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(No108) 第30回市民寄席 桂米朝一門会 鑑賞記その5       

 平成20年10月1日、堺市民会館での公演・・・・・の完結編。




 

(6) 桂雀三郎 「天王寺詣り」

 

 ちょっと時期が遅れてしまいましたが、お彼岸中の噺をさせていただきます。

 「暑さ寒さも彼岸まで」てなことを言いますが、不思議とその通りですな。

 今年でゆうと9月20日が彼岸の入り、23日が中日
(ちゅうにち)、で、26日がジャイアンツ・・・・いや、結願(けちがん)

 四天王寺は日本で一番古いお寺やそうで。
 聖徳太子が建てはったそうです。実際に建てたんは大工さんでっけどな。

 四天王寺建てた大工さんは金剛組ゆうんですが、この金剛組とゆう会社が今でも四天王寺の近くにあるんです。
 四天王寺がでけたのが593年やそうですから、創業1400年以上。世界で一番古い会社やないかな、と思います。

 この四天王寺は宗派が別れる前の寺でっから、境内には弘法大師もいてはるし、日蓮さんもいてはる。宗派、関係ないんです。
 もうじき、幸福の科学と統一教会が入ってくるらしい。


 今日は、皆さんを一昔前の四天王寺さんにタイムスリップしていただきたいと思います。
 金剛組は、578年、四天王寺建立のため聖徳太子に招かれた宮大工、金剛重光により創業されたそうだ。
 そして2006年7月、自己破産。その後、新社長のもとで再出発したが、金剛家による金剛組は、1429年の歴史に幕を閉じたとのこと。
  以上の記載はwikiによる。

 左の地図はmapionから。四天王寺境内の西に四天王寺高校・中学があり、そのさらに西、道路沿いに「金剛組」と記載されているのが読めるだろうか?
 金剛組については、下記の地図でも再掲する。

 

 
「こんちわ!」
「お、久しぶりやな。さ、こっち入り」
「あんた、珍しいもん好きやて聞きましてんけど、珍しいもん見せまひょか?
 『ヒガン』て見たこと、ありまっか?
 丈は七、八寸。ネズミによぉ似てて、台所の穴を出たり入ったりして、キチキチって鳴いたりする」
「そら、まるでイタチのようやな」
「さいな。わいもてっきりイタチや思て、下駄で蹴ったろ思たら、小林
(こばやっ)さんが、
『何すんねん!ヒガンやがな』って。ヒガンゆうのは、イタチによぉ似てまっせぇ」
「・・・・何ゆうてんねん。そら、彼岸中やさかい、殺生はやめとけって言わはったんやがな」
「イタチが彼岸やったら、ネズミは中
(チュウ)日でっか?
 ほんで、ネコが出たら、けちニャン
(結願)・・・」
「もうええわ」

「ところで、彼岸て何だんねん?」
「七日の間、四天王寺で無縁の仏の供養をするんや。引導鐘
(いんどうがね)を撞くと、十万億土まで聞こえるとゆうな」
「ええ?うち、天王寺さんのほん近くでっけど、そんな鐘、聞こえまへんで」
「せやないがな。ご出家は十万億土への道を教えるゆうてな」
「何のかんのとヤマコ坊主が」
「ヤマコ坊主って何じゃい」
「そやおまへんか。わい、ちょっと前、ミナミ歩いてたら、向こうから来た坊
(ぼん)さん、
『八幡筋
(はちまんすじ)へは、どない行ったらよろしぃ?』て尋(たん)ねよった。
 そんなもん、八幡筋への道も知らんもんが十万億土への道、教えられる筈おまっかいな。

 ほんで、その引導鐘ゆうたら、誰でも撞かしてくれるんでっか。せやったら、わいも撞いてやりたい男がいてまんねん」
 「何のかんのとヤマコ坊主が」とゆう表現は、桂枝雀師匠の「八五郎坊主」でも出てきた。
 「ヤマコ」というのは、よく「できもしないことを大げさに偉そうに言う」というような意味で「ヤマコをはる」として用いられる。「ハッタリをかましてやった」という意味で「ヤマコゆうたった」と用いることもある。

「撞いてやりたい男て、お前とこ、そんな男おったか?」
「へえ、色の黒い男。色の黒い、目ぇのつった奴。あんたかて最初は可愛がってたけど、買いたてのナマブシ
(乾燥させきらず、柔らかい鰹節。厚めに切って、煮て食べたりする)盗られてから憎たらしなったゆうてた」
「・・・・・お前、そら犬とちゃうんか?」
「せやけど、オン
(雄)でっせ。
 外に出たらあかん、ゆうてたのに、表、出よって棒持った男にぼ〜ん!っていかれよった。クワァ〜ンとゆうたが、この世の別れですわ。
 むげっしょうには、どつけんもんでんなぁ

 「むげっしょう」とは、「無礙性」とか「無碍性」、または「無下性」と表記されていたりする。「どつく」とは「殴る」という意味なので、「むげっしょうにどつく」とゆうと「手加減せずに思い切り殴る」という意味になるようだ。

 例えば、この男が自分の犬を殴ろうと思ったが、可哀想で、そんな思い切り殴ることはできないものだ、というなら「むげっしょうにはどつけんもんでんなぁ」という言葉が当てはまる。
 ところが、この男の犬は見知らぬ人間の理由なき暴力で思い切り殴られ死んだのである。そんな手加減せずに殴ることなんて普通は出来ないものなのに、そうされて死んだ・・・と言っているなら、「むげっしょうには、どつけんもんやのに」(どつきよった)とならなければおかしい。

 手加減せずに殴るなんて普通の人間ならできないでしょう?と同意を求めているなら「むげっしょうには、どつけんもんでっしゃろ?」となるだろう。

 細かい所にこだわっているようだが、これはオチにもつながるところなので、どうもモヤモヤする。
 あえて、ゆうなら、普通なら、あんなむごたらしく思い切り殴ることなんかできんもんでんなぁ。(ねえ、そうでっしゃろ)と暗に同意を求めているとでも解釈しておきたい。

「お?お前、泣いてんのか。しかし、どこぞの世界に、犬のために鐘つく奴がいてるか?」
「そやけど、いぬ導鐘ゆうて」
「泣きながら、シャレゆうてる。そこまでゆうなら撞いてやんなはれ。供養になる」
「引導鐘つくには、どうしたらよろしぃのん?」
「何ぼか金を包んで渡すんや」
「へ〜え。ほたら、ちょっと立て替えてやったら、どないでやす?」
「何や他人事
(ひとごと)みたいにゆうてんなぁ。そやけど、なんやで。おまはんには、前も別のことで立て替えて、まだ返してもろてないで」
「ああ、あんなん、いつでもよろしぃがな」
「お前としゃべってたら、何ぼほど損がゆくかわからんな。まあ、ええわ。
(奥に向って)ああ、ちょっと、紙に包んで、持ってきてやっておくれ。

 さあ、これ、白紙
(しらがみ)では、あかんのやで」
「何ぞ書きまんのん?」
「戒名、書かないかん」
「戒名ゆうたら、よぉ釈
(しゃく)ナントカ・・・・・てなことゆいまんなぁ?
 どうですやろ、釈一匹ワンちゃんゆうのは?」

 浄土真宗における戒名は「釈」の後に漢字2字をつける。ちなみにうちの親父の戒名は釈源藤。
 ゆうまでもないが、「釈一匹〜」はディズニーアニメで、少し前、実写版でリメイクされた(「101(ONE O ONE)」)「101匹ワンちゃん」のシャレ。

「俗名でええわ。何?クロ?命日は?」
「3月15日です」
「よくせきなりゃこそ、やなぁ
(よっぽど犬を可愛がっていたならばこそのことだなぁ)。犬の死んだ日ぃを覚えてるとは。それから?」
「それから、て、何ぼ書いても値段は同じでっか?
 ほな、ついででっさかい、うちのおやっさんを・・・・」
「お前、何ぼ何でも犬のついでに、我が親、供養するてなことが・・・」
「へへ、ここらが現代」
「現代てなことがあるかぁ!戒名は?」
「れいがんきてい
(霊厳貴鄭?)信士です」
「命日は?」
「これが忘れたんですわ」
「お前、犬の命日覚えてるくせに、我が親の命日忘れるとは・・・」
「ここらがハイカラ。
 え〜っと。暑い時分でねぇ、確かスイカ食てたから・・・そうそう7月の22日」
「食いもんで覚えてんのかいな。後は?」
「ほな、あんたの名前も書いといてもらおか」
「あほなことゆいな。ほな、過去帳一切の諸霊
(しょうれい)・・・っと」
「へえ、おおきに。あんたは一緒に参りまへんのか?」
「わいは明日の中日
(ちゅうにち)に参るんや」
「そんな明日なんてゆうて。小野小町がゆうてまっせ。『人間は風前の灯火
(ともしび)。明日をも知れぬ』と。
 一休さんは、『小野小町は気ぃが長い。今日をも知れん』て言いはった。

 ご開山は、こうゆうた。『明日ありと思う心のあだ桜 夜半
(よわ)に嵐の吹かぬものかは』
 ただ南無阿弥陀仏・・・・」
「法談ゆうてんねやないで。まあ、しゃあない。牛に牽かれて善光寺参りとしよか」
「いや、犬に牽かれて天王寺参りでっせ」
「掛け合いやな。
(奥に)ちょっと、羽織、出してくれるか」
「ほな、わいの羽織も出してくれるか」
「お前の羽織がどこにあんねん?」
「いや、ちょっと借りよか思って」
「何でやねん。ああ、ちょっと紙入れ
(財布)も入れといてや」
「わいの紙入れも頼んます。札、ようけ入れて」
「何ゆうてんねん。表、出よ」


「忙しいのに、引っ張り出してすんまへんなぁ〜」
「今さらベンチャラ
(お世辞)ゆうて、どないすんねん」
「ぎょうさん坊
(ぼん)さんが歩いてまんなぁ」
「昔から『忙しい 下寺町
(したでらまち)の坊主持ち』てなことをゆうなぁ」
「向こうから歩いてくんのは、ええ坊さんでんなぁ。あら、上坊主でんなぁ。やっぱ、あんなんは二十坊主?」
「花札やがな、それは。

 こっち出とぉいで(出ておいで)。これが逢坂の合邦ヶ辻(がっぽうがつじ)。西に見えんのが新世界、ひときわ高いんが通天閣や。

 こっちおいで。これが一心寺
(いっしんじ)さんで、向かいが安井の天神さん。

 早いもんや。正面が天王寺は石の鳥居
<下記境内解説図1>。これを『日本の三鳥居』とゆうなぁ。
 大和吉野の唐金
(からかね。銅)の鳥居。安芸の宮島が楠(くす)の鳥居。ほんで、天王寺の石の鳥居で、これを日本の三鳥居とゆうんや」

 「忙しい 下寺町の坊主持ち」というのは意味がわかりにくい。
 よく子供の頃、電柱ごとに交代でランドセルの持ちっこなどをした。それのバリエーションで、犬がいてたら交代するとか、自動車が来たら交代する・・・といったルールをつくることがあるが、その「坊さん」バージョン。
 普通なら、なかなか交代できないが、下寺町だとやたらお坊さんが多いため、ひんぱんに交代しなければならないので忙しい・・・という意味。

 「二十坊主」とは、花札で8月のススキの札(左図参照。俗に「坊主」と呼ぶ)のうち、一番左、満月が描かれた20点札をいう。

 「三鳥居」と強調して言うので、ウィスキーの「サントリー」に引っ掛けたギャグでも言うのか?と思ったが、それは言わなかった。

 
 逢坂が松屋町筋と交わる所が合邦ケ辻なので、左図の○で囲んだ場所あたりと思う。
 そこからだと確かに通天閣は西に見える筈。
 また、正面に石の鳥居が見えるというのだから、矢印のように視線は東へ向っていたのだろう。

 なお、合邦ヶ辻の南には現在では市立天王寺動物園や、私がけっこう行ってる大阪市立美術館がある。

 なお、浄瑠璃、歌舞伎などの演目に「摂州合邦辻」というのがある。興味のある方は別途、google などしていただきたい。
 「摂州合邦辻」には俊徳丸という人物が出てくるが、うちの家の比較的近所に「俊徳道」という駅(近鉄&JR)がある。
 もう少し拡大してみる。

 合邦ヶ辻から東に向いて進んだということは、右手に一心寺があり、その向かい、左手に安井(安居)の天神さんが見えたものと思われる。

 ついでに「金剛組」の場所も○で囲んでみた。

 

「鳥居の上にちり取りがかかってまんなぁ」
「あら、額やがな。あこに字ぃが書いたぁんねが、読めるか」
「四・四の十六字でんなぁ」
「数やないがな。釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心と書いたぁる」
「何もわからん猫の糞や」
「何じゃ、そら。あら、弘法
(大師)の支え書きとゆうなぁ」
「ああ、ドジョウ汁に入れたらうまい」
「そら、ごんぼ
(牛蒡)のささがきじゃ。
 まことは、小野道風
(おののとうふう)の直筆ともゆうなぁ」
 小野道風は能書家で、藤原佐理(ふじわらのすけまさ)、藤原行成(ふじわらのゆきなり)とともに三蹟と呼ばれる。
 また、空海(弘法大師)は、橘逸勢(たちばなのはやなり)、嵯峨天皇とともに三筆と呼ばれる。

「しかし、あの額はえらい古いですなぁ。縁(ふち)が片っぽ取れたぁる」
「せやない。箕
(み)ぃの形をかたどったぁるんやな。死んだ人を救う(すくう)というわけや。
 下に蛙
(かえる)が彫ったぁる。上に箕(み)、下に蛙で、『上から下へ見ぃ返る』」
「ほたら、わたいは、ここでひっくり返るっと・・・・・・あ、痛ったぁ〜。立石
(たていし)でデボチン(おでこ)打った」
「立石ゆう奴があるか。こら、ポンポン石
<下記境内解説図1>とゆうな。真ん中に穴が開(あ)いてるやろ。ここを別の石で叩くと、『ぽ〜ん、ぽ〜ん』と唐金(からかね)のような音がする。
 また、耳をつけてみたら、我が身寄りのもんがあの世でゆうてる声が聞こえるとゆうなぁ」
「へえ〜。ほたら、こないだ死んだ叔母はんの声が聞こえるかも知れん。ちょっとやってみたろ。
・・・・・ふんふん・・・・なるほど・・・・へへ、ちょこざいな」
「何をゆうてんねん?」
「いえ、こないだ死んだ叔母はん、如才ない人間やったけど、あの世でも閻魔はん取り込んで手広ぉ商売やってますわ。『景色
(けいしょく)のええところが空いてございます。おでんの熱々が煮えとります。どうぞお休みを』ってゆうて」
「そら、隣の茶店の声やがな」
「ああ、あら茶店でっか」
  「箕」(み)というのは、安来節(泥鰌掬い)で持ってるやつ。(左写真参照)

 これから更に四天王寺境内の解説が続く。
 とてもメモし切れなかったので、詳細は「【上方落語メモ第4集】その175 天王寺詣り」(こちらは、メモを頼りに「こうしゃべったんとちゃうかなぁ」と勝手に復元している私のサイトと違い、忠実にテープ起こしされている「世紀末亭」さんというすごいサイト)を参照させていただいた。
 また、そちらで紹介されていた「はなしの名どころ」というサイトや、四天王寺公式HPも参照させていただく。

「こっち出とぉいで。これが納骨堂<下記境内解説図2>。布袋(ほてい)さんがお祀(まつ)りしたぁって、乳母(おんば)さんや乳の出ん方はここへお参りするなぁ。

 こっち出とぉいで。これが天王寺の西門
(さいもん)<下記境内解説図3>や」
「えらい敷居が高いですなぁ?」
「天竺かたどって敷居が高こぉしたぁるゆうで」
「何ですか、この車は」
「そら、『輪宝』
(りんぽう)<下記境内解説図3>や」
「ああ、しょんべんの出にくいやつ」
「そら淋病や。
 天王寺は天竺をかたどって手洗い水がないが、この車を三べん回すと手を洗
(あろ)ぉたもおんな じことやとゆうなぁ」
(何べんか回してみて)
「へっ、この”もさいき”が」
(注 このうそつきが、ええ加減なことを・・・ってなニュアンスなのだが、「もさいき」って言葉は聞いたことがない。おそらく、私の聞き間違い、メモ間違いと思うが正しくは何なんだろう?)
「何をゆうてんねん」
「いえ、わたい、最前
(さいぜん。さっき)まで尻掻いてたんですわ。ほんで、この輪宝回したけど、手ぇやっぱり臭い」
「アホなこと、ゆうねやないがな。
 さ、こっち出とぉいで。これが義経の鎧掛け松
<下記境内解説図4>
 これが、文殊堂
<下記境内解説図5>や。
 これが金堂
<下記境内解説図6>。この中にあんのが、『あわたろうのもくぞう』(淡太郎の木像)や」
「ああ、まっちゃんが子供さらわれた」
「そら、『がたろのごくどう』
(「我太呂」又は「河童」の極道)や。よぉ、そない、うまいこと間違うなぁ。

 淡路屋太郎兵衛
(あわじやたろべえ)、紙屑問屋で、我(われ)一代で身代こさえて(こしらえて、築いて)我一代で使(つこ)てしもた。天王寺さんが焼けた時に、そこの五重塔<下記境内解説図7>を建立したんや」
「え?五重の塔て、一つ、二つ、三つ・・・・・・四つしかおまへんで?」
「もう一つ上にあるやろがい」
「あっ、あの蓋も入れまんの?」
 さらりと「子供が誘拐された」なんて言ってるが、昔は「子取り」なんて言葉がけっこう日常会話に出ていたと、うちの親からも聞いたことがある。
 「がたろ」とゆうのは「河太郎」の音便で「河童」を指す。また、落語「代書屋」などでは川底の廃品回収業を「がたろ」と言っている。
 また、私も知ってる言葉としては(おそらく「がたろ」なる川底の廃品回収業の方々の必須アイテムだと思うが)ゴム長靴がズボンみたいに長くなって、さらに「オーバーオール」みたいに胸まで来るやつを「がたろ」と呼んでいる。


「さ、こっち出とぉいで。 これが南門、仁王さん
<下記境内解説図8>いてはんのがここやなぁ。
 西に見えるが紙衣
(かみこ)さん<下記境内解説図9>
  虎の門
<下記境内解説図10>太子堂<下記境内解説図11>。ほんで太子さんの引導鐘<下記境内解説図12>や。

 猫の門
<下記境内解説図13>は左甚五郎の作、大晦日の晩にはここの木彫りの猫が鳴くとゆうで。
 用明殿
<下記境内解説図14>。指月庵<下記境内解説図15>。お太子さん十六歳のお姿や。

 亀井水
<下記境内解説図16>は、経木(きょうぎ)流しに来んのがここやで。

  西に見えんのんが丑さん
<下記境内解説図17>で、前が瓢箪の池<下記境内解説図18>

 東に見えんのんが東門
<下記境内解説図19>で、内らへ入ると釘無堂<下記境内解説図20>に本坊<下記境内解説図21>に釈迦堂<下記境内解説図22>や。

 こっち回り。
これが大釣鐘<下記境内解説図23>に、足形の石<下記境内解説図24>に、鏡の池<下記境内解説図25>に、伶人(れんじ)の舞(まい)の台<下記境内解説図26>やがな」
「ほな、♪天王寺の蓮池にぃ、亀が甲干す、ハゼ食べる。 引導ぉ鐘ゴンと撞きゃ、ホホラのホイッ♪ちゅうのはどれでやす?」
「蓮を亀が全部食べてしもて、今は亀の池
<下記境内解説図27>とゆうなぁ」
  <境内 解説図>
1:石の鳥居、額、根本の蛙、ぽんぽん石 2:布袋堂(納骨堂。その右に「布袋さん」というのがあるので、どちらか迷っている) 3:西門・輪宝 4:義経の鎧掛松 5:太子念仏堂(注 地図では「文殊堂」と書かれていないので間違っているかも?) 6:金堂 7:五重塔 8:仁王門(「南門」自体はもっと南にある) 9:万灯院(紙衣さん) 10:虎の門 11:太子殿(太子堂) 12:太子引導鐘(南鐘堂) 13:猫の門 14:用明殿 15:指月庵 16:亀井水(亀井堂) 17:丑さん18:瓢箪の池 19:東門 20:釘無堂 21:本坊 22:本堂(釈迦堂かどうかは不明) 23:大釣鐘(英霊堂) 24:足形の石 25:鏡の池 26:石舞台(伶人の舞の台) 27:亀の池 28:引導鐘 

 

「向こうの方に亀、寄ってまんなぁ。向こ、行きまひょか?」
「手ぇ叩いたら、こっち来るで」
(ぱん!ぱん!と手を叩く)
「ああ、ほん
(本当)に。手ぇ叩いたら来るやなんて、ここの亀は、元仲居か?」
「アホなこと言いなや」
「エサ欲しいんか、踊ってまんがな。
 こない可愛いんやったら、わい、そら豆のひとつも持ってきたのに」
「そら豆みたいな堅いもん、亀に噛めるかいな」
噛めんもんに、何で亀
(噛め)ゆうねん!

 こないゆうてますと、天王寺さんに二人より
(二人しか)いてへんみたいですが、 せやおまへん。
 参詣人が押し合いへし合いし、ぶっちゃけ商人
(あきんど。道端(みちばた)に商品をぶちまけて店を開くような商人)が店を出したりしておりまして・・・・。


「こんなん、どうじゃい。
 江戸寿司ぃ〜〜 握りたてぇ。
 早や寿司ぃ〜〜 うまいのん!」

(と、職人が屋台で握り寿司を握る。大坂寿司は箱寿司、押し寿司なので、握り寿司は「江戸寿司」とか「早や寿司」といったのだろう。
 この後、くしゃみをしたが、そのまま握って「ハナ(汁)まで一緒に握っとぉる」というギャグに続ける。
 寿司職人とゆうと、「おまはん、さっきトイレに行ったが、手ぇ洗っ(あろ)てへんのちゃうか?」「いいえぇ。二、三個握ってたら、きれいになりまっさ」というギャグがポピュラーだが、そのバリエーションか。

 あと、見台(けんだい)の拍子木を独楽(こま)に見立ててぶ〜ん、ぶ〜んと回したりする。
 また、拍子木を立て、扇子でぽん!と引っくり返したりして「亀山のちょんべさん」と言ったりする。これは、ゴムとかの弾力で、竹の板を重ねたようなおもちゃで、床に置いておくと、しばらくしてびよぉ〜ん!と跳ねて引っくり返るものではないかと思う。

 あと、お乞食さんが出てくる。


「地蔵さぁん〜、賽(さい)の河原の物語ぃ〜〜一つ積んではぁ〜父のたぁあめぇ〜〜」と御詠歌(ごえいか)歌いながら、こっちでは観音さん(「しらみ」の俗称)を殺しとぉる。

 一番忙しいのがお乞食さんですな。
 私は、大阪200人の落語家の中で、一番お乞食さんが似合うと言われてます。
 
(腰や手が曲がった状態で、人のお恵みを受ける。参詣客が多く、お恵みが多くなると・・・・)忙しぃなってくると曲がった手ぇまで、伸ばしよる。

 アホダラ経の坊さんもいておって・・・・

 「阿呆陀羅経」(あほだらきょう)というと、経文に似せたこっけいな文句を、チャカポコ チャカポコと木魚なんぞを叩きながら、唱える芸らしい。

 口を丸く開けて、膨らまし気味の頬っぺたを指先でぽん!ぽん!と叩き、木魚のような音を立てている。
 「いつもより、余計に叩いております」とゆうのは、海老一染太郎、染之助兄弟で傘の上で急須やマリ、酒の枡などを回す芸の時、必ず毎回「(皆様への特別サービスで)いつもより余計に回しておりますぅ〜!」とアナウンスすることのパロディ。
 しかし、「いつもより余計に〜」とゆうのはメチャメチャ使用率の高いギャグである。


「何です、これ?子供の服や人形、おもちゃなんぞが吊ったぁりますけど」
「これは、ちっちゃい子が亡くなった時、家にその子の服やオモチャが残ってると、また思い出して、涙の種になるやろ?しやから、そうゆうのをここに吊っておくんや」
「なるほど。ほたら、わいもクロの欠けた茶碗でも吊らくろうかしらん?」
「もう、えぇ。
 さ、これが引導鐘や。早
(は)よ行って、頼みんかいな」

「へい。・・・・・・・おい!坊
(ぼん)さん!」
「これ!『ひとつよろしゅうお頼み申します』とゆわんかい」


(坊主。男からの依頼を受け取って)南無阿弥陀仏(なまんだぶ。なむあみだぶつ)、なまんだぶ、なまんだぶ、 なまんだぶ・・・・・・・・・・・・。
 願我身浄如香炉
(がんがしんじょにょこぉろ)、願我心如智慧火(がんがしんにょちえか)、念念焚焼戒定香(ねんねんぼんじょかいじょう こぉ)、供養十方三世仏(くようじっぽぉさんぜぶつ)、一切経々。
 なまんだぶ、な まんだぶ、なまんだぶ・・・・・・・。今日
(こんにち)引導鐘の功力(くりき)を以って、三月十五日の諸霊(しょうれい)・・・・・・・俗名クロぉ?え?これはご婦人ですか?」
「いや、オンですけど」
「・・・・・・・・先祖代々、過去帳一切の諸霊
(しょおれい)ぃ〜〜
 なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶ・・・・・ガンガンガンガン ウゥウ〜 オォ〜〜ン!


「お前が鐘をついたろぉゆう気持がクロに通じて、クロが鐘に乗り移ったようやで」
「え?」
「鐘の最後の『ウゥウ〜 オォ〜〜ン!』ゆうのが、クロの鳴き声によぉ似たぁるがな。聞いてみい?」

「 なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶ・・・・・ガンガンガンガン ウゥウ〜 オォ〜〜ン!
「クロ、お前、来てたんかいなぁ。そうと知ってたら、鰻のシャッポンなと買
(こ)うてきたのに」
「鰻のシャッポンゆう奴があるかい」

 シャッポンとゆうのは、フランス語のシャポー(帽子)。
 かなわないと「兜」を脱ぐことを「シャッポを脱ぐ」と表現したりもする。

「坊さん、引導鐘は三つと聞いてる。
 あと一つ、わいに撞かしてもらわれへんやろか?」
「ああ、撞いたげなされ。功徳
(くどく)になります」
「おおきに。・・・・・・・・
(と、変な文句を唱える)
「阿呆陀羅経や、それは」
「クロ。ええ声で頼むで。
 ひぃのふぅのみぃ〜」
 
クワァ〜〜ン!

「ああ、むげっしょうにはどつけんもんでんなぁ」


 



  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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