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(No4) さらば!憂鬱 〜認知療法入門〜(4) 第一部 理論と研究 第三章 自分の感情を理解する:考え方で気分は変わる  

 『いやな気分よ さようなら』(著:デビッド・D・バーンズ。星和書店)の紹介。

 第一部の第三章から。なお、小見出しは、本書にはなく理解を助けるため石野がつけたもの。



1 感情を決めるものは

P20 「うつ病になると気分は沈みこみ、自信をなくし、体調も崩れます。意欲もなくし、すっかり意気消沈してしまいます」。
 しかし、「あなたの気分の悪さはすべて、歪んだマイナスの考え方から来ているのです」。

P21 「この認知の歪みを知ることこそ、うつ病を治す鍵です」。

「あなたがうつ状態に陥るたびに、その直前かその最中に何かマイナスの考え方をしなかったか思い出してください。〜その考え方こそあなたの憂うつの原因ですし、それを考え直すことにより、気分を変えることができるからです」。

(石野注)
 第一章の「3 認知療法の原理」というところで、感情はすべて、認知(物事の受けとめ方)で決まると書いた。
 要するに、何かの事実があって、その「事実」によって必ずある感情、たとえば「絶望」という感情がわくものではない、「感情」とは、その事実をどう受け止め、感じるかによって決まるということだろう。

 たとえば、ある家に夕食に招かれ、カレーライスを出されたとする。

 「カレーライスを出される」。この事実で自動的に「絶望」とか「怒り」といった「感情」がわくものではない。(私は本当はカレーが大好きだが)仮に大嫌いだとする。それで、自分の嫌いなカレーが出たことで、「選りにも選って、私の嫌いなカレーが出されるなんて、何てついていないんだろう。私はいつもこうなんだ。昔からうまく行ったためしがない。これは、きっと私がダメ人間だから、神から罰せられているんだ」なんて考えたら(←そんな極端な奴いないか?)絶望するだろう。

 また、相手に対し「それほど親しくもないのに、急に夕食に誘うなんておかしいと思っていたんだ。きっと、こいつは誰かから、私がカレーが嫌いだということを知って、それでわざと嫌がらせでカレーを出したに違いない。何て汚い奴だ」なんて考えたら「怒りの感情」がわくだろう。

 しかし、現実は、自分が嫌いな(←これは「好みの問題」で、事実だからどうしようもない)カレーが出たということだけだ。この事実を事実としてそのまま受けとめる。つまり認知に歪みがなければ、感情にも歪みが生じないということなんだろう。

 で、その「認知の歪み」ってやつのパターンについては、次節で語られる。

 

 


2 10種類の認知の歪み

P23 「うつ病を引きおこす10種類の認知の歪みを示します。〜これは長年にわたる研究と臨床経験の結果産まれてきた、いわばエッセンスで、私が最も力を入れて書いた部分です」

(石野注)
 いわば本書のキモなのであるが、正直言って、違いがよくわからない項目が多い。


P24 (1) 全か無か思考:ものごとを極端に、白か黒かどちらかに分けて考えようとする傾向。

(石野注) 本文にもあるが、少し失敗しただけで自分を全否定し、「私は完全に敗北者だ」などと感じること。完全なる成功(←実際には、ほとんどあり得ない)しか成功でないから、結局満足感を得られることがない。

P25 (2) 一般化のしすぎ:あることが一度起こったとすると、それが何度も繰り返し起こるように感じてしまう。

(石野注) これも本文にあるが、一度ある女性からデートを断られると、「この女性はこれからもずっと自分を拒否し続けるし、自分はこれから一生どの女性からも受け入れられることはなく、孤独な人生を送る」と感じてしまう。
 これは(1)とも似てる。

P26 (3) 心のフィルター:一つの良くないことばかりにこだわり、明るいことが見えなくなってしまうこと。

(石野注) これは定義自体が本文でも明確でなかったように思う。100問中17問間違えた学生が、この誤答のことばかり考え、落第するに違いないと悩んだが、実際は83問正解で「A」評価だったという例が挙げられている。次の(4)と似ている。

P27 (4) マイナス化思考:何でもないことや良い出来事を悪い出来事にすり替えてしまうこと。

(石野注) 本文では「マイナス化思考は認知障害の中でも、最もたちが悪い」とある。「いつも自分のことを二流だと思っている科学者は〜もしうまくいっても『これはまぐれだ』と考えます。このような考え方は悲惨です。
〜良い出来事を無視してしまう〜やり方は、人生の豊かさを奪い、必要以上に寂しいものにしてしまいます」とある。
 このような反応をしていると、(世辞追従ならともかく、いくら本心から賞賛しても相手から否定し悪く取られてしまうのだから)真実の賞賛も失ってしまうことになるだろう。

P28 (5) 結論の飛躍:事実と違った悲観的な結論を一足飛びに出してしまうこと。
(5)−1 心の読みすぎ:本当にそうか確かめずに勝手に悪く取る。

(石野注) これも本文にあるが、たまたま睡眠不足だった生徒が居眠りしたことで「自分の講義が退屈がられている」と悲観したり、考えごとをしていて友人がこちらのあいさつに気付かなかったことを「わざと無視された。嫌われたに違いない」とふさぎこむこと。
 これは私にもけっこうあるような気がする。

(5)−2 先読みの誤り:非現実的なことでも、実際に起こってくると信じ込む。

(石野注) 本文では、うつ病にかかった医者が、「これから一生うつ病にかかりっぱなしなのだ」と予測し、治療をやめてしまうことを例にあげている。上記の(2)や(3)などと区別が難しいと思う。

P30 (6) 拡大解釈と過小評価:自分の短所、失敗は必要以上に大げさに感じ、長所、成功は取るに足らないもののように感じること。

(石野注) いずれも上記(2)、(3)、(4)、(5)−2などと似ている。

P31 (7) 感情的決め付け:自分の感情を、真実を証明する証拠のように感じること。副産物は決断の引き延ばし。

(石野注) これも本文で「私はダメ人間のように感じる。それが何よりもダメ人間の証拠だ」といった考え方だとしている。
 しかし、認知の歪みで感情そのものも歪んでいるのだから、妥当性はない。けっこうこれは、ここの項目の多くに関連してくると思う。
 本文にも「感情を作り出す認知が正しいかどうか常に検証していれば、感情的決め付けが生じることはありません」とある。そのためにも「認知の歪み」のパターンを知ることが大事だとしているのだろう。

 また、「とても、こんな汚い机を整理するなんて気分になれない。だから、机の整理なんて不可能なんだ」と何ヶ月も先送りにしてしまうこと、が副産物である「決断の引き延ばし」。
 自分の気分(感情)で「整理は不可能」と決めてかかっているが、整理しなくて良いとは思っていないのでフラストレーションはたまる。一方、実際に整理に着手してみると、往々にして簡単に整理できてしまうことに気付くので、結局感情的決め付けのためにずいぶん損をすることになる。

P32 (8) すべき思考:何かやるとき、これを「すべき」、「しなければならない」と考えてしまうこと。
 これを自分に向けると必要以上にプレッシャーを与え、自分自身を追い詰めてしまう。
 他人に対して向けると、裏切られたように感じたり、がっかりしてフラストレーションをためてしまう。

(石野注) 「すべき」思考に凝り固まると、「すべき」こと、「しなければならない」ことを失敗しないか、必要以上に緊張してしまう。もし、その基準に合わなければ、自己嫌悪や罪、恥の意識を感じる。

  他人は、自分のこの基準に合う行動をとることは少ないので、どうしても批判的、独善的態度をとってしまう。

 これも、私はこの傾向があるかな、と感じる。

P33 (9) レッテル貼り:間違った認知に基づき、完全にネガティブな自己イメージを創作してしまうこと。他人に対して向けると、互いに敵意を巻き起こすことになる。

(石野注) わかりやすいのは、本文でいう、ゴルフのパットを失敗した時に、単に「あっ!失敗した」と言えばいいのに、「全く私ってやつは、ダメ人間だ」と感じること。(1)とか(2)などとも似ている。

 他人に対して向けると互いに敵意を巻き起こすというのは全くその通りだと思う。いわゆる「色眼鏡でみる」ってやつだろうか。一度「役立たず」なんてレッテルを貼ってしまうと、普通のことでも批判的に思え、成功しても素直に誉められない。

 私は常々「人間関係は鏡のようなもの」と感じている。こちらが敵意をもっていれば、自然と向こうも敵意をもつだろう。
 こちらが悪意のレッテルを貼ってると、それはたいてい相手に伝わってしまうと思う。・・・・・・と、わかった風なことを書いているが、私自身無数のレッテルを貼り続けているとも思う。 

P34 (10) 個人化:良くない出来事を理由もなく自分のせいにして考えてしまうこと。罪の意識のもとになる。

(石野注) 本文に「個人化が引き起こす罪の意識は、あなたの両肩にずっしりと重い責任をかぶせることになり、当然それゆえに苦しむことになります」とある。
 それはその通りだと思うのだが、この「個人化」の概念は、「責任感がある」とかいわれて、日本ではけっこうプラス評価されがちではないだろうか。

 子供の成績が悪い時、母親が「これは私の責任だ。ダメな母親だ」と思う例が本文で挙げられている。また、本文には「ある人の行為の結果は、結局はあなたではなく、その人の責任なのです」ともあるが、こう公言すると「冷たい」なんて評価を受けることが多いように思う。

 要は、「私の責任だ。ダメな母親だ」と自分を責めても百害あって一利なしなんで、そんな暇があったら、成績をあげるのにどんなことができるのか考えるべきだということなんだろう。




3 「認知の歪み」判別演習 その1

P36 この10種の認知の歪みをまとめた表(P35掲載)を繰り返し繰り返し見て、精通すること。

 10種の認知の歪みに対する理解を深めるため、それぞれの設例に含まれる認知の歪みを指摘すること。

(石野注) ということで、10問のクイズが載っている。

 まず1問目を例にとる。

(設例) 「ステーキの肉が焼きすぎだ」と夫に不機嫌に言われ、「自分は完全に失敗者だ。もう耐えられない。ものごとがちゃんとできたためしがない。まるで奴隷のように働いて、その結果がこの言葉なんて!」
 こういう考え方のため、意気消沈し。憂うつで腹立たしくなってきた。

(解説:含まれる認知の歪み)
(1) 「完全に失敗者」→
「全か無か思考」。確かに肉は少し焼きすぎたかもしれないが、それで人生が完全に失敗だとはならない。

(2) 「ものごとがちゃんとできたためしがない」→
「一般化のしすぎ」。これまで、やったこと全てが失敗したなんてことはあり得ない。

(3) 「もう耐えられない」→自分の感情の
「拡大解釈」。不愉快な気分であるのは確かだが、忘れることもできる筈。

(4) 「奴隷のように働いて」→
「レッテル貼り」。夫は少し思いやりが足りず、不愉快な夕食になったのは確かだが、「奴隷」とまでは言い過ぎ。

(石野注)
 上記と同じことを言うようだが、「完全に失敗者」は「全か無か」でもあるし、「レッテル貼り」(「失敗者」と決めてかかる)でもあり、「一般化」(これからも失敗する)にも、「拡大解釈」(ささいな肉の焼きすぎを「完全な失敗」と感じる)にも通じる。

 「奴隷のように働いて」も、「レッテル貼り」といえばその通りだろうが、いつもの家事を、つらい奴隷的労働に「拡大解釈」しているとも言えるし、そこまでつらい労働をし、とうぜん感謝が捧げられるべきなのに、それどころか夫はかえって文句を言うので腹立たしいという「すべき思考」のようにも感じる。

 一番相応しいものを見つける。それくらい中身を厳しく吟味することに、実は大きな意味があるのだろうか?

 あと9問あるのだが、私は正直言って、うんざりしてしまって最初は飛ばしてしまったのだ。

 気を取り直し、再度第2問をやってみた。これは解説がなく、認知の歪みの項目だけが「解答」として後に挙げられている。

 それがどうも私の「解答」と合わない。これはどうだろう。読み続けるのがつい、挫折してしまいがちじゃないだろうか?

 せめて、解答だけじゃなく、簡単でいいから解説を付けておいてもらった方がいいのでは?そう思ったので、私の解答と、自分なりの解説を書くことにした。(全く権威はないので、どうぞ読み飛ばしてください)


4 「認知の歪み」判別演習 その2

(設例) あなたは「またテストをしなくちゃならないのか?テストなんかうまくできたためしがない。ここのところはとばし読みをしよう。気分が悪くなってきた。だからもうこの本は役に立たない」と考えた。

(含まれる認知の歪みの候補)
a 結論の飛躍(先読みの誤り)
b 一般化のしすぎ
c 全か無か思考
d 個人化
e 感情的決め付け

(石野注)
 「テストなんかうまくできたためしがない」は、
「一般化のしすぎ」。過去にうまくできたこともある筈。

 「気分が悪くなってきた。だからこの本は役に立たない」は、
「感情的決め付け」。気分がたまたま悪くなってきたことと、この本の価値(効果)は必ずしも連動しない。

 「ここのところは飛ばし読みをしよう」は、「とりあえずやってみよう」と考えるのではなく、もうやめてしまおうと考えることだから
「全か無か」思考かな?あまり自信がない。

 「またテストをしなくちゃならないのか?」と考え、全体にいやな気分になっているというのは、「テストを続けたら、いやな気分になるだろう」と予測することで、
「結論の飛躍(先読みの誤り)」に該当するのだろうか?しかし、これは解答の選択肢にあるからそう感じたけど、なければ、「すべき思考」と感じるかも?

 まあ、「個人化」は関係ないだろう。

 ということで、自信はないが、解答は「a、b、c、e」。

(本書掲載の「正解」)

 a b c e



 それでは、次章へ。
   
  

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