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北京旅遊記(17) 北海公園〜仿膳飯荘(宮廷料理)編


 北海公園に着く。ここは、故宮の西北にあたる。
 バックが曇り空なので、判別しにくいが、右写真の白塔が北海公園のシンボル。
 高さ36mのチベット式仏塔である。

 北海という人造の池の南部に瓊華島という周囲880mほどの小島がある。
 白塔は、その瓊華島の中心部にある。

 この島の北部に潴瀾堂という建物があり、その一角に本日の昼食場所である仿膳飯荘がある。
 ガイドブックによると、宮廷の料理人たちが1925年に開業したそうだ。 
北海公園の白塔

 左下の写真は仿膳飯荘の入口。潴瀾堂の額の下に水墨画の衝立。その横にひっそり立つ、赤い大きな髪飾りをつけた女性が印象的である。

ほう膳飯荘入口  両脇の赤い柱。右側には「仿膳飯荘(庄)」。左側には、「宮廷風味」と書いてある。
 お互いに見つめあう白い夫婦獅子。

 さて、テーブルに案内される。
 そんなに室内は広くない。し、しかし、金きらきんやあ〜。

 ウェートレスはいずれもチャイナドレスなのだが、一人だけ、宮廷服に赤い大きな髪飾りをしている。

 チーフ格なのだろうか。
 それとも、年齢が若かったので、容姿や若さで決めているのだろうか?

 メニューが出されたので、転記しておく。なお、特に料理の説明等はなかったので、注記は辞典などで調べたもの。

 菜単

○ 開胃冷盤
 「開胃」は「食欲が出る」。「冷盤」は、冷菜、オードブル。

○ 罐燜三鮮
 「罐燜」は「ぴったりとふたをしてとろ火で煮込む」。「三鮮」は、魚介や肉、野菜などの食材のうち3種で調理したもの。

○ 燕尾桃花蝦
 どのような料理か、よく覚えていない。海老料理には違いないのだが。

髪飾りが印象的なおねえさん

○ 炸佛手芋奶
 「炸」は「揚げる」。「佛手」は、かんきつ類の一種。「奶」は牛乳。

○ 焼海参蹄筋
 「焼」は、調理法では「油でいためてから、調味料やスープを加えていためたり煮込むこと」。「海参」はナマコ。「蹄筋」はウシやブタ、ヒツジなどのアキレス腱。

○ 炸烹草
 「烹」は、「材料を油でさっと炒めてから調味料を加え、手早くかき混ぜて皿に盛る」こと。「草磨vは、食用キノコの一種であるフクロタケ。

○ 左宗棠鶏
  左宗棠は、太平天国の乱の辺で出てくる将軍。ネット検索の結果では、下味をつけた鶏肉を油で炒め、黒酢を加え、ピーマンなどをさらに炒めたもので、左宗棠将軍府の十八番料理だったと、ここの掲示板(※注 平成16年4月12日現在リンク切れ)では書かれていた。

○ 菊花魚
 魚を酢豚みたいな感じで揚げてあるのだが、庖丁を入れて松かさのように細工しているので「菊花」と表現しているのだと思う。

○ 時蔬合炒
 時鮮は、旬の食材といった意味らしいので、旬の蔬菜をいくつか炒めあわせたものという意味だろうか。

○ 肉末焼餅
 これについては、後述。

○ 宮廷点心
 豆の羊羹や、かるかんみたいなお菓子の盛り合わせ。

○ 水菓
 「水菓」とは、日本語でも果物を水菓子というが、中国語でも果物。 

店内の様子  『歩き方』に載っている写真の料理に比べると、かなり「お手軽」版のように思う。 しかし、これまでの料理の中では一番おいしかった。

 店内の雰囲気は左写真を見ていただきたい。
 写真に写ってないところは、もっと金キラの内装。
 ほかにも部屋はいくつかある感じだった。  

 「肉末焼餅」は『歩き方』に西太后が、義和団事件で西安に逃れた際に好物となった庶民料理と紹介されていたもの。
 「肉末」は、ひき肉とか肉そぼろのこと。「焼餅」は、小麦粉を発酵させて薄く伸ばし、円形に整えて天火で焼き上げた食品で、ぱっと見た感じは焼きおにぎり。そして持った感じはパン。
 焼餅の横腹をナイフで切り、そこに肉そぼろをはさんで食べるのである。

 これも(以前の北京ダックのように)いくつかお手本をつくって、あとはご自由にという感じであった。
 ところが、別の料理を持ってきた時に、たまたま長男がナイフを持って挑戦中だったのだが、どうも危なっかしくて見てられなかったようだ。残る焼き餅も全部切ってくれた。
 ナイフは細身で先が少し曲がっている。切れ込みを入れるのは、ナイフの腹の部分。そして、先の曲がった部分で、餅の中央部をえぐって、そぼろの入る部分をつくるのがコツらしい。

 すっかり満腹して店を出る。
 北海公園には、「絵」が描かれた300mほどの長廊もあり、湖にはボートが浮かび・・・で、嫁さんは頤和園と区別がつかなくなったと言っていた。

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