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(No117) 桂小米朝改メ五代目桂米團治襲名披露公演 テレビ鑑賞記その1       

 平成20年11月27日(木)午後6時30分開演の襲名披露千秋楽は、仕事が長引いたため終盤わずかしか観ることができなかった。 帰り、会場ロビーに貼り出してあった紙を見ると、当日の演目は次のとおり。

 「桂よね吉:お公家女房、林家正蔵:味噌豆、桂南光:義眼、桂春團治:祝熨斗、口上、春風亭小朝:ぼやき居酒屋、桂米團治:親子茶屋」とのことであった。

 よね吉の「お公家女房」は「延陽伯」の別名だと思う。南光の「義眼」、春團治の「祝熨斗」は以前に聴いたことがある。となると、悔しいのは何といっても、「口上」が聴けなかったことと小朝のマクラ(泰葉とのバトルについて触れたのか、どうか。例えば、開口一番に「金髪ブタ野郎でございます」とか言ったのか、どうかとか)を聞き逃したこと。

 たまたまNHKで「小米朝から米團治へ」という襲名披露初日(平成20年10月4日:京都南座)を中心に描いた番組を放映していた。そこで初日の口上なども収録されていたので紹介したい。




 

(1) 「口上」

 

 舞台向って一番左手から桂南光、その右が桂米朝、続いて柳家花緑、桂春團治、中央が桂米團治、その右が三遊亭圓歌、林家正蔵、桂文珍、そして一番右が桂ざこばが並んでいた。

 口上が始まる。

 会場からは鳴り止まぬ拍手。米朝が南光に何か話しかけている。南光が笑いながら、両手で会場の拍手を制し、話し始める。

南光 「本日、司会進行を承りました・・・・・何がおかしいんですか?・・・・桂南光でございます。よろしくお願いします。

 私もいろいろな仕事をさせていただきましたが、襲名披露の口上の司会は生まれて初めてでございます。

 本日は東西のすごい師匠がたにお越しいただいておりますが、まずは米團治の師匠であり、実の父親でもある、現在落語界唯一の人間国宝である桂米朝より口上を申し上げます」

米朝 「何もゆうことはございません。
 ふつつかな愚息でございますが、お客さんの後ろ盾あってこそ、こんな南座とゆう結構な場所で襲名披露をさせていただけるあいつは幸せ者でございます。

 しかも、司会が南光君とゆう・・・・これは大変なことです。

 桟敷には祇園町(ぎおんまち)のきれいどころがぞろっと揃って、(南光に)ねえ。あんた、最前からおかしな目付きで見てるけど」

南光 「私ですか?師匠、これは掛け合いじゃないので
(やたら大きな笑い声が聞こえる)
米朝 「・・・・何がそんなにおかしいねん」
(柳家花緑は妙にツボにはまったのか大笑いしている)
南光 「米朝師匠。一つ、先代の米團治師匠の話などを」

米朝 「ええ・・・。私の師匠である先代の米團治は、噺は上手いんですが、・・・・・・陰気な人でね。お通夜の晩なんかには、もってこいで」
南光 「あのう・・・・・・・師匠。もうちょっとええこと言えまへんか?」
米朝 「いろいろ考えてたんやけど・・・・・陰気なことしか思い出されへん。まあ、55ぉで亡くなりはったんですけどね」
(米團治は膝立ちになって「オイオイ!」って表情で米朝を見ている)
米朝 「まことに寂しいお通夜でございました」

南光 「米朝師匠。もう結構ですわ!
 ではお隣の柳家花緑さん。花緑さんはお祖父様が落語界初の人間国宝である柳家小さん師匠でして、米團治とは身内に人間国宝を抱えるメリット、デメリットなどを語り合ったそうでございます。それでは柳家花緑より申し上げます」

花緑 「このような席に並ばせていただくのは非常に名誉なことでございまして、と言うのも、私は米團治さんより後輩に当たりますし、しかも、人間国宝の後に口上を述べさせていただけるなんて快挙に恵まれました。

 身内に人間国宝を持つとゆうのは喜びでもあり、プレッシャーでもあります。ただ、私の場合は、お祖父さんですので、まだワンクッションあるのですが、米團治・・・兄(あに)さんと呼ばせていただきますが、兄さんの場合は、『お父様のように・・・』という期待が肩にのしかかってきたと思いますが、それをはねのけ、芸に邁進されると思います。後輩の身からは言いにくいですが。

 祖父小さんも申しておりましたが、この落語とゆうのは、もしお客様がいなければ単なる独り言とゆう、非常に寂しい芸でございます。

 昔は、お客様から後ろ幕ですとか、羽織ですとかいろいろご支援いただいたそうですが、最近ではそうゆうお客様は少のぉございます。
 ただ、現代では、こうしてお客様がチケットを買って会場に来ていただくとゆうのが何よりの支援でございます。

 高いところからではございますが、どうか米團治をごひいきに、そして花緑もよろしくお願いいたします」

南光 「落語の世界では、自分の師匠に限らず他の師匠に噺を教
(おそ)わったりいたします。そして、また他の世界にないことに、全くの無料でございます。

 米團治は春團治師匠に『野崎参り』や『
(紺屋)高尾』を教わったと言っておったのですが、身に覚えがないとおっしゃっておられる三代目桂春團治が口上申し上げます」

春團治 「皆さんご存知のように新米團治君は米朝さんの長男です。わたくしも、二代目桂春團治の長男でして。偉大な父親を持つプレッシャーはよく理解できます。

 新米團治君が、このご苦労をはねのけて今日のおめでたい席を迎えられたことは心から敬意を表します。このうえは、一日も早く米朝さんに追いつき追い越すのが親孝行ですので、今まで以上に努力していただきたいと思います。

 どうか、今後とも厳しさと温かさのあるごひいきをよろしくお願いいたします」

南光 「初めてちゃんとしたご挨拶をしていただきました。

 続きまして、米團治が大学生、二十歳(はたち)の頃、落語家になるように勧めたのが桂ざこばさんでございます。そしてその後、何の責任も取らず今日に至っております。
 桂ざこば!初めて呼び捨てにさせていただきましたが、桂ざこばが口上、申し上げます」

ざこば 「え〜・・・・・・。おめでとう。皆さんがプレッシャーと言われてるけど、また確かにプレッシャーもあるやろけど、七光りもある
 どっちかとゆうと、そっち
(七光り)の方が多いような気もするし。まあ、利用したらええねん。ほんで大きな噺家になってや。

 う〜ん。おもろいこと言おうとも思うんやけどね。迷とんのや。どこまで崩したらええねんやら。・・・・・まあ、おめでとう」

南光 「米團治は小米朝時代『小米朝十番勝負』と銘打ちまして東西の実力ある花形の落語家さんをゲストに招き、毎回新ネタをおろしました。
 まあ、勝ち負けはさて置きまして、その十番勝負にもご参加いただき、またいろいろアドバイスもいただいたと聞いております、桂文珍より口上申し上げます」

文珍 「今回、小米朝君が五代目米團治になられまして・・・・・・・・・・、まことによろしゅうございました。

 十番勝負・・・・小米朝君は一生懸命でございました。・・・・・・・・・・・、それだけでございます。

 米團治さんとは『京紅物語』とゆうお芝居で共演させていただいたことがございました。水上勉さんの原作で、石井ふく子さんの演出でね。
 あれは、中日
(なかび)くらいのことだったでしょうか、米團治さんが『気分が悪い』と言い出しましてね。病院、行かなあかんのちゃうか、と。『クラクラする』てなことゆうてね。
 で、よぉ聞いたらクラクラする筈や。コンタクトレンズ、片方の目ぇに2枚入れてた

 まあ、そうゆう慌しい方でね。
 今日も、慌しい方やなぁと思たんは、楽屋で『おめでとうございます!』ってゆうたら、普通、『ありがとうございます』ゆうねんけど、おんなじように『おめでとうございます!』て。お互いが『おめでとうございます!』って、正月やないっちゅうねん
(米團治、突っ伏して照れ笑い)

 まあ、そうゆう楽しいとゆうか、アワテとゆうか。

 米は日本の主食でございます。日本の文化そのものでもございます。この米團治とゆう米が豊年満作となりますよう。どうぞ事故米にはならんようにね
(横で、ざこばが顔をしかめて手を横に振った後で、両手を持ち上げている。つまり、もっと持ち上げろ、褒め上げろとの手振り)

 ・・・・・・・・・・・・お願いするところでございます」

南光 「続きまして、お父様は爆笑王林家三平、お祖父様は林家正蔵と、三代続けて真打になったというのは、落語界でも初めての快挙やそうです。こぶ平の頃は可愛いだけでしたが、正蔵を襲名されてからはネタも増え、メキメキと成長され、人間的にもとても素晴らしい方である・・・・・・・とゆうてくれと本人から頼まれております
(正蔵が、『バラしてはだめ!』って表情)林家正蔵が口上を申し上げます」

正蔵 「この口上の席に並ばせていただいてることがとっても嬉しいです。

 米團治兄さんとは仲間・・・とゆうより同志とゆうか。落語家の家に生まれたことも同じですし、私の父三平も、兄さんのお父様米朝師匠も同じ大正14年の丑年生まれです。・・・・・・・芸風は全く違いますけど。

 米團治兄さんは、しなやかな高座です。華のある芸です。うらやましいです。この華が大輪の花となり、実を結んでくださると思います。どうぞ、ごひいきくださいますよう、ひとえにおん願い申し上げます」

南光 「本当にありきたりのあいさつでございました。
(正蔵は『そんな言い方しなくても・・・』って表情。「ずいぶんきちんとやったよ」という声が聞こえた。花緑か?)
 それでは、口上のトリでございます。落語協会最高顧問、三遊亭圓歌より口上、申し上げます」

圓歌 「東京から呼んでいただいただけでありがたいことでございます。

 米團治という名前は、若い落語家などに『知っているか?』と訊いても、今回米團治君が継がれることで知ったという者がほとんどで、古い者に訊いても『一度も会ったことがない』と。
 先代の米團治を知っているのは私だけになってしまいました。ずいぶん長く生きちゃったな、とそれだけが心配で。

 本日はこんな立派な場所で襲名披露をされる。こんなことは私の63年の芸歴の中でもなかったことで。
 これは本人も大変ですが、周りの方々が一生懸命支えているからのことでございます。
 これからあちらこちらに襲名披露で回られると思いますが、本人にとっては、皆さんの『待っていたよ』の声が唯一の励みでございます。
 『手を取って 共にのぼらん 花の山』
 まずは〜ずずずぃ〜〜っとおん願い〜申し上げまぁ〜すぅ〜〜〜」

 
 口上の放送を観ていて、柳家花緑の次のような点が気になった。
(1) 冒頭のおじきで、頭を上げるのが、他の師匠方と比べずいぶん早かった。

(2) 米朝師匠が「何がそんなにおかしいねん」と思わず突っ込むほど、米朝師匠と司会の南光との掛け合いで大笑いしていた。

(3) (これは、はっきりと花緑のせりふか確認したわけではないが)林家正蔵が何とか型通りの口上を述べた後、司会の南光が「本当にありきたりのあいさつでございました」と突っ込んだ時、「(あの人にしては、ずいぶんがんばって)きちんとした挨拶をしたよ」という「上から目線」の発言をしていた。

 これらはいずれも、好意的に言えば、こうした席でも物怖じせずリラックスしている闊達さ・・・と評価できるだろう。

 しかし、私はそこに「不遜」という二文字を感じたことは否定できない。

 あと、司会の南光の達者な進行ぶりと、春團治の様式美(袴姿で正座しているのだが、自分が挨拶する時以外の、いわば「控えている」時は袴のポケットのような所に手を突っ込んでいる。ぱっと見た感じ、ズボンのポケットに手を突っ込んでいるみたいで行儀が悪いように見えるのだが、春團治がやっているのだから、きっとそれが正式な作法なのだろうと感じさせた)が印象に残った。



(2) 手打ち

 この日の演目は「桂宗助、林家正蔵、桂文珍、三遊亭圓歌、手打ち、口上、桂ざこば、桂米團治」となっていた。
 「手打ち」とは何か?と思っていたら、祇園の芸妓さんたちが一列に並び、小さな拍子木を叩きながら舞台に入場してきた。

 まあ、縁起物の伝統行事であるのだろう。TVでは最後までそっくり放映していた。詳細は省略する。

 この後、TVでは、兄弟子である南光とざこばへのミニインタビューがはさまれた。

桂南光
「彼はね、噺家には向いてないんですよ。なぜかとゆうと、男前すぎる。

 しかし、一方で彼の持っている『華』とゆうもんは、なんぼ稽古しても身につかんもんやからね。

 米團治ゆう名前になったからゆうて、無理にその名前に相応しいようになろうとか考えん方がええと思う。いやでもそうなるんやから。
 中身は小米朝のままでええと思う。ええ意味で抜けた、とゆうか可愛さを忘れんといてほしい」

桂ざこば
「一応、大きな名前を襲名したんやからね。一応、ゆうたら怒られるな。ほんまに大きい名前やから。

 継いだからには、それなりの噺家に・・・・ゆうても、先代のことは、誰も知らはれへんねんからね。比べようがない。
 名前に負けんよう・・・・・てなことはよぉ言わん。小米朝なりの噺家になってほしい」

 



  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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