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(No128) 第11回朝日東西名人会 鑑賞記その1       

   平成21年2月1日(日)にシアター・ドラマシティで開催された落語会のメモ。



 

(1) 桂かい枝「手水回し」


 寒い中たくさんのお運びありがとうございます。この感動と興奮はきっと・・・・忘れると思います。
 朝日東西名人会、数えて11回目とのことで。何べんもきた、常連や、ゆう方ちょっと手ぇ挙げていただけますか?はい、3000人ですね。
 では、初めての方は?はい、1万人。
 手ぇ挙げんのん邪魔くさいゆう方は?
(笑いながら挙げてる人がけっこういた)500人と。

 
 パンフにも書いてもろてるけど、去年アメリカに行ってまして。英語落語ゆうことでね。アメリカをキャンピングカーで回ってました。TVのドキュメンタリーで放映していただきまして。見たよ、という方?(拍手)知らん!とゆう方?(より大きな拍手)
(がっかりした表情で)これで終わらせていただきます。

 やはり向こうは日本と雰囲気や反応が全く違います。それに、最初に落語ゆうのはあっち向いたり、こっち向いたり、一人で何役もするんですよとゆうことを説明しなければなりません。
 シカゴの小学校で子供400人くらい前にして落語したんですが、その辺の説明が行き届いてなかったんでしょうね。

 彼らにしたら、私が左向いて急に「こんにちわ!」てゆうた、それで皆、私が後ろの誰かと話、始めたんかいな?と思ったんでしょう。400人の子供が一斉に左後ろを振り向く。
 で、次に私が右向いて「ささ、こっち上がり」ゆうたら、また、全員が右後ろを・・・。

 サンフランシスコで日系人の敬老ホーム行かせてもろたんですが、皆、非常に気さくでねぇ。
「こんにちわ!」ゆうたら、全員が・・・・。お分かりですよね。皆、返事しはりました。
 そこで、ちょっと待ってください。落語ゆうのは一人で何役もやるんですと説明して、もう一度最初から「こんにちわ!」とやると、全員黙ってる。ははあ、こら分かってくれたな、思って「ささ、こっち上がり」ゆうたら前からおばあちゃんが3人、舞台に上がってきはった・・・・。


 日本人は外へでていくことが少ないですなぁ。総理大臣なんかでも英語の苦手な人が多い。

 これは歴代首相の中でも一番体の大きい、一番脳みその小さい・・・・と言われてる森元首相の話ですが、あの人、北海道は釧路の出身らしいですな。釧路だけに失言
(湿原)が多い・・・・・・。
 
(会場の拍手に)どうぞ私らにはお気遣いなく。これからどんどん大物が出てまいりますので。

 その森首相在任中に沖縄サミットがありました。主催者として英語で挨拶くらいせなあかん。しかし首相が首相ですんで、秘書も頭をしぼりました。

 とりあえず「ハウアーユー?」とゆうてください。ごきげんいかが?ゆうことです。そしたら、挨拶ですから必ず相手は「アイム ファイン サンキュー。アンド ユー?」おかげさんで上々です。あなたは?と返してくる。そしたら「ミー、ツー」私もです、てゆうて下さい。こら決まり事です、と。

 よぉ考えたら、ゆうのんは「ハウ アー ユー?」と「ミー、ツー」の二つだけなんです。それで森首相は、この二つを一生懸命覚えはった。

 当時のアメリカ大統領はクリントンさん。奥さんがヒラリー。こないだオバマさんと争って、今、国務長官になりはりましたね。
 さて、いよいよサミットが始まって特別機から降りてきたクリントン大統領と握手して、笑顔を浮かべた・・・・とこまではよかったんですが、緊張したんでしょうか、なぜか教わった「ハウ アー ユー?」が出てこんと「フー アー ユー?」とゆうてしもた

 国際行事で、正式な招待受けて、わざわざアメリカからやって来た大統領つかまえて、日本の総理大臣が、後ろには大臣連中ズラッと並んでるとこで「お前は誰や?」。
 クリントンさん、とっさにこう思いました。はは〜ん、こらジョークやな、と。初対面の緊張をほぐすためにジョークをかますゆうのは欧米ではよぉある話です。ですから笑顔を返しながら「アイム ハズバンド オブ ヒラリー」、私はヒラリーの旦那です、と。
 そしたら、森首相が「ミー、ツー」・・・・・・・。

 中曽根元首相も英語が苦手やったそうです。当時はアメリカはレーガン大統領、イギリスはサッチャー首相でした。
 3人で喫茶店みたいなとこ入ったそうです。
 店員に「ご注文は?」て聞かれて、レディファーストやから、まずサッチャーさんが「ティー、プリーズ」、紅茶、お願いします。
 次にレーガンさんが「ミー、ツー」。私もお茶。そしたら、中曽根さんが「ミー、スリー」・・・・・。


 英語どころやのぉて、方言でもなかなか通じません。地域によって相当違いがございますので。訛りは国の手形てなことを申します。

 大阪では「ちょうず」という言葉がございました。手ぇに水と書きます。手水を使うとか、手水鉢、手水場などと使います。
 宿屋に泊まって朝になりますと、あか
(銅)のかなだらいにお湯をなみなみといれまして、房楊枝、塩、はみがき粉を添える。これが昔の洗面セットでした。このセットを用意することを「手水をまわす」と申しましたが、こんな言葉も、大阪を少し離れると通じんかったそうで。

 大阪の商人の方が、ちょっと田舎に行かれまして、宿屋に泊まった。
(あくびしながら戸を開けて縁側に出る)
「ふわぁ〜あ〜あ〜。やっぱ、田舎の朝は空気がええなぁ。庭の緑が目ぇに飛び込んでくるようやで。
 せや、今日はここで手水つかわしてもらぉ」
(ぱんぱん!と手を叩いて女中を呼ぶ)
「おはようさんです」
「ああ、申し訳ないけど、ここへ手水まわしてもらえますか?」
「え?ちょ、ちょーずでございますかぁ?一度、手前どもの主人と相談してまいります」

(退屈そうにキセルをくわえている主人)
「おなべか?どないしたんや?」
「へえ、大阪のお客さんがちょーずまわしてくれっちゅうたはりますけどぉ?」
「ええ?そんなん、わしにゆうてもあかん。そうゆうことは、すべて板場の喜助に任したぁる」

(包丁で芋か何かを剥いている喜助)
「え?ちょうず回せ?わい、大根回してんねん。旦さんに相談しよ。

 旦さん、わたい、ちょうず回す、てな料理、こさえたことないんですが」
「ええ?喜助、お前、ちょうず知らんのか?・・・・・回すんやろ?知らんの?情けないなぁ・・・・」
「どうゆうことでんの?」
「わいも初めて聞く。・・・・・・と、ゆうてお客さんには聞かれへんでぇ。田舎の宿屋は、ものを知らんと馬鹿にされる。せや、裏のズク念寺の和尚、物知りやそうな。喜助、お前、ちょっと行って尋
(たん)ねてきて」


「へい、旦さん、訊いてまいりました」
「ちょうず、て何やて?」
「隣村の源助のこっちゃそうです」
「え?源助?」
「へえ。『ちょう』とゆうのは、長寿の長。『ず』とゆうのは頭痛の頭。せやさかいにちょうずとゆうのは長い頭のこっちゃそうです」
「そら、隣村の源助ゆうたら、手拭いで頭巻かれへんくらい頭が長いゆうが・・・・。ええ〜?そんなん、おもろいかぁ?しかし、源助が大阪で有名になってるとは知らなんだ。ほな、ちょっと呼んできておくれ」

(いらいらしている様子の客)
「田舎の宿屋は、これやから、かなんなぁ。ちょっと、もし!もし!誰ぞ・・・・。
(部屋に源助が入ってくる)
 おぉ〜!・・・えらい頭の長い人が入って来たなぁ。
(視線が上下に往復する)
 どこ見てしゃべってええか分からんなぁ。ちょっと、手水回してもらえますか?」
「オラみたいなもんでええんですか?」
「え?ええ、ええ。お願いします」
「今、ここで?」
「ええ。すぐに」
「オラもちょうず回すてな、初めてなもんで・・・。
 お客さん、大阪からですか?そうですか。へへへ、ほな、一つ・・・・。
(ぶるん、ぶるん、ぶるんと3回ほど頭を回す)
 こんなもんで?」 

「何をしてんねん?はよ、手水回して!」
「え?速く回しますか?」
(さっきより必死になって、頭を速く回す)
「こんなもんで?」

(客はイラついて)
「ちゃっ、ちゃっと回さんかいな!」
(怒られて源助さんは、うろたえて)
「ぶるん、ぶるん、ちゃっ!ぶるん、ぶるん、ちゃっ!
(頭を2回ほど回しては、両手を顔の横で「ばぁ〜!」という感じで広げる)


(苦りきった顔で煙管をふかしている旦那)
「喜助・・・・・・・。源助の頭じゃなかったのぉ・・・・・・・・・・。
 ズク念寺の和尚、ええ加減なこと、ぬかしよって。
 大阪のお客さん、怒って帰ってしまったのぉ。『もう二度と来るかぁ!』ゆうて。

 せや。でやろ、喜助。これからもあるこっちゃで、いっぺん大阪の宿屋に泊まって、手水回してもろて、どんなもんか試してみよか?」

 二人は大阪の繁華なとこで宿をとりまして、次の日の朝でございます。
「喜助ぇ、起きろぉ」
「あっ、旦さん!いよいよ大阪の朝がやってまいりましたなぁ!

 わたい、ちょうずゆうたら何が出てくんねんやろぉ思たら楽しみで楽しみで、夕べは一睡もできませなんだ」
「せやけど喜助、あくまでも冷静にな。ちょうずが出てきても、あっ、これや!ゆうて飛びついたらあかんで。

 あっ、もし、女子衆
(おなごし。女中)さん。あの、・・・何やったかな、あ、そうそう。ちょうずを回してもらえますかな」
「へい。すぐお回しいたします」


「えらい簡単やな」
「そうですなぁ、旦さん。主人に相談もせんと。えらいもんですなぁ」

 そこへ、女中さんがたらいにお湯をなみなみとつぎまして、たぷん、たぷんいわせながらやってまいります。
「すんまへん。ここへ置かせてもらいます」


「喜助ぇ。これがちょうずか?立派な器じゃのぉ」
「へえ、旦さん。これはお料理でおます」
「かなり、あるでぇ。
 この横手に盛ったぁる白いもんは何や?」
(少しなめてみて)こら、塩です」
「この赤いのんは?」
「薬味ですやろ」
「この先の分かれた棒は?」
「これでかき回しますねん」
「ほな、こしらえてくれるか」
「へえ、かしこまりました」

「おお、でけたか。・・・・えらい泡だらけやで。せや、ちょうずを『回す』ゆうのは?」
「お茶と同じように・・・・」
「ああ、そうゆう作法か。
 いざ、いただくとなったら、何やドキドキするなぁ。残ったらお前にもやるさかいな。

(飲み始める)
ングングング・・・・・・ゲォ!・・・・・ングング・・・・・ゲォ!・・・・・さっぱり分からん味や。
 ふ〜。半分以上残った。これ、喜助にやるわ」
「え?旦さん、こないにいただけるので?ありがたいこってす。ほな、いただきます。

・・・ング、ング、ング・・・・・・・ぶぉ〜
(派手にえづく)  
 ほんに飲みにくいでんなぁ」
「何ゆうてんねん。全部飲まな、あかんでぇ!」

 そこへ女中が
「すんまへん。お連れはんの分、こちらに置かしてもらいますぅ」

「ええ〜〜?最前
(さいぜん。さっき)のんは、わい一人の分やったんかいな。

 女子衆さん。すんまへんけど・・・・・・・・・・・残りはお昼にいただきます」


 先日の米朝一門会の「よもやま噺」で、前座の出囃子は皆、「石段」という曲だと聴いたが、かい枝の出囃子は「石段」ではなかった。
 また、羽織も着ていた。
 したがって、かい枝は前座扱いではないことになる。出番は一番最初だが。

 かい枝は2008年4月から半年、アメリカで英語落語の武者修行をしたそうだ。
 NHKのドキュメンタリーでやってたのを先日再放送しており録画した。奥さんが若くてきれいなのにはびっくりした。





  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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