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京劇の世界(14)湖北省京劇院大阪公演「京劇西遊記」鑑賞記(「孫悟空 三打白骨精」)

1 鑑賞のきっかけ

 この作品はもともと昨年観る筈だったのが、SARS騒ぎで公演中止となったのである。既に切符も買っていたので払い戻しを受けた記憶がある。
 京劇ニコニコ新聞さんから通知をもらって、優待で買っておいたのである。

 公演期日は、平成16年6月12日。開場午前11時30分。開演午後0時。
 演じるは湖北省京劇院の皆さん。

 場所は大阪はウメダのシアター・ドラマシティ。
 思えば、初めて京劇(大連京劇団の「覇王別姫」。京劇(1)参照)を観たのも、ここシアター・ドラマシティであった。

 その時はずいぶん後ろの席であったが、今日は先行予約のおかげか、5列9番と、だいぶ左寄りではあるが、舞台に近い良い席である。

 1500円也のパンフレットを眺めながら、開演を待った。

 場内は満席である。やはり女性の比率が高い。

京劇チラシ

 照明が落ち、真っ暗となって、いよいよ開幕である。


2 一幕第一場

 薄い幕の向こうでポーズを決めてる三蔵法師呉長福。小生。国家二級俳優)、孫悟空程和平。武生。国家一級俳優)、猪八戒朱世慧。丑。国家一級俳優)、沙悟浄舒建礎。架子花臉。国家一級俳優)の面々。

 舞台変わって、幕の前方で妖怪どもにさらわれていく村娘(李蘭萍。花旦。国家一級俳優)、老婦人(易艶。老旦。国家一級俳優)、老人(羅会明。老生。国家一級俳優)たち。

 さらに舞台変わって、妖怪の洞窟。
 京劇で旗はよく用いられるが、蛍光塗料で髑髏が描かれている。
 骸骨が変化して、美しい白骨精張慧芳。青衣・花旦。国家一級俳優)が現れる。
 妖怪の子分たちの中で番頭格の二妖(梁敏通于玉剛)は、三蔵法師を捕らえようとはやるが、孫悟空を警戒する白骨精。

(注)
 京劇では、行当(ハンダン)といって、役柄が定められている。
 上記の各俳優さんの行当を解説する。

 生(ション)は男性役。
 小生(シァオション)は二枚目、美男子の役。武生(ウーション)は立ち回り中心の役。そして老生(ラオション)は中年以上の男性役。

 (チョウ)は道化役。

 旦(ダン)は女性役。
 青衣(チンイー)は正旦(ヂョンダン)ともいい、主役格。花旦(ホアダン)は、活発で明るい若い女性役。老旦(ラオダン)は年配の女性役。

 そして、生、丑、旦にならぶ四大分類が浄(ジン)で、隈取りをする男性の役柄であり、花臉(ホアリエン)ともいう。
 浄は、剛直、勇敢な性格の正浄(ヂョンジン)、台詞や仕草中心の副浄(フージン)、立ち回り中心の武浄(ウージン)に三分される。
 架子花臉(ジアズホアリエン)とかニ花臉(アルホアリエン)というのは、副浄の通俗的な呼び方。
 なお、丑のことを小花臉(シャオホアリエン)とか三花臉(サンホアリエン)と呼ぶことがあるので注意を要する。

 


3 一幕第ニ場

 奥深い山中で、空腹を抱えた一行。
 三蔵法師は、悟空に食べ物を探してこいと命ずる。
 妖しい気配を感じた悟空は、地面に円を描き、皆にここから出ないよう言い渡す。

 悟空のいないすきに、村娘に化けた白骨精がやって来て、饅頭で誘惑。手もなく輪から出る猪八戒と三蔵法師。
 そこへ桃の実を持って、帰ってきた悟空。正体を見破り、撃ちかかる。
 妖怪は、村娘の死体をその場に残し、逃げ失せる。

 白骨精は再び老婦人に化け、娘を殺されたと恨み言を言いながら、三蔵法師を連れて行こうとする。
 妖怪の実体を追っていた悟空が舞い戻り、再び撃ち倒す。

 悟空は、妖怪が化けていたのだと訴えるのだが、なにせ目の前に母娘の死体が転がっているものだからブが悪い。
 思うに、白骨精が直接化けていると言うより、冒頭でさらって殺した村人の死体にとり付いて操っていたのだろうか。

 演出はなかなか派手である。
 悟空が円を描く時、腰掛けている岩が電気仕掛でピカピカ光る。
 白骨精が、その結界を越えようとした時、どか〜ん!と火花があがる。
 村娘や老婦人の身体から妖怪の実体が煙となって逃げていく時にも火薬が使われる。
 私としては、海を表すのに青い幕をひらひらさせたりするのは大好きだが、スモークですら好きではない。ましてや電気や火薬はなあ・・・・・。
 また、村娘が猪八戒の注意を引くため、手の先から花を出すのもマジックのようなテクニックが使われる。
 そのほか、岩の一つは、跳び箱の踏み切り台のようなものを内蔵しており、ジャンプの助けになっていた。


4 一幕第三場

 白骨精は、「心を攻めて気をくじく術」、師徒の恩を断ち切るため、老人に化ける。

 茅葺の民家も出現させる。
 三蔵法師は、老人に撃ちかかる悟空をおさえるため、箍を締める呪文を唱える。苦しみながらも最後の力を振り絞り、老人を撃ち倒す悟空。

 天から舞い降りてきた黄色い絹の布。そこには殺生を戒める文字が認(したた)められていた。
 仏様のお怒りの言葉と思った三蔵法師は、悟空に破門状をつきつける。

 悟空はやむなく花果山めざして、その場を立ち去る。
 悟空がいなくなったのを見透かしたごとく、妖怪どもがわらわらと現れ、猪八戒はうまく身を隠したものの、たちまち三蔵と沙悟浄は連れ去られてしまう。


5 休憩

 さて、ただいま午後0時55分。15分休憩とのアナウンスが場内に流れた。


6 ニ幕第一場(第四場) 

 花咲き乱れる花果山水簾洞。ロープにつかまりターザンのような格好をしたり、思い思いに遊んでいる小猿たち。
 斉天大聖のもとにおずおずとやって来たのは猪八戒。気後れしてどこかぎこちない八戒を悟空は冷たくあしらう。

 澄ましてはいられない。八戒は、三蔵法師と沙悟浄が妖怪にさらわれたと正直に窮状を訴える。
 さらに、「兄貴の名前を出したが、奴等大笑いして、あんなちび猿、度胸もなければ武術もなってない。もし来たら皮を剥いで、脳みそを酒に漬けて飲んでやると言ったんだ」と悟空の怒りを燃え立たせる。
 とどめに、兄貴はやっぱりここで斉天大聖におさまっていろ。俺も戻って嫁さんに会いに行く。お師匠さんが無事かどうかは、どうしようもないことだ、といったん悟空の気を逸らす。

 「八戒、戻れ!」と叫んだ悟空。
 待ってました!と舞い戻る八戒。
 「八戒、俺と一緒にお師匠様を救いに行くぞ」「兄貴、その言葉本気?」

 絶妙の呼吸に、場内割れんばかりの拍手。

 


7 ニ幕第ニ場(第五場)

 
舞台変わって、妖怪の洞窟の入り口。
 様子を探っていた八戒は、あっさりと敵方に縛られ連れていかれてしまう。

 悟空は、娘の白骨精に招かれやって来た金蟾大仙(きんせんだいせん。汪永龍。丑。国家一級俳優)とお供のニ妖を打ち殺し、分身の小猿2匹を呼び出し、金蟾一行の姿に化ける。

 金蟾は、あの美しい白骨精の母親なのだが、どう見てもオッサンつうか、オカマさんそのもの。たとえは古いが、昔の宮沢りえとりえママの関係みたい。

 舞台奥にいったん引っ込んで再び出てきた金蟾とお供は、悟空たちが化けたもの。同じ役者さんが演じているのだが、悟空らが入れ替わった後は、それまでのコミカルな動きに加え、弾むようなエネルギッシュな動きを披露する。
 お供は、旋子(シュアンズ)というのだろうか、頭を中心としたコマみたいな回転技を連続させるし、金蟾ばあさんもツィスト&シャウトって感じでスイングしてました。 

 


8 ニ幕第三場(第六場)

 
いよいよ大詰め。
 洞窟内は宴会準備で忙しい。

 勝利を喜ぶ白骨精の(チャン。歌)が終わると大奥様到着を知らせる声。三蔵法師らが引き出されてくる。

 沙悟浄は、「お師匠様を殺すなら先に俺を殺せ」と忠義ぶりを示す。
 悟空が化けた金蟾は八戒をからかった後、三蔵法師に一番弟子の消息を尋ねる。「立て続けに三人の命を殺めたので破門した」と三蔵法師。

 種明かしをしてやろうと、白骨精は舞台中央奥へ。両袖から旗を持った家来たちが集まってくる。
 この旗の陰に村娘役の俳優さんなどが隠れていたようで、「お食事はいかが」「娘はどこに?」「お助け下さい」そして「後悔してももう遅い。一生悔やむがよい」とぱっ!ぱっ!と早変わりしてみせる。
 「私が倒したのが妖怪か人間か、後でわかる筈です」と必死で訴えていた悟空の言葉を思い出したか、「悟空、我が弟子よ・・・」と思わずもらす三蔵法師。

 この言葉を聞いてはもうたまらない。金蟾はすっと舞台袖に消え、現れ出でたる孫悟空。

 ここからは立ち回りに次ぐ立ち回りである。
 私はかねがね、日本での京劇公演では(中国では湖広会館で1回観ただけだが)トンボを多用しすぎではないか、と思っていたのだが、本公演ではここまで抑え気味であった。それがここで一気にせきを切ったようにあふれ出てきた。

  孫悟空も大暴れ。ザコ妖怪を相手にする時は、小手先でちょいちょいとあしらう感じなのは、以前中国京劇院で李光さんが演じた時と同じ。

錘  悟空は敵の武器、ハンマーを奪い取る。
 なお、正浄は銅錘という道具(ハンマー)を持つことが多いので、銅錘(花臉)が正浄の代名詞となっている。

 形としては左図参照。(図版は中国で買った『京劇人物』より)

 如意棒を振り回しつつ、錘は持ち手の所をぐい!ぐい!とひねって回す。
 いったん棒を置いて、両手に錘を。呼吸を整え、二つの錘を空中高く放り上げ、さっ!と後ろ手で受け止める!あっ!片手はつかみそこなった!舞台で弾む錘。

 あ〜〜っ、場内にため息が。
 程和平さんはさっと拾い上げ、無造作に再度チャレンジ!
 今度は見事成功した。  

 錘をくいっ!と投げ上げ、棒で受ける。錘が逆立ちした状態(でかいのが下)で棒の上にすっ!と立つ。すごい!
 再度投げ上げ、さっと受ける。今度は何と、細い持ち手の所が棒の上に立った。こりゃすごいな。

 その後、棒と錘を組み合わせて、空中に放り上げた時も一度失敗した。これもすぐに再挑戦し、成功。

 敵の刀を棒で受け止め、ツバんところを棒に引っかけブンブンと振り回す。飛行機のプロペラのようだ。ええかげん振り回したところで相手にさっ!と返す。
 京劇の殺陣には打出手(ダーチューショウ)といって、主役を脇役が数人で取り囲み、弾力性のある槍を投げつけ、足で蹴ったり、槍で受け止めて弾き返したりする技がある。それの刀&棒バージョンみたいに、刀を投げる、棒で受け止め振り回して返す、目まぐるしいやり取り。
 本来の打出手もあった。

 刀も棒に乗せる。水平に持った棒の上に刀を立てる。すっ!すっ!と刀を棒の端にずらせていきながら、棒を少しずつ立てていく。えっ?まさか・・・。
 とうとう、さっ!と棒を一振りしたかと思うと、完全に棒を垂直にして、その先端に刀を立ててしまった。
 昔、TVの寄席で日本刀の刃の上に回っているコマを乗せ、ずらしながら最後切っ先に立てる曲芸を見たことがあるが、まさにそんな感じ。

 定番の如意棒バトントワリングも、もちろんあった。これまでの公演(北京の「借芭蕉扇」、李光さんの「閙天宮」)で見た「ぶん回し」の時の如意棒は細めであったが、それよりは棒が太い。
 気のせいかもしれないが、棒のしなりを使っているというか、回し方にめりはりがあるというか、ぶんぶん回しているのだが、速度に微妙に緩急がついているように感じた。
 光を反射して残像が出ているのは今までと同じなのだが、その残像の出方が均等でなく、鼓形というか砂時計形というか、そんな形の白く光る残像と何もないところの2パターンのように感じられた。(あくまでも個人的感想)
 そして、スピードが乗ってきた頃には風を切るうなりが聞こえんばかりの迫力。

 鞘付きの刀を抜き放ち、鞘の方を後ろ手に持ち、刀をぽ〜んと天空高く放り上げ、アーチを描いて下りてきたところをスポッ!と鞘で受け止めるのも、最初は失敗したが再チャレンジで成功。

 思うに、本日は「乗せる」系、「回す」系は完璧だったが、「受け止める」系で3回のミスがあった。
 しかし、第一人者としてのプライドからか、失敗してもそれっきりにせず、次には成功させるところはなかなかのもの。1度目はそれなりにタイミングもはかっていたが、2度目の時は時間の関係もあるのか、すぐに拾って無造作にやり直したので続けて失敗しないかはらはらした。

 最後は三人力を合わせて白骨精をやっつける。

 オープニングテーマと同じ「旅を続けるぞ」って感じのエンディングテーマが流れて、その後、登場人物打ち揃って挨拶する中で幕。

 カーテンコールで、主役級が出てくる。

 そして、再度のカーテンコール。悟空、八戒、白骨精の3人だったかな?会場の真ん中辺から、一人の女性が、別に花束とかを持つわけでもなく、ぬ〜っと舞台に近付いていって、あわてて係の女性に制止される一幕もあったが、無事に本日の第1回目の公演は終了した。
 思うに、あの女性は出演者にねぎらいなり感謝の言葉を述べようとしていたのではなかろうか。別に制止することないじゃん。まあ、警備の方としては、「万一」を考えると、そうもいかんか。

 


9 その他あれこれ

(1) S席
 大阪公演は、よそと違い全席S席8500円均一であった。当日、正規の席の横にパイプ椅子が並べてあった。
 かぶりつきと最後列が同じS席か?とも思うが、あの補助席も「S席」なんだろうか。

(2) パンフレット
 お金のことばかり言っちゃ申し訳ないが、1500円也の本公演のパンフレットは、何か広告が多くて、中身が薄い気がした。
 まあ、主演者の写真・経歴、名場面の写真集、コラム数本、シナリオ、訪日メンバーの素顔の写真など基本的なとこは押さえているのだが、冒頭で「ごあいさつ」に5ページも割くくらいなら、基本用語の解説とかがあってもいいような気がする。

 パンフを売っている売店で、一緒に売っているおみやげを見るのも楽しいものだ。しかし、今回はパンフのほかは魯大鳴さんの『京劇への招待』と、京劇ミニチュアお面(1500円)しか売っていなかった。

(3) 猪八戒
 猪八戒を演じる朱世慧氏はパンフレットの経歴を見ると”現代の丑王”と褒め称えられているそうだし、肩書きもそうそうたるものが並んでいる。相当な大物のようだ。
 今回、八戒は完全なブタのかぶりものをしていた。そのため、表情はマスクの切れ込みからのぞく眼からしかうかがえない。

 本公演の八戒はなかなか評判が高い。
 各HPの掲示板などで「まさに活き八戒」「ラブリー」という感想を述べておられる方もいる。
 また、「朱さんがマスクをしていてよかった。あれで表情があらわになっていたら、周りの俳優を圧倒してしまっていただろう」とおっしゃる方もいる。(←つーことは、マスクをしてたので、周りを圧倒するほどの演技ではなかったってこと?)
 そして、「さすが朱さんだ。自分は脇役だということを十分心得て、『叫好』が来ないように演技している」とおっしゃる方もいる。(←やっぱ、つーことは「好!」と声がかかるような演技ではなかったってこと?)

 「立ち回りのところは弟子が代わって演じていた。マスクをしていたのは、そのためもあるのでは?」とおっしゃっていた方もいた。私は、大阪公演ではとてもそんな違いまで判別できなかったが。

 思うに、マスクの口パクパクも含め、悟空との好一対として、八戒はよい雰囲気を出していたと思う。助けを求めに水簾洞に行った時のやり取りなんざ、けなげさすら感じたし。

(5) 孫悟空
 まぶたにラメを貼ってるのか、左右キョロキョロしながら眼をパチパチさせると、眼んとこで電球が明滅しているみたいにピカピカする。会場ではたいそう受けていた。
   

 

 

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