移動メニューにジャンプ

北京旅遊記(16) クルージング〜頤和園編−2


 着いた所は頤和園の南部。
 頤和園は290haと広いが、名所は昆明湖、万寿山など北部に多いので、張さんが船乗り場から、この降り場までまわしてくれていた車に乗って、北部へ。
文革期の頤和園入口 現在の頤和園入口

 上の写真は、頤和園正門である東宮門
 文革期に頤和園は、「人民公園」と改称されていた。左上写真の門上部中央の「人民公園」という赤い看板は、当然現在では、元の額(「頤和園」という字は光緒帝直筆とか)に戻されている。

 西太后が権力を奮ったため、ここでは皇帝を表す龍より、皇后を表す鳳凰の方が立派だとか、これが頤和園でも最大の太湖石だとか解説をうける。

  世界最長の廊下ですと解説をうけ、長廊を歩く。
 長廊は、長さ728mだとか。有名なのは、廊下の梁に描かれた8000もの絵。
 前後左右に連なる無数のギャラリーである。

 右は文革期の長廊。当時は、人民がただ、漫然と過去の遺物である絵画だけをながめることが許せなかったのであろう。
 柱4本ごとにぶら下がっている赤い垂れ幕には、毛主席語録が。
 きっと大声で朗読しながら廊下を歩いたりしたんだろうなあ。
文革期の長廊

 現在の長廊については、写真も多くなってきたので省略する。むろんのこと、赤い垂れ幕はない。

梁の上の西遊記  梁に描かれた絵は、風景画や歴史、神話、古典文学に題をとったものなど様々。

 たまに『三国志演義』『水滸伝』など出典がわかる絵を見つけると何かうれしい。
 左はご存知『西遊記』

 李さんによると、文革時、紅衛兵が、反動期のものだとして長廊の絵を破棄しようとしたらしい。

 そこで、当時の周恩来が、「こんな絵は隠してしまおう」と同調するふりをして、絵を白い塗料で塗りつぶした
 で、四人組失脚後その塗料を落して、長廊を守ったのだが、中には判別困難となったものもあったとのことである。

 長廊の途中には、いくつか亭(あずまや)がある。
 右の写真は、その亭のひとつ。
 大きな絵の上に額があり、その上の梁の絵が白塗りで判別できないが、これが、そのような経過をもつ絵なのであろうか。

白く塗られた絵

←前のページへ 次のページへ→
「北京旅遊記」メニューに戻る
「本館」トップページに戻る

inserted by FC2 system