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北京旅遊記(12)万里の長城(八達嶺)編
昨日の朝は8時集合。今日は8時15分集合。
朝食は、和食、洋食、中華から選べることになっている。
昨日は、たけしのことを考えて、和食レストランの櫻へ行った。
焼き魚、温泉卵、煮物、味噌汁、ご飯といったメニューで、私個人としては「何が悲しゅーて北京まで来て日本食食わなあかんねん!」と思うのだが、家族は「やっぱ、白いご飯やね」と好評だった。
今日は洋食バイキングにした。レストランから、ホテルの中庭が見え、そこで太極拳をしている。揃いのユニフォームなので、ホテルのアスレチックジムの指導員などなのだろう。
嫁さんの食欲が旺盛だ。
今日のコースは万里の長城。中学校の社会で万里の長城の写真を見て以来、「ああ、一度でいいから行ってみたい」と憧れていたのだそうだ。長年の夢がかなうとあって、朝から張り切っている。
我が家族を乗せたマイクロバスは高速道路を飛ばして、一路郊外を目指す、と思ったら45分ほどでトイレ休憩。
日本でいう七宝焼を中国では景泰藍というそうだ。見学コースに入っているらしく、末成由美(「平家ガニ」というあだ名の吉本新喜劇の女優)に似た女性が製造工場の案内をしてくれる。
みやげものの展示場はかなり広い。兵馬傭とか、殷の青銅器などのレプリカなども置いてある。
長女は、どこでもすぐにブレスレットだの、首飾りだのいろいろ試着をしている。大丈夫かな、と思うのだが、まあ、無事戻ってきてるので、ちゃんと断っているのだろう。
長女が、「パンダクッキー買って。万里の長城で食べたい」というので、4個入りのちっちゃなパックを買う。
車は進む。この辺はすっかり田舎だ。一般道に降りたので、馬車も走っていた。
また、高速道路へ。おお、谷が深くなってきて、山の嶺線には長城が見えてきた。
少しにぎやかになってきたな、あ、野菜や果物の屋台が出てるな、と思ったら八達嶺に到着。
長城はケーブルカー利用となっていた。1台6人乗れるらしい。家族で同じゴンドラに乗れそうだ。
李さんは気を利かせたのか、前のゴンドラに乗ったので、家族だけでゴンドラに乗った。
わずか数分のゴンドラだが、緑の中に岩がごつごつ混じった連なる山並み、果てしなく伸びてゆく長城、そして、長城の上にありのように連なっている人間と、いかにも「万里の長城!」という感じの雄大な景色を楽しめた。 |
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ゴンドラ降り場から少し下ると、ちょっとした広場のようになっている。
「ここから右に登っていくと頂上の一番高い所へ行けます。15分くらいでいけると思います、では皆さん、がんばってください。
ああ、それと、頂上近くでは勝手に名前を聞いて、「登頂証明書」だと言って売りつける人がいますので、聞かれても名前とか教えないようにしてください。それでは、お元気で」
「あれ、李さんは登らないんですか」
「はい、私はここで待っています」
ところで、車に酔ったのか、長男がさっきから青い顔をしている。結局、長男は李さんと下で待っていることになった。
長女はさすがバスケ部で鍛えているだけあって、軽快に登っていくが、お父ちゃんにはこの昇り坂はきつい。
特に、階段を切らずにスロープになっている所がきつい。なぜ、切れ切れに少しだけスロープになっているのだろう。
そこで思い出すのが西太后陵の話。西太后は自らの陵墓の設計に際し、階段ではなく、きつい傾斜のスロープをつくらせた。そうすると、登る時、どうしても体をまっすぐに保てずに、前かがみの体勢になる。
西太后は、死してもなお、周りの者に平伏することを求めたのだ・・・と。
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前のめりになり、手すりを持って、汗をかきかき登る。
うっかり腰をのばして、伸びでもしようものなら、後ろにころがってしまいそうだ。
暑いぞ〜、きついぞ〜と心の中で苦吟することしばし、「頂上」につく。
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ちょっとした記念碑みたいなのがあって、列をなして記念写真を撮ってもらっている。もちろんボランティアではなくて、商売なのである。
見ると半数近いくらいの人間が、李さんの注意していた「登頂証明書」を持ってにこにこしている。まあ、本人が喜んでいるなら、よいか。
下に残した長男も心配なので、そろそろ降りることにする。
スロープは、下りの方がさらに危険だ。
長城の上の人波が、まるでモーゼ十戒の「割れる海」のごとく左右に開かれ、その真ん中を転がり落ちてゆくたけし。
「アイヤー」そんな声をステレオで聞きながら、必死に追いかけるが、膝はがくがく、目はかすみ、足はもつれて、自らも転がる・・・・・・なんて光景が頭に浮かぶ。
が、何とか無事に元のスタート地点に戻り、一安心した瞬間、から!から!から!という音にハッとなる。上の誰かが、水のペットボトルを落したのである。
小学生時代、遠足で奈良の若草山(大仏さんの近くにある、全山芝におおわれた、なだらかで低い山)に登って弁当を食べると、誰かが水筒のフタを転がしてしまう、というのが「お約束」だった。
しかし、その時はクラスの者もフタを追いかけ、登る途中のほかの人も受け止めようと努力してくれるのが常だったように思う。
一方、長城に限らず、北京では、こういう時は「知らん顔」が原則のように思う(自分もその一人なので、偉そうに言えないが)。
先ほどのケーブルカー乗り場に戻る。下りもケーブルカーを使うようだ。
歩いて降りるのだろうと思っていたので、嫁さんと一瞬顔を見合わせる。
しかし、たけしと、まだ顔の青いまさよしを見ていると、それしかないか、と思う。
(一番上の写真は、山麓の乗降場を見下ろしたもの。ケーブルカーは、右の写真に小さく写っている頂上付近のトンネルの中に吸い込まれていく)
帰りは李さんも一緒。
スタート直後、まだ山肌がすぐ下に見える間は「今やったら、もし落ちても大丈夫やなあ」
谷にさしかかると「ああ、今はもうあかんわ」
峯の部分で「今やったら何とかなる」 |
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「いや、まあ君やったら、ころがって落ちる」
「なんでやのん!」なんてふざけてて、
「うわあ〜、ここは全然たすからんわ〜」と言った瞬間、ガクン!と揺れて、ケーブルカーが止まってしまった。
一番深い谷の上で宙ぶらりんの私たち。
「しゃあない。ええシャッターチャンスゆうことやな」と私。
すると、たけしも「僕も写真撮るわ」
はるか雲かすむ先に消えゆくまで、果てしなくうねりながら伸びる長城。おもいもかけず、絶景を数分間楽しむことができて、ちょっとしたアクシデントも天啓と思われた。
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