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(No136) 源氏ものがたり落語 鑑賞記 その1      

 平成21年4月11日(土)に開催された「源氏ものがたり落語」というイベントのメモ。

 会場はヴィアーレ大阪。



 

 
 会場、演台後ろには右写真のような和風装束(小袿(こうちぎ)というのだろうか)が掛けてあった。

 本日のプログラムだが、まず第一部は林和清氏の講演「末摘花はなぜ愛されたのか」。

 第二部が林家染丸師匠の落語「すゑつむ花」。

 そして第三部が二人のトークショー。

 林氏は塚本邦雄に師事した歌人で、百人一首とか源氏物語などのカルチャー教室の高座を月に30本以上担当しているそうだ。
 そのせいか、ずいぶん「しゃべり慣れ」してる感じの語り口だった。

 

 世界遺産とならんで世界賢人というものが認定されているのですが、その世界賢人に日本でただ一人入っているのが『源氏物語』の作者、紫式部です。

 平安時代の頃は、女性に関する記録がきちんと残されていません。ですから紫式部というのは生没年不詳なんです。

 ところが、『紫式部日記』の1008年11月1日の記事に「いま、『源氏物語』が大評判になっている」というようなことが書かれているんですね。
 そこで2008年を『源氏物語』千年紀。特に11月1日を「古典の日」としようということになりました。

 京都宝ヶ池の国際会議場で記念式典が執り行われまして、私も出席させていただきました。

 NHKの武内陶子アナが総合司会。そして天皇・皇后が11時に臨席なさるということで、「絶対立ち上がらないこと」という厳重注意がありました。

 
 最初にご挨拶されたのが86歳の瀬戸内寂聴さんです。
 さすがの寂聴さんもやや緊張されてるご様子でした。

 次に出てこられたのがドナルド・キーンさん。あの方は外国人ですが、文化勲章を受章されています。
 キーンさん、あいさつの時、舞台の上でいきなり天皇の席に座ろうとされたので、会場にいる1000人の目が点になりました。

 キーンさんは近松の心中ものを研究されてるのですが、近松の登場人物は男女、どの作品でもみな同じなんだそうです。

 ところが、源氏は登場人物ごとに性格などが描き分けられているのが凄いとおっしゃってました。

 『源氏物語』の中で、光源氏の前で「青海波」という雅楽がならされる場面があります。

  

 式典当日、天皇のいらっしゃる会場で「青海波」が流れました。「あっ、源氏の世界を目の当たりにしている」と感じました。

 美智子さまを拝見して気付いたんですが、あの方はやはり素晴らしい方ですね。来賓の方々に拍手なされるのですが、拍手を残したままで元の姿勢に戻られるんです。
 あらためまして、金婚式、おめでとうございます。・・・・・・・まあ、私が言っても仕方ないんですが。


 私、何より気になったのは、式典のあとで天皇・皇后両陛下とともに昼食会でお弁当を召し上がったそうなんですが、その弁当はどこのだったのだろうか、と。つるやだろうか、瓢亭か。はたまた吉兆か。

 さて、ある日、染丸師匠とお話しする機会がございまして、源氏物語を題材にした落語というのはありますか?とお聞きしたんですが、そんな古いものを題材にした落語はない、とのことでした。

 よし。なければ創ろうじゃないか、ということで、何かがおりてきていたのか、次々にアイデアが湧きまして3日で書き上げました。

 「末摘花」を題材にいたしております。

 末摘花というのは「紅花」のことのようです。
 源氏には400人以上の登場人物が出てまいります。美男、美女が数多く出てくるのですが、この末摘花というのは、珍しく不美人。それもウルトラ級の不美人なんです。

 17歳の光源氏は、夕顔を失って替わりの女性を求めようとしていたのですが、私が初めて読んだ時は、なぜ替わりの女性が要るのかが理解できませんでした。
 12歳で結婚して以来、いやほど女性がいて、なぜそれ以上求めるのか、と。

 ですが、この頃少し理解できるようになってきました。

 正妻は葵の上ですが、彼女とは会話がない。
 側室の六条御息所
(ろくじょうみやすんどころ)は怖ろしい。
 本命は藤壺なんですが、会うことも許されない。
 若紫はまだ子供。

 ですから、夕顔が癒しになっていたのでしょうね。 

 
 寝殿造りについてレジュメに図を載せました。(右図参照)

 母屋は屋根を外した形で描いてあります。
 母屋をはさんで東と西に離れがあります。

 前に州浜があり、築山のある池があります。
 本妻は北の離れに住むことが多かったので、「北の方」と呼ばれたりしました。


 末摘花の父親は常陸宮といって、過去にはやや権勢を振るったこともありましたが、その後、家は零落。父は既に亡くなっています。

 なお、現在の天皇の弟君が昭和39年に結婚されて常陸宮家を創設されましたが、これは源氏物語の常陸宮とは全く無関係なので注意が必要です。   

 主人が亡くなると家来たちは怠けたがるもので、末摘花の住む屋敷の庭は荒れ果てていました。

 ところが、当時の貴族は、こうした零落した屋敷の中の「廃屋の美姫」を求めるというのが、いわば流行していたのです。

 レジュメにいくつか用語を載せていますので解説します。

 「男童」とは「おのわらわ」と読みます。当時、10歳前後の男の子が行儀見習いで、貴族の家に仕えたりしていました。今回、落語における「丁稚」(でっち)に見立ててみました。

 命婦(みょうぶ)は、家内の雑用をする女性です。専属の場合もありますが、何軒かかけもちするケースも多かったようです。そうなると、この家の噂をあちらの家にしゃべり・・・・・と噂をばらまいたり、性悪な人もいました。
 今回は少し仇
(あだ)な年増風に描いてみました。

 老女は、いわゆる「おばん」です。染丸師匠は「おばあさん」役を大変得意とされています。

 頭中将(とうのちゅうじょう)は、正妻の葵の上の兄さんで、いわば源氏の恋のライバルとでも言いましょうか、何かにつけて張り合ってきます。
 ある時、源氏が最高齢58歳の女性と契りを交わしたと聞いて、早速対抗しました。ちょっと真似できないですねぇ。

 惟光(これみつ)というのは、源氏の腹心です。源氏の乳母の息子ですから、ちょうど同年配なのです。

 小袿
(こうちぎ)というと、今掛けているこのような服です。ところで平安時代の衣装というと、すぐ「十二単」(じゅうにひとえ)を連想しますが、あれは別に着物を12枚重ねて着ているという意味ではないようです。
 十二枚ではなく、「十二分」に着ているという意味だったようです。

 ここで資料の絵巻を見ていただきましょう。「源氏物語絵巻」の一節です。
 ちょっと色があせて分かりにくいので、下の復元版の方をご覧ください。

 左で、笠の下にいるのが光源氏です。
 その右が惟光で、手に持っているのは乗り物である牛車
(ぎっしゃ)のムチです。

 草が生い茂っているので、予めムチで草の露を払っておかないと袴がびしょ濡れになってしまいます。これが本当の「露払い」ですね。

 復元版の画面左上をご覧ください。藤の花が咲いています。

 実は源氏は、藤の花房が垂れているのを見て、ふと、末摘花の長い「鼻」が垂れていたのを思い出した・・・・ということになっています。

 「鼻が長い」といえば、何といっても象。そして、象といえば、普賢菩薩の乗り物として有名です。普賢菩薩というと、延命、理智、慈悲の菩薩さまということになっています。

 ・・・・・・・・これ以上しゃべるとネタばれになってしまいます。それでは染丸師匠に落語「すゑつむ花」を語っていただきましょう。 

 

 


  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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