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京劇の世界(15)北京京劇院大阪公演「京劇水滸伝 野猪林」鑑賞記

1 あらすじ

  京劇ニコニコ新聞さんから通知をもらって、切符を取っていただいた。京劇の神様が降臨したのか、最前列、中央というナイスポジションである。

 右が公演チラシ。
 上部中央が、林冲役の葉金援(イエ ジンユアン)氏。
 下部中央が、林冲の奥さんである張氏役の尚偉(シャン ウェイ)氏。 中央左で拳を振り上げてるのが魯智深役の羅長徳(ルオ チャンドォ)氏。

 まずは、ざっとあらすじを。

 第一場は、汴梁城外の練兵場。太尉の高俅が閲兵する中、禁軍師範の林冲の指揮のもと、教練が始まる。

  教練中に、風邪をひいていた李正二が倒れ、高俅は処刑を命じるが、林冲がとりなす。

 教練も終わり、馬鹿息子の高世徳がこづかいをせびりに来る。

「京劇水滸伝 野猪林」 チラシ

 第二場は、大相国寺の菜園。
 魯智深が見張り番になって以来、野菜が盗めないことに腹を立てた張三李四任五徐六ら4人のチンピラが寝込みを襲おうとするが手もなく返り討ちにあい、魯に弟子入りをする。
 弟子たちに禅杖の妙技を披露しているところに通りかかった林冲は魯智深と義兄弟の契りを結ぶ。

 そこへ林の小間使い錦児が、奥様がならず者にからまれていますと急を告げに来る。

 第三場は、東嶽廟。あわてて駆けつけた林冲を、高俅の腹心陸謙が、太尉のご子息だから、となだめる。
 しかし、魯智深にはそんなことは関係ない。林のとりなしがなければ殴り殺すところだった。

 第四場は、高俅の屋敷。林冲に殴られた。父上の悪口も言っていたという世徳の嘘に乗せられた高俅は、かねてから疎ましく思っていた林を亡き者にする陰謀を陸謙と練る。

 第五場前半は、街の通り。林冲は名も告げぬ男から宝刀を一振り買う。
 後半は、林冲の屋敷。陸謙が訪ねてきて、「林冲殿が素晴らしい刀を手に入れたと噂に聞き、太尉殿が刀比べをしたいとおっしゃっている」と誘う。

 第六場は、太尉の屋敷。陸謙は林冲を連れ回したあげく姿を消す。ふと気が付くと、そこは軍事上の機密を語る立ち入り禁止の場所、白虎節堂。逃れる間もなく捕らえられ、やって来た高俅に「わしを暗殺しようとしたな」と決め付けられる。
 陸謙に釈明を求めても、逆に「わしに罪を着せる気か」とシラを切られ、冤罪を叫ぶも拷問に沈む林冲。

 ここで15分の休憩。

 第七場は、滄州に流刑される林冲の護送出発。林冲は見送りに来た妻張氏に離縁状を渡すが、張氏は離縁状を引き裂いて、いつまでも待つと告げる。

 第八場は、野猪林。護送役人の董超薛覇(せつは)は、陸謙の命令のとおり、林冲を殺そうと樹に縛り付ける。
 あわや、というところで魯智深が駆けつけ、窮地を救う。

 第九場は、高正徳ご一行出発の場。世徳が「嫁取りだあ〜」とうかれている。

 第十場は、張氏の父、張勇の屋敷。張氏は夫と別れた心労で病に倒れ、実家で療養の日々。結婚を迫る世徳の「林冲は護送中に死んだ」との言に絶望し、自害する。

 第十一場は、高俅の屋敷。「魯智深が野猪林で林冲を救った」との陸謙の報告を受け、高俅は「滄州で確実にしとめよ」と命ずる。

 第十二場は、李正二の酒屋。李は、閲兵式での失敗で斬罪に処せられそうになったが、林冲のおかげで命を救われ、故郷の滄州で酒屋を営んでいる。
 店へやって来たのが陸謙と地元の役人。こっそり聞き耳を立てると二人は、林冲の持ち場である馬草小屋に火をかけ焼き殺す相談をしていた。

 第十三場は、山神廟。雪の中で見回りをしていたが、風雪のため馬草小屋が倒れ、一時、山神廟へ避難。そうとは知らない陸謙一行は、馬草小屋に火をかける。魯智深、李正二も駆けつけ、乱戦となり、林冲はついに陸謙を討ち果たす。

 エピローグは、林冲が妻の自害を知らされ「家にも帰れず、国にも仕えられない」と嘆く。魯智深の勧めに従い、雪の中を梁山泊に向かう。
 


2 雑感あれこれ

 それでは、感じたことを順不同に並べていきたい。

(1) 兵士の個人差

 最前列のおかげで、兵たち一人ひとりの表情の違いなどもよくわかる。
 これが後ろの方だと、「兵士たち」ひとくくりになってしまって、せいぜい動きの違いなどはわかっても、眉根の所に縦線が入っている者、いない者、額の所の朱の広い者、狭い者といったメーキャップの違いまではわからなかっただろうと思う。

 閲兵式では黄色い服の、虎模様の盾と、剣を持ったグループと、赤い服で槍を持ったグループに分かれる。
 総じて黄色グループの方が若く、赤グループには、かなりのご年配で恰幅も立派でいらっしゃる(・・・・・ように見える)方もいた。 



2−(2) 葉金援の目力(めぢから)

 葉氏の素顔は、以前クイズの問題で使わせていただいた。
 私が以前観たのは、2001年秋の「三国志III」の公演。(鑑賞記はここ
 「水淹七軍」関羽を演じておられたが、関羽メークで顔全体を真っ赤に塗って、豊かな満髯(マンラン)をつけて・・・・・ということで、素顔はわからなかった。
 今回は、表情がよくわかる。4年前のパンフと比べても、少し痩せられたのではないか。表現は悪いが、その素顔は桂歌丸師匠かヨネスケのように見える。

 ほほからあごにかけて、斜めにしわというか、顔筋の筋目が入る。そこが、せりふを言うたび、剣を振るうたび、ビビッ、ビビッとふるえるのが見え、力がこもっているのだなあと実感する。

 チラシなどでは、常に葉氏は、かっ!と目を見開いている写真ばかりが載っているが、確かにそういう表情は多い。その裂けんばかりに見開かれた眦(まなじり)からは、広い会場の隅々まで私に集中させずにはおかないぞ、といわんばかりの目の力を感じた。

 そして、また、李正二の命乞いをして高俅から叱責される場では、その目がふっと力を失い、いかにも「やりきれぬ」という風情を醸し出し、続く「大の男が人の下にあって 憤懣やるかたなし」という唱(チャン。歌)の説得力をいや増しているのである。



2−(3) 黄彦忠の重厚、梅慶陽のおバカぶり

 先の「三国志III」公演「水淹七軍」では、黄彦忠氏は龐徳役だった。
 チラシ裏面の紹介でも「深みのある声の持ち主」、「いつもながらの重厚な演技」とあったが、まさに貫禄充分。
 白虎節堂で林冲を追いつめる時の念(ニエン。せりふ)末尾の震わせ方なんざほれぼれした。

 梅慶陽氏は、京劇ニコニコ新聞第38号では「今注目されている若手の丑(チョウ。道化役)」とある。確かにパンフの素顔の写真を見ても若そうだ。
 しかし、本作では、冠の後ろからのぞいた髪がさみしげで、少し年寄りくさい。
 
 くちびるの下の所に線を入れ、下くちびるを大きく「への字」にだらしなく広げているように見せて、いかにも馬鹿面に仕上げている。登場した瞬間、思わず会場から笑いがあふれるほど、表情といい、仕草といい、典型的な馬鹿息子ぶり。
 腕を突き上げて、かん高い声でアホなセリフをがなりたてる。まさに馬鹿(←繰り返して申し訳ない)に徹した熱演ぶり。

 林冲(・・・だったと思う)にどやされて、あわてて腰巾着の富安に飛びつくシーンがあったのだが、うまく腰にしがみつくことができず、舞台に尻餅をつきそうになってあわてるハプニングがあった。何とか体勢を立て直すことができて、富安役の景宝h氏と顔を見合わせ、思わず笑みを浮かべた一瞬に素顔をかいま見た気がした。

李正二 李正二 役

李丹
(リー ダン)
高きゅう 高俅 役

黄彦忠
(ホワン イエンジョン)
高正徳 高世徳 役

梅慶陽
(メイ チンヤン)

 


2−(4) 羅長徳のニコニコ

 第二場で登場した時、「女子高校生の生脚(なまあし)」ならぬ「60ウン歳の生腹」を出しているのにまずビックリ。
 これまで私は、京劇の俳優さんのお腹やお乳をモロにみた経験がないもので。
 後になって思えば、ニコニコ新聞第38号に「羅さんが、お腹まで出して大熱演」と書いてあるのだが、そこまで読んでなかったし、開始前に飛ばし読みしたパンフでも腹出し写真はあったのだが、大きい写真ではちゃんと服を着ていたので、心の準備ができていなかったのである。

 今回の羅氏の演技を一言で言うと、とにかく楽しそうだということ。

 パンフには「1941年生まれの羅長徳は、すでに定年を迎え中国国内では舞台に立つことも少なくなっているが〜大立ち回りに些かも衰えない冴えを見せる」とあるが、禅杖を振り回した後のせりふでは、やや息切れ気味の様子を感じたし、最後の陸謙らとの立ち回りでは、往時のジャイアント馬場を思わせる雰囲気(晩年のジャイアント馬場の試合は、馬場が16文キックを出すのではなく、馬場が足を上げた所に敵が寄っていく感じだった)であった。
 しかし、そんなことはどうでもいいのである。

 目の前で、羅さんのお腹がふよふよと揺れているのだ。これ以上、何を望もうか。

 右写真は、林冲と意気投合し、義兄弟の契りを結んで喜び合っているところ。
 両腕を広げ、指先をひらひらさせるのは感情表現としてよく使われる。 
羅長徳

 横にいる林冲は「型通り」というか、腕を斜め前方に上げる、よくあるパターンなのだが、魯智深ときたら、写真でおわかりのとおり、真上に上げて、まるっきりバンザイ状態。
 まさに「手離しで喜んでいる」という感じなのだ。

 このほか、第八場の冒頭で「頭に来た!弟分がはめられた」と怒り、「慌てふためき後を追い」と言いつつ、舞台を駆け回る(野猪林へ向かう)シーンがある。
 腕を前後に振るのではなく、どちらかと言うと手を下に押し付けるような感じで走るので、かなり古いがヒゲダンスのようなユーモラスな雰囲気で会場からは笑いがまき起こり、「瞬く間に野猪林に着いた」というせりふで場内は大爆笑になった。 

 いかにも舞台を楽しんでいるという感じの羅さんを観ていて、私まで心がほこほこしてくるような幸せな気持ちになった。
 気のせいかもしれないが、カーテンコールの時に、こちらに向かって「いよっ!ありがとさん!」てな感じで手を振ってくれたのも嬉しかった。


2−(5) 李丹の凛々しさ

 ニコニコ新聞では「小鹿のように敏捷で小回りのきいた武丑の技をたくさん見せてくれるでしょう」とある。
 鹿ってのが、まさに言い得て妙ってやつで、李丹氏は素顔も鹿に似ている感じがする。

 ところで、新聞では武丑(ウーチョウ。武劇で活躍する道化役)とあるが、公演チラシでは武生(ウーション。立ち回り中心の役)とある。

水平ゲッツ!!  思うに、鼻の白塗りもないので武生でいいのだろうが、時折り見せるユーモラスな仕草を「武丑の技」と表現しているのだろう。

 左写真は、酒屋で陸謙(写真下部右側。俳優は葉江翔=イエ ジアンシアン)と役人の悪だくみを盗み聞きしているシーンだが、核心の部分で「そこだ!」とばかりに両手の指を突き出しているところはダンディ坂野ばりの「水平ゲッツ!」と命名したい。

 天井裏に上る所でも、単純には上がらず、上っていきなり倒立。その「意味のなさ」は新日本プロレス「無我」の戦う哲学者こと西村修の倒立を彷彿とさせた。(わかる人だけ、わかって下さい)

 梁山泊に報せに行く時のコサックダンスのような動きも、会場では受けていた。 

 冒頭の閲兵式では高熱で倒れる役どころなのでほとんど見せ場もなかったが、最後の陸謙らとの立ち回りでは、そのうっぷんを晴らすがごとく、公演チラシにも「精悍で軽快な動きがみどころ」とあるが、存分に暴れまわる。
 脚を勢いよく旋回させて、手と履(くつ)でぱん!ぱん!と小気味良い音をさせるのがお得意のようである。

 


2−(6) けっこう女っぽい林冲

 かつらの一種で甩髪(シュアイファー)というものがある。髪の毛を頭の上で一つに束ねて、そのまま垂らした形で長さは80cmほど(道化の場合は、肩までで30cmくらい)。
 戦いに敗れた武将がほうほうの体で逃げる時や、ひどい目にあったり、激しく打たれて気が狂った時、捕らえられた時などの状態を表わすのに用いられるそうである。

 林冲が白虎節堂で捕らえられた時も甩髪姿になっている。
 このおさげ髪を必ず顔の右側(観客から言うと、向かって左側)に垂らし、何かというと、この甩髪をしごく。

 がくっ!と勢いよく頸を後ろに曲げ、このおさげ髪を背中に回したりする。その時、髪の先から水しぶきが噴き上がっていたから、髪の毛は濡れているのだろう。
 かぶりものをする前に水紗(シュエイシャー)という黒い布を水で濡らして頭に乗せるそうだから、その水で自然と甩髪も濡れるのかもしれない。
 さらに想像だが、濡れた甩髪をしごくことで一つにまとめ、ばさっ!と振り回しやすくしているのかもしれない。

 必然性があるのか、そういう決まりごとなのかはわからないのだが、ともかく、顔の右側に垂らしたおさげ髪をやたら上から下へとしごいてばかりいるものだから、何か、川で長い髪を洗っている女性のように見えてしまう。
 さらには、ワンレン(←死語?)を気にしつつパスタを食べている女性とか、しゃべりながら、カールしている長い髪の先を指で巻きつけ、もて遊んでいる女の子のようにまで思えてしまった。

 そう言えば、野猪林で護送役人に休憩するよう勧められ、ついウトウトしている間に樹に縛り付けられたシーンでは、目を覚ました瞬間、目を何度もパチクリさせて、キョトキョトと左右を見渡すなど、実に「可愛い」感じがした。

 さて、右写真は流刑先で見回りをしている時の服装。比較的よくあるタイプの衣装のようだが、ロシア貴族のようでなかなか格好良いなと思った。
林冲 冬服



2−(7) 尚偉の倦怠

 尚偉さんは、パンフの素顔写真では、スカーフを巻き顔を傾け、非常に古風な感じに写っている。
 また、新聞第38号のインタビューでの写真は、あごに掌をあて斜めを見ているのだが、髪の毛がやや乱れ、何かお疲れのように見える。
 もっとも、インタビューの内容が「芝居を辞めたいと思ったことってありますか」という問いに対し、「しょっちゅうですよ。『もう疲れたよう!』って感じで。京劇で得ているものは専門性が高すぎて他のことには何の役にも立たない。結局辞められない」といった暗いものだったから、そう感じたのかもしれない。

 舞台での張氏は、けっこうあごのあたりなど福々しくていらっしゃるようにお見受けした。

 顔もなかなかキツそうな感じ。
 護送される林冲との別れの場でも、目線を右、左、右とギロ!ギロ!ときっちり動かしながら舞台を横断するシーンなど「すごい迫力」を感じたし、別れ話を切り出された時も、何か肩をハーハー上下させ、「われ、許さんどお!」と怒りにふるえているような印象を受けた。もちろん、林冲は夫として妻を守れないが故に、心を鬼にして離縁状を渡したのだとわかった後は、優しい表情に戻ったのだが。

 さて、インタビューでは「尚偉さんの出番が少ないという印象があります」という問いかけに対し「やはり林冲と張氏の別れの場面がないせいですね。きれいなところですから復活できればうれしいわ」というやり取りがある。
 これは、第七場のことで、尚偉さんの希望通り、当初の舞台稽古では省略されたが本番では復活したということなのだろうか。


2−(8) 孫鵬の小芝居(こしばい)

 孫鵬という若手の役者さんがいる。パンフの素顔写真を見ても、頭の鉢が開き、眉毛が濃い、いかにも向こう意気が強そうな面構えをしている。

 個人名がついた配役では、魯智深に歯向かう4人組のチンピラの一人、李三を演じている。
 一応、四人の中ではリーダー格のようで、魯をやっつけようと画策する時も、こてんぱんにやり込められ、いっそのこと弟子入りしようと方向転換する時も常にリーダーシップを取る。
 何かせりふをしゃべるたびに、ちょいと口唇をゆがめてみたり、片っぽの眉を吊り上げてみたり、ちょいと親指を突き上げてみたり。
 ただ淡々とせりふを言うのではなく、「何か」をするのだ。

 間違っていたら謝るが、彼は第十三場の馬草小屋に火をかけるシーンでもいたと思う。それで、陸謙などが寒さを表わすせりふを言った後で、みんな放火をしに、林冲の持ち場の小屋へと向かって舞台右手に「はけて」行く。
 その時、一人だけ「ああ、寒い、寒い」とばかりに両の手の先をこすり合わせながら歩いて行った俳優さんがいるのだが、それが孫鵬氏だと思うのだ。

 はっきり言って、彼の演技はいわゆる「クサい」演技、小賢しい演技と評されるだろう。
 全国共通の言い方なのか、関西限定なのかよくわからないが、私の周りの世界では、こういうのを「小芝居」(こしばい)と呼ぶ。演出家が指定した、いわゆる「正規の芝居」でなく、自分で勝手に、ちょっとした「芸」をくっつけるのだ。
 しかし、それは、ただ与えられた脚本を事務的にこなすのでなく、単に「うけたい」スケベ心からかも知れないが、とりあえずは、何かそこに自分の工夫でプラスアルファしたいという「思い」があってこそ、「小芝居」につながるのだと思う。
 生意気な言い方だが、彼にはそんな熱意を持ち続けてほしいなと思うし、これからも私は機会があれば、彼を見つめ続けていきたいと思う。
 


3 その他

(1) パンフの恨み

 私は、お昼の12時の回。開場は11時30分であった。私が会場入りしたのは11時40分くらいだったと思う。
 売店で記念グッズを見るのも楽しみの一つなのだが、見るとパンフがあと7、8冊ほどしか積まれていない。まあ、あれがなくなればストックを出すのだろうが、もし売り切れにでもなったらいけないと思い、とりあえずパンフを1冊買った。
 結果としては、これが正解だったのである。横で、北京京劇院30周年記念写真集(3000円だったかな)とか、Tシャツ(1000円。サイン入りは1500円)とかを見ているうちに、どうもマジで売り切れてしまったらしい。

 妙齢のご婦人が血相を変えて売店のお姉さんに「売り切れるって、どういうことなのよ!だいたい、あなたは主催者とどんな関係なのよ!!!」と吊るしあげていた。いやあ、そこまで怒ったらんでも、ええんちゃいますのん?と思わないでもなかったが、あれほど早く売り切れるというのは明らかに配慮が足りないと思う。
 
 で、そのパンフなのだが、以前の鑑賞記でも書いたが、本当に最近のパンフは内容が薄いと思う。
 一応、巻末に台本が載っている。そこに「(揺板で唱)」などと書いてあるが、どこにも解説がない。
 「揺板」(ヤオパン)とは歌の間奏を速めにするもの。「流水」(リウシュエイ)は「ゆっくりめのテンポの1/4拍子」とか解説を付ける方が親切だと思う。

(2) 終わりに

 「京劇城」という有名なサイトがあり、そこで葉金援さんが日本の皆さんから本公演の感想などを求めておられるとの書き込みがあった。
 それで、私も、この拙い観劇記のことをお知らせしようと思うのだが、私の他にも本公演をご覧の方がいらっしゃったら、そこの掲示板(私はリンクさせていただいてるので、よろしければ「リンクのページ」から)ででも感想をお聞かせいただけるといいと思います。

 それと、いい席をあててくださった楽戯舎さん、本当にありがとうございました。   

 

 

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