明けるざます。

 そん時ぁ、あちきをぬしのおかみさんにしてくんなますか?」

 

 清蔵、ふらふらと店に帰りまして、

「お、親方。あは、あはははははは・・・・」
「おう、清蔵。分かる。分かるぞぉ。
 つれえんだろう。だがな、大枚はたいても、出てこねぇこともあるんだ」
「親方・・・・。来年の3月は、何月くらいに来るんですか?」

 それから清蔵は腑抜けのようで、
「おい!清蔵!てめえ、この野郎、仕事しろい!
 こら、清蔵!・・・・・3月!」
「へえ」
「3月ってゆうと返事しやがる」


 年も明け、3月半ばの14日頃、店の前に真新しい四つ手の駕籠が着きました。
 おりてきたのは幾代太夫でございますが、おいらんの頃とは違いまして、ネズミ小紋の着物に丸まげを結いまして、眉毛をそって歯を染めて、歌麿の絵から抜け出たような姿でして。

「これ、小僧どん。あちきの清はんが、おわんなしたら呼んでくんなまし」
「お、親方ぁ〜〜!来ましたぁ〜!!」
「え?来たって税務署か?」
「いえ、あの、『3月』が!それで、親方、どうしまほ?」

 この後はご存知のハッピーエンド。

 前に「幾代餅」を聴いたのは志ん朝。清蔵や幾代太夫の”まこと”の描写、親方のあったかさ。

 志ん朝と、すべてが裏があるような表情の(栗田貫一似の)雲助とは、何もかもが2枚も3枚も違うのは否定できないだろう。

 とりあえず筋を追うだけにしておいた。

 しかし、ボロクソに書いたが、私、雲助、けっこう好きかも。

 

  

 



  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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