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(No104) 第30回市民寄席 桂米朝一門会 鑑賞記その1       

 平成20年10月1日、堺市民会館での公演。
 


(1) 桂ちょうば 「時うどん」

 
当日、終業時間になったらすぐに出るつもりであったが、間際に急用ができて出遅れた。

 思えば初めてこの市民寄席に行ったのは平成16年12月のことだった。
 その時も時間がなくて、しかも堺市民会館の場所もよくわからないので駅前からタクシーに乗ったものだった。

 その時に比べると、抜け道で最短路をとり、行儀が悪いが歩きながら途中で軽く腹ごしらえするなど慣れたものである。

 しかしながらスタートの遅れはいかんともしがたく、マクラの部分は聞き逃してしまった。

 

 以前にも書いたように「時うどん」には、
(1) 兄貴分と二人で食べ、翌日真似をする
(2) 他人が食べているのを横で見ていてカラクリに気づき、翌日やってみる・・・の2パターンがある。

 関東の「時そば」は基本的に(2)パターン。

 あと、前日のうどん(そば)と同じように出てくるのが早いとか、塗り箸ではなく割箸を使ってるとか、かまぼこが厚いとか誉めようとするのだが、今晩のは・・・・というギャグもある。

 ちょうばの演出は、「時うどん」としてはスタンダードな「二人で食べる」パターン。そして翌日のうどんは、前日のそれに比べそれほどレベルが落ちない・・・・・・ということで、前回に聴いた「時うどん」と同じだった。

 


(2) 桂よね吉 「七段目」

 
落ち着いた風情で登場。客席右手の誰かが「待ってました!」と声をかけた。一瞬ニヤリと嬉しそうな顔をして高座に着く。
 こちら堺はわたくしの師匠、吉朝の故郷でございまして、利休寄席、ジョイフル寄席(注 「堺一条じょいふる亭」のことだろう)などね。堺の皆様にはお世話になりっぱなしでございます。

 先ほども声をかけていただきました。出てくる時に「待ってました!」とお声をかけていただくのは非常に嬉しいものでございます。
 こないだは、帰る時に「待ってました!」って言われましてねぇ。あら、悲しいもんです。

 今日は師匠にちなみまして、お芝居の噺をやらせてもらおうと思ってるんですが、落語と芝居ゆうのは、よく似ております。
 で、どこが違うか、とゆうとお値段が違うんですね。南座とか歌舞伎座の顔見世なんてなりますと2万8千円ですからね。
 今日は・・・・3千円でしょ?

 こちら堺市民会館なんかはつくりが似ておりますが、歌舞伎座などは2階席、3階席までございますからね。

 1階にずぼ〜んと花道がございまして。

 1階席がその2万6千円(注 先ほどと値段が微妙に違う。なお、初めてよね吉の「七段目」を聴いた時は確か2万6千円と言っていた)でして、2階、3階と上に上がるにつれて値段が安くなる。空気が薄いせいなんでしょうかね?
(会場の2階席を見上げ、軽く手を振り)大丈夫ですか?息苦しくないですか?

 私らお金がないもんですから、たいてい3階席で、そこへ行くと、「大向こう」なんてゆう人がいて、突然、
「だぁ〜〜!!」
・・・・・・なんて、声を出す。

(会場中、突然の大声にびっくりして、一瞬し〜んとなる。と、よね吉は前列の客の誰かを見ながら)
 まだ、寝やさへんでぇ〜  今からやでぇ〜

 まあ、今の声は別に寝てる人を起こすために出したわけやのうて、屋号を呼んでます。

 今いろいろ話題の海老蔵さんなら成駒屋
(注 私は成駒屋に聞こえたのだが、市川海老蔵なら「成田屋」が正しいのだろう。聞き間違いと思う)とかね。(尾上)菊五郎さんなら音羽屋。パリ公演などで有名な(中村)勘三郎さんなら中村屋。(片岡)仁左衛門さんなら松嶋屋。

 あと、高島屋・・・・・・・大丸、そごう。
(注 よく使われるギャグだが、「高島屋」は市川左團次の屋号でもあるが、大阪ミナミの難波にある百貨店の名前でもある。で、大丸とそごうは、大阪ミナミの心斎橋にある百貨店の名前)

 この屋号も関東と関西では呼び方が違(ちご)てまして、関東はフルバージョンで呼ぶ。「松嶋屋!」って呼ぶんですな。
 ところが関西では下半分しか呼ばん。「・・っしまや!」てなもんですな。何や「だしの素」みたい。
(注 「シマヤ」という会社が出している「だしの素」という商品がある)

 

 

「番頭さん。うちのせがれはどないしてますかな?いや、言わいでもええ。どうせ、また芝居ですやろ。まったく、あの鉄砲玉が。

 こないだも、あんまり芝居でうちを空けるもんやさかい、皮肉で『こなた、ずいぶん熱心に芝居に通ぉておるようやが、月に何べんほど行ってるのやな』と尋
(たん)ねたったところ、『へえ、おかげさんで月に二日は・・・・・・・・休ませてもろてます』なんて言いよった。
 本職の役者よりよけいに通ぉておるんやから。

 だいいち、熱心なお方は、芝居の演目が変わるごとに観に行かれるてなこと、ちょいちょい聞くけど、うちのアホは、おんなじ芝居を毎日観に行っとるさかいな。ほんまにどんならん
(本当にどうにもならない、どうしようもない)で。

 そや。こないだ、珍しく
(ばさっと、両手で着物のたもとを後ろに払って)『本日は店ぇ番、させていただきます』とゆうてくれよった。
 口調はおかしかったけど、ああ、あいつもちったぁ店のことを考えてくれてんのか思たら嬉しかったで。

 そやから奥で店先の様子を伺
(うかご)うてると、まん悪ぅ(折り悪く)来たんが巡礼の親子や。何ぞ妙なことにならんと良いが・・・・思てたら、あいつ、最初は可愛い、可愛いと巡礼の子供の頭を撫ぜてたんやが、その子に故郷(くに)を訊きよった。

 子供は正直やがな。『へい、大和の郡山です』と答えたら、『そんな筈ない。阿波の徳島やろ!』、『違います。大和の郡山・・・』ゆうたとたん、『うそ抜かすな』って
(と、片手で襟首を持ち、ぱんぱんぱんと平手打ちして、指を二本出して両目を突く仕草)子供の目ぇ突きよったんやで。

 子供は泣くし、親は怒るし、で大変やったんや。何ぼか
(詫び金)包んで平謝りに謝って。

 ん?どうしたんや。店先が騒がしいで。何?若旦さんが向こうの角から六方踏んで帰ってきてるて?

 今日という今日は、きつぅ意見してやります。あ、番頭さんは店の方、戻っといてもらえますか。いや、あんたにそこへおられては、小言の切っ先が鈍りますでな」


 旦那は玄関先に座って息子の帰りを待ち構える。
 煙草盆を引き寄せ、煙管で一服吸いつけ、とん!と叩いて灰を捨て、ふっ!と吸い口を吹いて、上目遣いで息子の顔を見上げ、皮肉な調子で「えらい帰りが遅かったな」と尋ねる。

「遅なわりしは、拙者、重々の不覚。さりながら、御前に出(い)づるは間(ま)もあらんと、お次に控えおりました」

「・・・・アホ!いきなり芝居の真似しくさって。ほんまに情けない」

(女形口調で)そら、わらわとて同じこと」
(周りをきょろきょろ見渡し)お前かい、今、何かゆうたんは?」
(同じく女形口調で)枝ぶり悪しき桜木は、切って接木をいたさねば太宰の家が立ちがたしぃ・・・・・」
「太宰の家どころやないわい。うちの家が危ないわ。
 もし、わしに何ぞあったら、この家の身代、お前がすっくり継がなあかんのやで。わしは、それが心配で心配で」

「さ、そのお嘆きはご無用、ご無用。常が常なら、この梶原。贋首
(にせくび)取って・・・」
「まだゆうてんのんか!
(と、せがれを殴りつける)

「痛っ、いったぁ〜
(と、痛さに思わず素(す)に戻るが、すぐにまた芝居口調で)どこのどなたか存じやせんが・・・(と、額に当てた手を見ると血が付いている。ぷ〜っ!と口から強く息を吐き、驚きを表す。)
 こりゃ、こりゃ男の、生き面ぁにぃ〜〜料簡・・・(と、親父に殴りかかろうとする)

「若旦さん!若旦さん!こら、あんさんが悪い!あんさんが悪い!」
(と、番頭が後ろから若旦那の帯をつかんで必死に止める。若旦那、それを振り返り)
「誰かと思えば、この家(や)の番頭。せっかくお前(めぇ)が止めるから、今度ばかりは辛抱するが、(と、父親の方へ向って)やい、親父!(親父は、びくっとした様子)
 晦日
(みそか)に月が出る里も、闇夜があるから、おべぇ〜〜てろぃ(覚えていろ)!!」

「やかましわ!二階、上がっとれ!生涯、降りてくな!」


「若旦さん!ええ加減にしなはれ!」
(両手を合わせ、軽く首を傾け)番頭、ゴメン!あんまり、親父がポンポン言いよるもんやさかい。でも・・・・盛り上がったな(と、軽くガッツポーズ)
「何、ゆうてなはんねん。はよ、お二階へ、お二階へ」
「お二階、お二階って、お前は料亭の仲居か。

 ああ、しかし、こうゆう階段見ると、思い出すなぁ。八百屋お七。
 人形振りの芝居や。
(番頭に向って)人形振りって知ってるか?
(歌舞伎役者が人形浄瑠璃の真似をして、うつろな目をして、腕なども上から吊り上げられてるような様子で、首をカクカクカクと小刻みにゆすりながら、ゆっくりと見回す)
「背中、さすりまひょか?」
「具合悪いんちゃうがな。八百屋お七、火の見櫓の段。『この太鼓の鳴る時は、町々の木戸も開き、吉祥寺にも行かるるとのこと。打てば答ゆる櫓の太鼓・・・・・』」
(と、若旦那はお七になり切る。お七はランドセルというか背負子(しょいこ)のようなものを担いでいるのか、肩掛け紐を両手で持ち、首を大きくがくん、がくんと前後させ)
「はっ!トッチチリ トッチチリ・・・・

 ほんで、お七は梯子を上がるんやで
(と、若旦那は階段を上がりながら、自分の芝居を解説する。そして、中段あたりまで上がったとこで)
 トチ、トチ、トチ・・・・・このあたりで、いっぺん滑り落ちよんねん。ずるずるずる・・・・・・・」

「階段くらい、まともに上がれんのか!」
「はは、親父が怒っとぉる。よぉ怒る親父や。
(と、少し前かがみになって、足をバタ足のように振って音を出す。急いで階段を上がっているところの表現)

 しかし、今日の芝居は良かったなぁ。忠臣蔵三段目の返し。お軽、勘平のみちゆき。片岡仁左衛門やぁ。男前やなぁ。皆、わしによぉ似てるってゆうねん。
(もう、そんなことゆわれたら照れくさくてたまらんって感じで身をよじる)
 『よぉ!ご両人!』って声がかかってたなぁ。
『っしまやっ!!』
『だぁ〜っ!!!』」
(一階にいる旦那は、天井を見上げ)そろそろ、何ぞ始めよったでぇ。
 これ、定吉、定吉!」
(丁稚の定吉も芝居口調で)はは、なに、御用にござりまする?」
「化けもん屋敷か、このうちは。まともな奴は一人としておらんのか?

 あのなぁ、二階上がって、せがれを止めてきなはれ。ゆうとくで。一緒になって芝居したらあかん。せがれの芝居を止めますのやで」

「へぇ〜い。
(と、先ほどの若旦那と同じく、バタ足で高座を叩き階段を駆け上がるさま。必死で芝居をしている若旦那の様子を伺い)
 うわっ、一人で目ぇむいてるがな。
 へへ、旦さんも何ゆうたはるねん。一緒になって芝居したらあかん。止めますのやでって。このわいが、一緒になって芝居したりするかいな。
(と言いながら、いきなり)ささ、若だぁ〜〜んなぁ〜〜 芝居の真似をやめればよし やめぬなんぞとぬかすが最後 ひっつかめぇて(ダン!ダン!と鳴り物)とっつかめぇて(ダン!ダン!)やりゃあ しょめぇ〜が 返答は さぁ さぁ さぁさぁさぁさぁ〜 なんと なぁ〜んとぉ〜〜」(と、見得を切る)

(ほとほと感心したように)定吉、うまいがなぁ。よ〜し、わいも負けてられへん」(と、殺陣の真似で刀を振り回して、定吉に迫る。定吉、慌てて後ろを気にしながら後ずさりして)
「若旦さん!あかんて!危ない!あっ、あっ、ああぁ〜〜」


(旦那は二階を見上げながら)やっかましいなぁ。あっ!何ぞ、上から黒いもんがころこんで来たで。
 あ、定吉やないかい」
(定吉、混乱して)かんぺいぃ〜〜」
「ああ?勘平やて?また、忠臣蔵の真似事でもしくさってたな。五段目か?六段目か?」
「いいえ、階段のてっぺんから落ちました」

 
 以前、「七段目」の演出については、米朝バージョン、小米朝バージョン、吉弥・よね吉バージョンで比較した。(落語(69)参照)
 つまりは米朝バージョンと吉朝バージョンに大別できるのかもしれない。

 今日のは、典型的なよね吉バージョンではあるのだが、二階に上がってから配役の相談などをすることもなく、いきなり若旦那に斬りつけられて、階段から落ちる。
 旦那も下で「五段目か、六段目か」と訊いて「てっぺんから落ちました」と答える。要するに「七段目」という単語がどこにも出てこない。

 会場の演目表(最近の落語会では多いのだが、演目は「当日のお楽しみ」となっており、帰り間際に手書きで演目を書いて会場に貼り出される)には確かに「七段目」と書いてあったのだが、よね吉が、以前NHKの新人演芸大賞で口演した「芝居道楽」とした方がよかったのではないだろうか。

 まあ、演目の表記はどうであれ、得意中の得意ネタであるし、その落ち着き振りは風格すら感じさせるもので、同じ吉朝の弟子でも、最近やや慢心してるかのように思える兄弟子の吉弥よりかなり上なんではないかと感じた。



  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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