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(No150) 日本の話芸 TV鑑賞記 その1
9月20日(日)にまとめて放映された「日本の話芸」の鑑賞メモ。
三遊亭小遊三 「浮世床」
指によって、いろいろ違いがあるというマクラ。
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「(小指を立て)いよっ!聞いたよぉ!角の煙草屋の一件。罪だよぉ」
「(照れたように)えっ?聞いてるの?内緒に頼むよ。どう?ちょっとそこで一杯」
なんて、小指が酒に化けたりする。
これが別の指じゃいけません。
「(人差し指を曲げて)聞いたよぉ!角の煙草屋の一件。罪だよぉ」
「何をぉ、この野郎」
なんて喧嘩になっちまう。
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道を教えるのでもね、人差し指だといいけど、親指だと、マヌケがメール打ってるみたいな格好になる。
昔は床屋と言いましたが、今はバーバーとか言います。
名前は「ばーば」だが、中に入ると、じーじがやってたりする。
昔の床屋の名前と言いますと、何何床、例えば、おかめに床でおかめ床、天狗床、あとは海老床とかね。
「どうだい、海老床の看板。
こないだ新調したってぇ聞いたけど、さすがだね。
あのひげのぴんとしたとこなんざ、生きてるね」
「何でぇ、あんなもの死んでるよ」
「何もめてんだい?」
「ああ、聞いとくれよ。
おいらが、あの看板の海老どうだい、まるで生きてるようだねって誉めてるのに、この野郎、死んでるなんざ、ぬかすんです」
「ああ、あれか。
あら、生きちゃいないよ」
「ざまあ見ろい。
そうですよね。死んでますよね」
「いや、死んでもいない」
「ええ?生きてもいないし、死んでもいないって、いってぇどうゆうことです?」
「患ってるよ。よぉく見ねぃな。床についてらぁ」
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なんてマクラから、暇を持て余した床屋内での会話へ。
囲碁に将棋も、白黒順番に並べるだけで最後にじゃんけんで勝負をつける奴や、
「お手(持ち駒)は?」
「歩と、桂馬と、金二枚に(←この辺は適当です)・・・・王様だ」
「ええ?王様?
ちくしょう、いいの持ってやがるな。いつ取った?」
「さっき桂馬で王手飛車取りしたら、飛車を取られちゃたまんないって逃げたじゃねぇか」
「う〜む、そいつを張られたらどうしよう」
なんて連中ばかり。
本を読んでるって男に「みんな退屈してんだ。声出して読んでくれ」と頼むと「俺は早いぞ。立て板に水だ」っていうけど実際はつかえっぱなしで「おめえのは横板に餅ってんだ」
これはいつものギャグだが、「餅」のイントネーションが尻上がりだったんで違和感あり。
読み方のつっかえぶりは、結構くどすぎたり、さじ加減が難しいんだが、今回の口演は、なかなか程よい感じ。
サゲは
「ウソ言っちゃいけねえ。何が一尺二寸の大太刀だ。
一尺二寸ていや、これっぱかり(37cmほど)じゃねぇか」
「一尺二寸は刀の横幅なり」
あとで、東京落語会600回公演記念口上が控えているせいか、あっさりとした一席。 |
東京落語会600回公演記念口上
進行は、小遊三。
米丸は、何か関係ない話をぐだぐだと続けたため、「巻き」のサインが入ったようで、ぐだぐだのまま挨拶が終わる。
小三治は、東京落語会というと最初の頃は出れなかった。
楽屋に、NHKからの差し入れだろうが、おそらく東京の落語会で一番上等の和菓子が置いてあったんで、いつかは、ああいうのが食べられる噺家になろうと思っていた。
で、先ほど楽屋をのぞいたが、さほどの菓子はなかった・・・という話。
馬風は、他の者の挨拶の時は、ずっと目を閉じ口をへの字にしていた。
自分に、何か「思い出話は?」と振られると
「かゑる(鈴々舎馬風の前の名前が柳家かゑる)の頃は呼んでもらえなかったな。
俺は、その頃はキックボクシングの呼び出しで忙しかった。
馬風になって、落語に専念しなきゃ、と思ってキックボクシングやめたら収入がずいぶん減ったな。
そういう思い出だ」
歌丸は
「この落語会に呼んでもらって、最初の2回、同じ客が、私の噺の時、前で新聞を読むんだ。
で、3回目の時、今日も居やがったら、なあに、NHKをしくじったってぇかまやしない、その客と喧嘩しようと勢い込んで高座に上がったら、その客は居なかった。
よく考えると、これまで私にたてついた奴は、みんな早死にしてるんですよ。そんな思い出があります」とまたまた嫌味なあいさつ。
「最後に小三治師匠、何か食いもん以外のことで」と振られ「鹿の子餅が・・・」とお約束のボケをかまし、小遊三が「どうやら、私らくらいの年齢になると、もぉ色気より食い気になるようです。いつまでやっててもきりがありません」と締め、圓歌の発声による手締め。
桂歌丸 「小言幸兵衛」
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先日喘息を患った・・・というような話題から、採血で、中には針を刺してから血管を探す人がいるが、あれはやめてもらいたいというようなマクラ。
題名通り、小言のうるさい幸兵衛の話なんだが、私が元々歌丸が嫌いなことも手伝って、幸兵衛の小言の嫌味ったらしいことこの上ない。
幸兵衛の人格に許しがたい憎悪すら感じる。(←そない、本気にならんでも)
おかみさんにネチネチ嫌味を言い、「猫に当たるな」と更に注意するが、妻に対する彼の小言は立派な言葉のDVだと思う。
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通常は、子どものいない豆腐屋の入居申し込みを断ってから、物腰の丁寧な仕立て屋に続き、最後、喧嘩っぱやい鍛冶屋に続くが、今回は仕立て屋が中心。
最初のうちは丁寧な物言いに感心しているが、彼に男前でまだ独り者の息子がいるというところから、幸兵衛の妄想がふくらんでいき、近所の娘と心中騒ぎを起こすと決めつける。
「死出の旅路、南無阿弥陀仏・・・・と、お前さんのところの宗旨は?」
「法華で」
「そんな陽気じゃ、心中にならない」ってとこから、最後雨乞いの神様・・・なんて訳の分からないサゲになる。
「笑点」で、よく木久扇が「雨乞いの神様」とかやるから、それをもじっているのか?
いずれにせよ、良い出来とは言えない。(いや、見ようによっちゃ、実に本人のニンに合うた噺の選択と賞賛できるかもしれない)
どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。
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