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(No151) 日本の話芸 TV鑑賞記 その2       

 9月20日(日)にまとめて放映された「日本の話芸」の鑑賞メモの続き。



三遊亭圓歌  「中沢家の人々」

 ずっとマクラのような噺だが。
 いまだに俺のことを歌奴ってゆう奴がいるね。

 こないだは「圓歌」を「だんか」(團歌と読んだのか?)と読んだ奴もいた。

 いくら俺はまだ若いと威張っても、役所から年金のお知らせがきたら、もうダメだね。年寄りってこと。

 こないだ役所に「年金がもらえるって、報せが来たんだけど・・・」って老人福祉課ってゆうの?そこへ行ったら「そうですか。師匠、おめでとうございます」なんて言いやがる。

「いや、俺はまだ落語もできるし、俺の分をもっと困ってる人に回してやった方がよっぽど役に立つと思うんだ。だから、俺ぁ返すよ」

 俺は生まれて初めてウソをついたね。


 すると、やっぱり役所だね。「師匠の言い分は分かります。痛いほど分かるけど、師匠一人に返してもらうって訳には・・・」ってゆうからさ、まあ、もらって帰ったけど。


 その後で老人福祉課からアンケートが来たんだけど、腹が立ったね。
「あなたは一人で歩けますか?」

 歩けるから落語やってるんだ。圓歌が戸板で高座まで運ばれてごらん。誰も笑わねぇよ。

 次の質問が、余計腹が立った。
「紙おむつは、要りますか?」

 要るんなら、死んだ志ん朝にもらうってんだ。
(志ん朝は、紙おむつのCMをやってたようだ)

 実は俺(おい)らにも仏壇のCMやらねぇか?って話があったんだよ。でも、小さんが当時お墓の宣伝をやっててさぁ。「あっしもぼちぼち(墓地 墓地)・・・」なんてね。
 これで円楽が線香を売ってりゃ、寄席だかお彼岸だか、分かんねぇだろ?


 俺らが落語始めた頃は人気がなくてさ。
 客は10人くらいで、楽屋にゃ噺家が16人ぐらいいて、喧嘩したらこっちが勝つよ。

 当時は文楽だの小さん、文治なんかがいて、俺や三平は居るとこがなくて、ウロウロしてた。

 大体、俺らは、鉄道員になるつもりだったから。岩倉鉄道学校を出たんだよ。
 ちゃんと岩倉にも試験があるんだ。
 駅名を読むんだけど、「上野」とかね。あれは、「こうずけ」とも読むんだよ。

 一つ分かんないのがあって、及ぶに位って書くんだ。分かんねぇから人のを見てやれって思ったら、
「おい!そこ!人のをのぞくんじゃない!」って怒られて。
 腹ぁ立つから「のぞき」って書いたら、これが合ってやんの。
 湯沢の近くにある駅なんだ。

 俺らは吃音者だけど、口頭試問なんてのもあってさぁ。
 整列して番号言わされたりして。

 一、二、三、四ぃ・・・・・俺らもちゃんとしたとこなら言えるんだよ。
 それがよりによって、七番目だ。
 俺らみたいなもんは、そいつが一番言いにくいんだ。
 一!ニ!三!四!五!六!し、しぃ、しし、しししし・・・・・

 「何だ、貴様は!」ってんで、いやほどぶん殴られる。
 そいつの名前、今でも覚えてるよ。「今泉よしとも」ってんだけどね。

 そいつのせがれが一龍斎貞鳳だからね。この前、親父さんのこと聞いたら「大分前に亡くなりました。最後は桜木町の駅長で・・・」だってさ。
 駅長といったら、高等官だからね。
 「こうとうかん」ってぇと、今じゃ病院の中で死ぬ病気
(喉頭がん)だけど。

 ホームで案内したんだけど、電車が来て「し、しし、し・・・・・・し、しんお〜くぼぉ〜」って言った頃にゃあ、電車は高田の馬場に行ってるんだ。

 これじゃいけないってんで、切符を売る係になったんだけど、変な奴もいてね。

 いきなり「往復1枚!」

「へ?・・・・・・・どこまでですか?」
「おめえ素人だな。往復だから、ここまでだ。

・・・・・・・ま、確かにそうなんだけどね。

「新大久保、1枚!」って奴もいた。
 こっちゃあ、あまり新大久保の切符、売ったことがねえからね。
 探して、なかったから「すいません、売り切れです」って言ったら、そいつもいい加減だよ。

「そうか。また、来らぁ」


 で、俺らが噺家になって、人を笑わせたいんだって言ったら親父が怒ってね。

「てめえなんざ、出ていけ!で、戸籍をそのままにしとくと、おめぇは戻ってくるおそれがあるから、戸籍からも出しとく」って、本当に勘当しやがんの。
 で、俺は中沢の家に出されたの。中沢ってのは、祖母
(ばあ)さんのうちなんだけどね。

 前の名字は小林ってんだけど、小さんは、「おめえ、勘当されて良かったな」なんて言うんだ。
 てぇのは、小さんの本名が小林もりお。俺らが小林のぶおだと、小林もりお・のぶおって漫才みたいだろ?

 こうゆう時は、普通、母親が止めるだろ?うちは違うよ。
(煙草をふかし、憎々しい表情で)「あっしゃあ、おめえなんか、生んだ覚えはないねぇ」


 その親父とお袋がさ、俺らが家を建てたら平気な顔して転がり込んできた。

 うちはね(・・・と、長男が俺のやってる会社に勤めてるとか、誰それは俺の料亭で・・・とか、要は一族郎党すべて俺の稼ぎで食わせてるということを並べ立て)私以外は、全員親の金で大学に行ってます。こんなおかしな話はないと思うんだ。

 俺ら、かみさんに先立たれた。かみさんは死んだけど、かみさんの親は死なないからね。
 もらったカカァはいねえのに、もらわねぇじいさんとばあさんはいるんだ。

 俺もよしゃあいいのに、新しいかみさんもらったんだ。まさか、と思ったんだけど、その新しいかみさんにも親がいてね。

 うちん中に年寄りが6人もいてごらん。うちにいるんだか、寄席にいるんだかわかんないからね。
 朝んなると、6人が丸くなって茶を飲んでるんだ。
 離れて見てると恐山だよ

 やたら茶を飲むからトイレばかり行くんだ。うちゃあ、自慢じゃないけど便所が6つあるからね。並みの家なら、便所が6つもあると寝るとこがなくなっちまう。

 俺ら言いたいこと言うけど、するこたぁするからね。麹町のど真ん中に屋敷建ててるのは俺だけだから。有島武郎の屋敷を買ったんだ。

 じっとしてりゃいいのに、ばあさん達が外へ出るんだ。「いくらも弟子がいるんだから、連れて行ってもらいなよ」って言うんだが、聞きゃあしない。

 案の定、車にひかれそうになってね。運転手が言ったよ。「どこ見て歩いてんだ、このクソばばぁ!まごまごしてると、ひき殺すぞ!」

 俺ら、腹ん中で手ぇ叩いたね。俺の言えないことを言ってくれてる。

 でも、ばあさん負けてないんだ。
「何言ってんだ!ひくってぇのかい!やれるもんならやってみな!偉そうに言うんじゃないよ!昔は、人が車をひいていた
(引いていた)んだ!」って・・・・。
 俺ら、これ聞いて噺家やってんのやんなって
(いやになって)、坊さんになったんだ。法華、日蓮宗のね。16年前のことだよ。

 修行してる時、病気になって救急車で運ばれてね。俺らぐらいだよ。お寺から病院に行ったのは

 見舞いに来る連中の言う台詞は決まってるね。
「どうしたの?」
・・・・・病気んなったから寝てるんだよ!

 うちの弟子なんか、心筋梗塞って言わなちゃいけないのに、間違えて
「うちの師匠は、近親相姦・・・」

 今でも毎朝1時間くらいお勤めするんだ。すると、うちの年寄りが「ナンマイダ、ナンマイダ・・・・」
 いい加減にしろってんだ。何で俺がお題目唱えて、てめえらがナンマイダなんだ。てめえら後ろで拝んでねえで、前ぇ回って入ってろい!って。

・・・・・・・・・今、笑った人はまだ、頭の方は大丈夫だからね。

 年寄りはみんなプロレスが好きなんだ。TV見ちゃあ、「猪木が危ない!」って。てめえらの方が、よっぽど危ないんだよ!

 浅草に連れてってくれってゆうから。まあ、一人連れてくとみんな連れてかないと、あいつらスネるからね。

 鳩がいるだろ?そしたら「豆・・・・・・・、やるかな?」とか言うんだ。素直に鳩に豆やりたいとか言えばいいのに。
 でも、近くに鳩の豆なんざ売ってないんだよ。まあ俺らは機転がきくから、豆腐屋行って、年寄りが鳩に豆やりたいと言ってるから、って言って譲ってもらったけど。

 みんなヨイヨイで手が震えてるんだ。豆もらってきたから手ぇ出しな、って言ったんだ。普通常識がありゃあ、震えてない方の手を出すだろ?
 でも、どいつも震えてる方の手を出すんだよ。

(圓歌が豆を乗せてやったが、手がブルブル震えている)気の毒なのは鳩の方だよ。くれるんだか、くれねぇんだか分からねぇ。 

  
 一見毒舌のようだが、その実、温かい情愛にあふれてる・・・・なんて評価がされる「中沢家の人々」。
 自慢が鼻につくとこも多々あるが、まあよろしいんじゃないでしょうか。

 


柳家小三治 「馬の田楽」

 マクラの部分、何か言いかけて「まあ、そうゆうことでございます」とか、よく分かんない。

 本編、冒頭、馬との会話が続く。

 「汗びっしょりだな」とかで遠い道のりを越えてきたことを示す。

 また、重たい味噌樽をかついでおり、「重てぇのは分かってるだよ」と言わせ、以前、運んできた荷物を、これは、うちに前からあった荷物だと言われて揉め事になったので、馬に積んだままの状態で相手に確認してもらってから「判取り」(領収印をもらうこと)をしてぇんだという台詞で、味噌樽を乗せっぱなしにしている理由を明らかにする。

 
 遊んでいる悪ガキ共に「馬に悪戯するな」と注意するのだが、結果としてこれが仇になる。

 届け先に「三州屋さぁ〜〜ん!!」と声をかけるのだが、三州屋はいくら呼んでも出てこない。道中の疲れが出て、ついこっくり。
 そこでようやく「多十どんでねぇか?」と三州屋が出てくる。
 裏の畑で何か種まきをしていて、声は聞こえていたのだが途中でやめるとどこまで播いたか分からなくなるからほっておいたようだ。

 ところが、味噌を頼んだ覚えはないという。



「そんなことはなかんべ。この三に丸の書き判(サイン)は、三州屋さんだっぺ?」
(注文の伝票を、よく見て)こら、三河屋さんだぁ」
「そったらこたなかんべ。三河屋さんは、四角に三だぁ」
「よぉく見てみな。まずタテに真っ直ぐ下ろしてるんだんべ?で、かくっ、かくっ、かくっと、こぉ四角に囲まなきゃいけないんだが、三河屋の番頭はズボラだから、あと、ぐるっと丸めてしまっただよ。

 でも、まあ、最初が真っ直ぐだから、こら三河屋だぁ」
「え〜〜?三河屋ぁ?三河屋なれば、こんな峠二つも越えて重めぇ味噌樽担いでくるこたぁなかっただよ。

 はぁ〜〜」

 
 がっくり来て、ふと見れば大事な馬がいない。

 さっきの悪がき共の一人がいたので聞いてみると、注意された奴が根に持って、馬の腹の下をくぐったり、尻尾の毛をまとめて抜いたりしたので、馬は棹立ちになって、どこかへ走っていったという。

 男は必死になって、尋ね歩くが反ってくるのはトンチンカンな答えばかり。

「味噌をつけた馬を知らねぇかって聞いてるだよ!」
「ははは、俺ぁ、まだ馬の田楽は、食ったことがねぇ」

 
 コンニャクとか豆腐に味噌をつけたのが田楽(おでん)だが、「味噌樽を付けた馬」で、「馬の田楽」というオチ。

 ちょっと方言がわざとらし過ぎて、素直に噺の世界に入っていけなかった。

 

 

 


 

 

 

  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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