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(No119) 新春吉例 米朝一門会 鑑賞記その1       

  毎年正月にサンケイホールで演(や)ってた米朝一門会は、建替えに伴い、ヒルトンホテル桜の間で開催されていた。

 平成17年7月の旧サンケイホールでの最後の米朝一門会のメモはここで。

 で、平成18年1月のヒルトンホテルでの第1回目の新春一門会はここで。平成19年1月の分はここで。で、平成20年1月の分がなぜ記録してないのか?と思ったのだが、よく考えると20年1月1日に足を骨折しているので3日に前売りで切符は買っていたが行けなかったのである。人に歴史あり

 で、平成21年1月2日に、建替完成後のサンケイホールブリーゼにて新春吉例米朝一門会を鑑賞した。

 なお、ブリーゼタワーのブリchとか、サンケイホールブリーゼの内装等については、ここで紹介させていただいているので夜露死苦




 

(1) 桂吉の丞「軽業」

 
「前座なんで手短にやります。8時間半ほど・・・」とか「難しい言葉が出てきますが気にせんとって下さい。僕も分かりませんから」など簡単なマクラで早速本題へ。

 少し前、雀三郎の「天王寺詣り」で観た小拍子を見台の上で引っくり返して「亀山のちょん兵衛はん」と言ったり、小拍子を見台の上で立て、口で「ぶ〜ん」と言いながら「竹独楽でござい」と口上を述べたり、寿司を握る格好をしながら「江戸寿司ぃ〜 早寿司。握り寿司ぃ〜 美味いのん」と言ったりして縁日の雰囲気を出す。
 ただ、鼻水を垂らした寿司職人がそれも握ってしまう・・・というクスグリはせずに、店の紹介のみで喜六の騙されシーンへ。 
 軽業小屋までは「一間のおおいたち」と「取ったり見たり」の二つだけだった。

  いよいよ軽業(綱渡り)が始まる、高く張られた綱に人が乗る・・・・・って時、扇子を人に見立てずい、ずい、ずいっと押し上げていく。身体をずん、ずん、ずんっと上げていく。観衆の視線もぐん、ぐん、ぐんっと上がっていく。

 口上師が「あ〜ぶないよ〜。さぁしっかり」などと声をかける・・・・・・・ってとこで、吉の丞、やおら素(す)に戻って、「ついて来てはりますかねぇ〜?」と客に問いかける。


 なかなか、ええ間(ま)ぁやったと思う。

 で、いつものように「特別に足元をアップでご覧に入れます」と言って、水平に持った扇子を綱に見立て、その上で「足」に見立てた中指と人差し指を歩かせてみせる。

  

 「軽業」のオチも何種類かあり、私が今までに聞いたのでは、曲芸師(太夫さん)が綱から落ちて苦しみ「かるわざ(=身体)中が痛い」というダジャレ落ちが多かった。

 本日のは、曲芸師が足を綱に引っかけてぶら下がるところ、何のはずみか落ちてしまったのだが、口上師はそれに気付かず延々と口上を述べている。
 で、客から「なに、長々と口上、ゆうとんじゃい。太夫さん、落ちて大怪我してるがな」となじられ、「長口上(生兵法)は大怪我のもと」と反省する・・・・というやはりダジャレおち。

 それほど出来のいい噺でもないと思う。  

 



(2) 桂歌之助「米揚げ笊」


 歌之助は、最近ちょっと伸び悩みではないだろうか。

 マクラは、
(1) 大阪の女性の方(かた)、いわゆるオバちゃんは、電車の扉が閉まりそうになったら日傘の先だけ突っ込む。
(2) 仕方ないから車掌も開けるけど、全部開けずに半分だけ開けてすぐ閉める。
(3) しかし、オバちゃんはそこへ身体を半分無理やりねじり込む。
(4) そのまま行くわけいかんから・・・・・私は行ってもいいんじゃないかと思うが・・・・扉を全部開ける。
(5) しかし、オバちゃんは車内に入らない。身体で扉、閉まらんように押さえて「北村さ〜ん!」と友達を呼ぶ。まだ、北村さんは階段を半分も下りてへん。挙句の果てに「北村さ〜ん!早(はよ)ぉ〜!早(はよ)ぉ〜!皆、待ってくれたはる」などとのたまう。誰も待ってへん。あんたが待たせてんねん!大阪のオバちゃんは無敵や・・・・というもので、以前にも聴いたことがある。

 
  噺は、笊(いかき。竹で編んだザルのこと)の行商を世話してもらった男が、「大間目、中間目、小間目(おおまめ、ちゅうまめ、こまめ。ザルの目の粗さを意味する)に米を揚げる米揚げ笊は、どうでおます」と売り声を上げて売り歩いていた。

 堂島で米相場をしている米屋では、値が上がると高く売れるとして「上がる」という言葉を喜ぶ「強気」の人と、下がると安く買えるとして「下がる」を喜ぶ「弱気」の人の二種に分かれる。

 男の売り声が、その中でも「強気も強気。カンカンの強気の家」の旦那の耳に入った。

 旦那は、店の者を呼ぶ。店の者は旦那にお辞儀をするが頭が「下がる」のを嫌って、「へ〜い!」と言いながらそっくり返る。

 旦那に言いつかって男を呼ぶが、普通に呼ぶと手が下に下がるとして嫌い、下から上へすくうようにして呼ぶ。

(「堂島のすくい呼び」・・・・・というのは嘘らしい。
 『桂枝雀 爆笑コレクション』第1巻では「『堂島のすくい呼び』なんてもっともらしい呼び名をつけているのも枝雀さんは大好きでした。一度などは、この噺を演じていて『戻っといでエ』まで言ったあと、ふと素に戻って、『わたい、この噺、ここがやりとうてやってまんねん。・・・・・・さよなら』と言うと、さっさと高座を降りたこともあったそうです」と紹介されている) 

 「米を揚げる」という一節が旦那の琴線に触れたのだが、それからも男は偶然か意識的か(それほど計算高い男ではないだろう)、暖簾は頭ではね「上げる」、笊はおうちの中に放り「上げる」、兄弟は?と訊かれ「上ばっかり」と答えるなど、旦那の好む言葉を連発し、「銭やる」、「財布ごとやろ」、「金庫ごと渡したってくれ」、「自動車やれ」、「借家をニ、三軒」、「須磨の別荘を」、「「娘を嫁にやろう」、「わしのかみさんもやる。もろたってくれ」と旦那の褒賞もどんどんエスカレート。

 ついには、旦那は感極まり、「わしも行くわ」。慌てた番頭が「そないなことされたら、うちの店が潰れてしまいます」。

 と、男が「何をおっしゃる。潰れるような品もんと品もんが違います」・・・というのがサゲ。

 このサゲにはちゃんと伏線があり、最初に笊の店に行った時に、なぜ行商してもらうか、という説明がある。
 2月、8月に取れた竹で編んだ笊は良いが、それ以外の季節に取った竹は虫が食って、粉を吹く。別に、粉が出きってしまえば使用に問題はないが、一般に嫌がられるので信用を重んじる店頭では売れない。そこで行商で売り歩いてもらう。

 売り方にもコツがあり、客の前で笊を伏せていくつか重ね、上からトントン!と叩いて「こうやって、叩いてもつぶれるような品もんと、品もんが違います!」と見得を切る。
 これは一見強さをアピールしているようだが、実はこの仕草で弱点の「粉」を叩き落としているという一石二鳥の効果がある・・・・・・というセールステクニックを伝授されているのだ。



 で、なぜ歌之助が伸び悩んでいるように私に思えるのか。

 私は、過去歌々志時代に「なかなか良い」と評価しつつも、平成18年夏に聴いたときには「顔の表情などがはっきりしているというか、メリハリをつけるよう意識しているのではないか。なかなかうまいとは思うが、若々しさよりはちょっと「大げさ」、「わざとらしさ」みたいなものも感じさせる」と書いた。


 それは今回も同じである。

 今回感じたのは、歌之助の「ツッコミ」がわざとらしく古臭いということ。
 落語で漫才みたいにボケ、ツッコミという表現をとるのがおかしいかもしれないが、落語でもボケ役の人物がアホなことを言う。すると、甚兵衛さんとか「カシコ」の人が「そら、何をゆうてんねん」などと「ツッコミ」を入れる場がある。

 言葉で表現するのは難しいのだが、歌之助は、いったんボケにふんふんとうなづき、と、一瞬息をとめ、はっ!と気がついたように、目を見開き眉を上げ「(んっぱっ!) って、なにゆうてんねん!」と言ってる感じがする。

 一種の「ノリつっこみ」のような、そんなとこがちょっと「臭さ」を感じるのだろうか。ほんと、芸はしっかりしていると思うのだが。

  
 


 
 これは相変わらず、自分の出番がなくても人が集まる所には熱心に顔を出して、CDなど(今回は自著『必死のパッチ』)のセールスに精を出す桂雀々。

 ほんまに凄いと思う。毎回、毎回やからね。

 そら売れたら売れただけ印税になるんやから・・・・と思っても、なかなかやれるもんやないと思う。

 何が彼をして、そこまでさせるんやろうか?その辺の秘密が『必死のパッチ』という本に書かれているのだろうか?悲惨な少年時代のことが書かれているそうなんだが。

 

 



  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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