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(No118) 桂小米朝改メ五代目桂米團治襲名披露公演 テレビ鑑賞記その2       

  たまたまNHKで「小米朝から米團治へ」という襲名披露初日(平成20年10月4日:京都南座)を中心に描いた番組を放映していた。そこで初日の口上なども収録されていたので紹介したい・・・・・・・の続き。




 

(3) 桂ざこば「よもやま噺」

 

 元気よく登場したざこば。いつもの「こないすぐ脱ぐんやったら、最初から羽織着てこんでもええねんけど。まあ、持ってるとこも見てもらわんとあかん」というギャグで始まる。
 私の噺が終った後、どうしても最後までいてなあかんとゆうことはありませんからね。帰ってもろてもええ。それぐらい、あってもいいんじゃないですか。試練ですから。

 どうか、帰って下さい!

 とにかく、お祝い事では皆さん、イヤミをかまされます。

 歌舞伎の世界と違
(ちご)うて、私ら高座上がったら一人ですからな。何ゆうてもええんです。後で「すまんな」ゆうたら。

 私らどんだけイヤミ言われてるか。・・・・・・・嫁さんに。

 時間が延びてるから、ざこば、お前は落語するな、と米朝から言われまして。
 いや、やりますゆうたんですけど、「やるな!みんなのためや」とのことなんで、今日は落語はしませんが。

 私も20年ほど前、朝丸(ちょうまる)からざこばになったんですけど、・・・・・あっ、これはゆわれん。私は勢いでしゃべる男ですから。危ないこともゆうてしまう。今、言おうとしたことは言えません。まあ、どうしても聞きたいゆうことやったらゆうてもええんですが・・・・・・(会場から大きな拍手)・・・・知りませんよ。

 実は枝雀兄ちゃんが小米
(こよね)、私がまだ朝丸の時代やったんですが、毎晩師匠の寝間のとこで、お酒呑みながら昔話とかしてたんです。
 ある日、師匠が何を思たんか、枝雀兄ちゃんに「小米、お前、米朝の名前継ぐ気ないか」て言わはったんですな。そしたら枝雀兄ちゃんは「そら、もうけっこうです」てゆうて。
 ほな次に私に「朝丸、どや。お前継がへんか」て言わはった。
 で、私も「いえ、ウィークエンダーとかも朝丸でやってますから、私もけっこうです」て断ったんです。そしたら米朝師匠、「二人とも、そないわしの名前がいやなんかい!!」て。

 今から考えたら、米朝みたいな大きな名前、恐れ多い、もったいないゆう気持ちやったんですが、言葉足りずで「いやいや、よろしぃ」て嫌がってるみたいになって、帰り道に兄ちゃんと「これからは、気ぃつけて物言わんとあかんなぁ」と話、しました。

・・・・・・・ああ、これはしゃべりたくなかった。

 あっ、これも駄目です。これもやめときます。
(会場から拍手)調子に乗せたらあかん。

 ある日、松鶴師匠から「お前、しおだい(注 どうゆう字を書くのかさっぱりわからない。聞き違いかも知れない)継がへんか?」と言われまして。
  ああ、これは師匠にゆうとかなあかん思て「師匠。私、しおだいゆう名前継がせてもろてもよろしいか」てゆうたら、「ああ、あら大阪の大きな名前や。継いだらええがな。で、誰がゆうたんや」て言わはるから「はい、松鶴師匠が」てゆうたら「わしの弟子の名前は、わしが決める!!」

 ああ、ゆうては駄目だった。
 私は危険人物なんです。

  最終的には「ざこば」ゆう名前になりまして、師匠に吉本興業の林社長のとこや東京の小さん師匠とこについていってもらいました。その分は小米朝に返さなあかんので、これから全国一緒に回らろ思てるんですが。

 東京では一日にけっこう回るらしいんです。
 私ら圓歌師匠、志ん朝師匠、それと小さん師匠と、米丸師匠とこだけでした。

 で、米丸師匠とこ行って、『どうぞよろしくお願いします』ゆうたら、『じゃあ、どうぞ上がってください』ゆわはるんでね、『そうですか』ゆうてあがったら、お茶とかねイチゴとか出してくれはって。

 応接間通してもろても、しゃべることがないんですね。何せ初めてお会いしたもんやから。

 しばらく黙ってたら、米丸師匠が『・・・・・・・・・・ぼちぼち帰りはったら?』。

 『え?何故でしょうか?』て訊いたら、

 『あのぉ・・・・・こうゆうのは玄関で帰るもんなんです。
 あがってください言われても、あ、次に回りますんで失礼しますゆうのが普通で・・・・。
 本当にあがるとは、思わなかった』と。

 それが一つの失敗ですかなぁ・・・。

 まあ、これから五代目米團治は、がんばって自分の米團治をこしらえると思いますので、ご支援よろしくお願いします。

 皆さんも大変やろけど・・・・・ほな、さいなら。

 



(4) 桂米團治「百年目」


 満面の笑みをたたえての登場

 
  南座で初日が迎えられて幸せでございます。
 ものを開く時にぴったりの劇場やないかと思います。

 襲名披露に合わせて扇子と手拭いをこしらえさせていただきまして、手拭いは大阪でつくったんですが、大阪には扇子屋さんがもう無いそうなんです。
 何でも京都と東京にしかないそうで。

 こう考えますと、大阪はいろんなもんがなくなっていってる。京都に比べて大阪はあかんな、と大阪人として忸怩たる思いがするんですが。

 街並みなんかでもそうですな。京都は商家なんかもびっしり残ってる。


 大阪の商家の代表といいますと、今や料理屋の船場吉兆ですからな。

 まあ、あれぞ浪花の味とゆうんでしょうか。事態が悲惨になればなるほど笑えるとゆう。


 「頭が真っ白・・・・」、「責任逃れ・・・・」あれが全部、聞こえてたんですからな。

 まあ、親がゆうてる横で息子がおんなじような事言わされる。・・・・・・・他人事のようには思えませんでした。

 私、いまだに吉兆の女将さんと和泉元弥のお母さんの区別がつきません。おんなじ人がやってんのとちゃうかな思て。
 まあ、商家の女将さんゆうと、ああ、しっかりした感じがええんかもしれません。

 この頃、言葉が分からんようになった中で「百年目」なんて言葉も使わんようになりました。

 ここで会
(お)うたが百年目、優曇華(うどんげ)の・・・・なんて敵討ちのシーンでは今でも使われてるようですが、見つける方にとっては、やっと見つけた。見つけられた方にとっては、もうあかん、今際(いまわ)の際や・・・なんて意味やったようですが・・・・・・・・。

 
 噺としては長いし、米朝師匠で詳し目にメモを取ったので詳細は省略する。

 主にその米朝師匠の噺と比較して気が付いたことを一つ、二つ。

(1) 噺に入る前の「百年目」の説明。
 この辺は難しいところ。オチの意味がわからないと消化不良で、それで落語から離れていってしまう人がいるかもしれない。だから、丁寧に説明しておく方が親切なのは百も承知だが、何か取って付けたようとゆうか、教えられたとおりとゆうか、もやもやが残った。

(2) 喜助という店の者を叱る時、初め「ゆんべ何してはりましてん?」「皆と一緒に風呂、行てました」という返事の声が子供っぽいように聞こえたので、丁稚クラスなのかと思っていた。
 しかし、後々聞いていくと、女郎買いに行くは、店の若い者に予め夜中に戸を開けるよう言いつけておくは、でかなりの年かさのようである。

(3) 番頭がさんざん店の者に小言を言った後で得意先を回ってくると言って店を出る。小半町(30m〜50mくらい)も行ったとこで幇間(たいこもち)が声を掛けるが、番頭は「ああ、これは近江屋の番頭さん。今日はちょっと心急(こころぜ)きですので」とはぐらかす。
 慌てた幇間は、「何ゆうたはりますねん。次さん!」と一向にぴん!と来ないのでたまりかねて路地に引きずり込み「空気の読めん幇間やなぁ」となじる。
 気の利かない幇間には「気の利かん」とか「向こ先の見えん」とか評するのが一般的だが、さすがに「KY」は違和感がある。

(4) 芸妓らが「次さん」、「次さん」と呼ぶのを「そない何べんも次さん、次さんゆわんかて」と苦情を言う番頭に芸妓が「そやけど、本名で呼んだらお店にばれる。『じへえ』の『じ』は、『治』めるやのぉて『次』やから『次さん』て呼べて言わはったん、次さんやおまへんか」と言い返す。
 最初、幇間や芸妓らが「すぎさん」と言ってるのか「つぎさん」て言ってるのか少しわかりにくかったが、これですっきりした。

(5) 最初は「顔がさす」から窓を閉めておけと言った番頭だが、酔いが回ってくると、暑くなって「何で閉め切ってるねん」と怒り出す。「そやかて、閉めとけてゆうたんは次さんやのに」と言い返すと「いや、わしはそんなことゆうてない」ときかない。
 で、芸妓があきれ気味で「次さんて、米朝さんみたいな人でんなぁ」と言った。

 まあ、何度も多用するギャグではないだろう。


  冒頭の「大阪はあかん」とゆうとこにちょいムカっとするが、もともと米朝師匠は神戸の人ですしね。

 



  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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