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(No146) 扇町寄席 TV鑑賞記 その1
9月6日(日)放映の小つると13日(日)の米團治の鑑賞メモ。
笑福亭小つる 「蛇含草」
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以前、日本酒フォーラムに行った時出ておられた。
近く、師匠の「枝鶴」の名跡を襲名する。
先ほど楽屋でTVを見てましたら、麻生総理が小沢さんと新党を起こすとニュースでゆうてました。・・・・・・・・・ウソでっせぇ!落語てなもん、全部ウソやねんから!
というウソネタでマクラが始まる。 |
お宅の家は涼しいという描写の中で、「水盤」とか「明珍」(鉄火箸をノレンのようにぶら下げ、お互いがぶつかり合う涼しげな金属音を楽しむ。一種の風鈴)という表現を使うので、この大食いの男、結構教養はあるんやな、と感じた。
お宅は籐むしろで足がひんやりすると褒め、自分も真似してみたというところで、これまで私が聴いた枝雀師匠の口演では「砂糖のアンペラ」を敷いたがニチャニチャして・・・というものだった。(本物の籐むしろは、高くて手が出ないので、砂糖屋が使う安物のムシロを分けてもらったが、砂糖がねばついて・・・ということ)
しかし、今回の小つる演出では、本物の粗いムシロだったようで「足の裏に刺さるし、横になったらほっぺたに擦り傷がでけて」とぼやく。
また、
「この家と違い自分の長屋の路ぉ地は、ぴたっとも風が通らん、紙屑があふれてる、水たまりや思たら犬が小便してる。
スイカの皮がほかしたる所にはハエがたかって・・・・・ああ、涼しぃ〜〜」
「何が涼しいねん。生き地獄やがな」
というところでは、米朝師匠の「地獄やな、それは」という口調を思い出した。
番組冒頭で司会の南光が、「この話は東京では蕎麦、上方落語では餅で演るんですが、今日は小つるさんの工夫で素麺でやらはります」と紹介していた。
「何や、奈良の方の素麺らしい」
「ああ、三輪そうめん?」
「いや、庭そうめん」
「ええ?」
「あと、播州の・・・」
「揖保の糸でんな?」
「いや、いぼの紐」
「紐?えらい太そうでんなぁ」
というギャグは素麺ならでは、だろう。
ただ、勧められないのに勝手に食べてしまうというのは、餅だと、ふくれたり、焦げたりするのを黙って見ておられず、思わず手に取り、はふはふ!と口に入れてしまったというのが自然に思える。
ところが、素麺だと手づかみで汁もなしに・・・とは行かないだろう。
すると、勧められていないのに、男が勝手に食べてしまうには(男の分の鉢や麺ツユ、箸はまだ用意されていないだろうから)主人の分の箸や麺ツユ入りの碗を奪って食べてしまったことになる。
そりゃ、「素麺が出てきてから薬味の生姜おろしてどないしまんねん。早よ食べな麺がのびてしまうがな!」とヤキモキする気持は分かるが、ちょっと無礼すぎる感じがする。
あと、曲食いで「空中ブランコ食い」てのは長い素麺ならでは、と思うが、餅でないと出来ない曲食いもあるし、全体的に素麺に変えた工夫がそれほど効果的とは思えなかった。
(おそらく、夏の暑い時分の噺なので、餅を焼いて食べるというのは季節的に無理があるということで「素麺」を選択したのだと思うのだが)
この噺は、ある男が、ちょっと目上(金持ち)の家に遊びに行き、蛇含草をもらう。
この草は、人間を丸のみにして苦しんでいるうわばみ(大蛇)が、この草をぺろぺろとなめると、膨らんでた腹がしゅっとへこんで、楽になるというもので、魔除けになるとかで床の間に吊り下げられていた。
男は、話のたねに、と少し分けてもらったのだ。
男は、その家で意地の張り合いから餅箱いっぱいの餅を食い切る・・・という賭けになり、あと2個というまでは食べたが、そこで限界になり、謝って家に帰る。
何とか腹の空く工夫はないか、そしたら戻って「食い足りんから残りを食いに来た」てゆうたるのに・・・と思っているところに先ほどの蛇含草を思い出し、「もみない(不味い)もんやなぁ」とぼやきつつ口に入れる。
一方、食べさせた方は心配になって、男の家を訪ね「寝てる?そんなことしたら患いつくがな!」とふすまを開けたら、餅が甚兵衛着てたという考えオチ。
つまり「蛇含草」は、単なる消化薬やなくて「人間」を溶かす草だったので、餅は溶けずに男の体だけが溶けてしまった(それで餅が甚兵衛着てた)というもの。
江戸落語では、「蕎麦の羽織」で、「蕎麦が羽織着て・・・」となり、小つるバージョンでは素麺が浴衣着て・・・となる。
私はこの考えオチが好きなので、蛇含草の説明の場面で「蛇の腹ん中の人間がしゅ〜っと溶けて・・・」と言ったところで「オチが見えてしまうがな!」と気が気でなかった。
ただ、枝雀師匠の口演では、もっと説明的に「うわばみの腹薬と言いじょう(言いながら、言うものの実は)腹ん中の人間を溶かす薬を食うたもんやさかい、餅は溶けずに、食べた人間が溶けて・・・・」というようなセリフを付け加えていた。
私は、もっとアッサリした演出が好きだが、それでは聴いてる者に伝わらないことをおそれ、枝雀師匠は、あえてくどい説明を加えたのであろう。
好みが別れるところであり、仕方ないと思う。
どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。
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