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京劇の世界(12)上海京劇院京都公演鑑賞記

1 鑑賞のきっかけ

 前回の鑑賞記で書いた上海京劇院大阪公演(6月2日)会場でアンケートに答え、京劇ニコニコ新聞の試供版を申し込んだ。それが届いたのが6月14日。
 封筒に京都公演(6月22日)のチラシと、前売り4500円のところ4000円で取り扱う旨の「京劇ニコニコ新聞読者優待のご案内」が入っていた。当日料金5000円に比べれば1000円の割引き。翌17日(月)に電話してみると、まだいけるとのことだったので早速申し込んだ。

 公演会場は、京都芸術劇場「春秋座」。京阪電車出町柳駅から叡山電鉄に乗り換え、二つ目の茶山駅から東へ徒歩10分ほど。京都造形芸術大学キャンパス内の劇場へ。
 「うち(楽戯舎)で取っているのは桟敷席です。一般席で後の方よりは見やすいと思いますよ」というのが、電話を受けてくれたS氏の言。
 この劇場は歌舞伎なども想定し、舞台向かって左側に花道が設けてある。そして、劇場左右両側に桟敷席が設けてあり、そこは座席が斜めに据えられてあった。予約で取られていたのは、1階L−22番という席でして、舞台向かって左側の桟敷席、前後2列になっているうちの前側、なかなか良い席であった。     


2 小商河

 今日演ぜられる三演目のトップは「小商河」。

  まず登場するのは金軍の兵士と金兀術。入れ替わって登場する南宋岳飛軍の楊再興。一歩ずつぴん!と足を伸ばし、厚底靴を見せつけるかのようにしながらの入場。こうした所作は、起覇(チーバー)の抬腿亮靴底(タイトェイリアンシュエディ)というようだ。
 最初のうちは、金軍と楊再興のカラミはない。お互いが、交代で、自らのことを誇示しつつデモンストレーション。
 特に楊再興の方が、槍を持って、靠旗(カオチー)を背負った重装備の身で、くるっ、くるっと身体を回転させたり、槍を空中高く投げ上げ、後ろ手でつかんだり(中国京劇院以来のトラウマで、どうも棒が空へ上がるとドキドキして仕方ないのだが。京劇No9参照)派手である。パ〜ンとジャンプし、足を前後に180度開脚して着地!といったシーンもあった。
 残念ながら、ピンマイク(・・・だと思うのだが)の調子が悪いのか、唱(チャン)や念(ニエン。台詞)が低くこもって、通りが悪い。これは、隣席のおばさん二人(面識はない。よくおしゃべりされるもので、いやでも聞こえてくるのである)も言っていた。楊冬虎演じる金兀術の声は朗々とよく響いていた。だから全体の音響設備に問題があるとは思えない。
 また、楊再興を演じているのは国家一級俳優の奚中路。声が出てないとも思えないので、個別のマイクの不調だと感じた次第。
 
 槍の武勇を誇示するためのデモなのだが、少々だれた。もうちょっと短い方がいいのでは・・・と感じた。
 素人くさい観方なのかもしれないが、槍をぶんぶん振り回したりするところなどはいいのだが、合間合間に頻発される、両手を上げて、片足で立って、残りの足は膝から曲げるシーンが何か鼻についてきた。「あらよっと!」のシーンというか、すごく古いがムキムキマンの決めポーズというか。

金こつ術と楊再興  さて、戦闘が始まる。孤軍奮闘だが、槍の名人楊再興が有利。金兀術は、大雪を利用し、小商河の橋の下に伏兵を配し、待ち伏せ作戦を取る。

 まんまとおびき寄せられた楊再興。接近戦は不利と見て、遠巻きから一斉に矢を射かける金の伏兵たち。
 舞台で見ていた時にはてっきり弓には弦がなく、引く真似だけをしていると思っていたのだが、パンフレットの写真をよくよく見ると弦がうつっている。ちゃんと弦が張られた弓だったのか?いずれにせよ4人の兵士で弓を引く間合いがびよ〜んびよ〜んと引く者、しゃかしゃかしゃかと引く者、タイミングはまちまちであった。

 針ねずみ状態になった楊再興、なお奮戦するも、ついに息絶える。それも静かに膝をつくのではなく、派手に身体を跳ね上げ、くるっ!と身体をひねって舞台に倒れ臥す。そして幕。
 隣のおばさん「派手やね。死に対する意識が、日本人と感覚が違うんかもしれへんね」

(ひとこと)
 出典は『説岳全伝』。楊再興は曹成の部将だったが、岳飛に帰順したそうである。同じ岳飛ものの京劇「挑滑車」では、高寵はラスト、体を硬直させてそのまま後にぶっ倒れる僵尸(チアンシー)という絶命の演技をする。このジャンプ〜体ひねりも何か演技の名前がついていたと思うので、思い出したらまた紹介する。

 なお、金兀術とは、引子(インズ。自己紹介の台詞)によると「金国の第四王子、昌平王完顔宗弼皇、号は兀術」。


3 双下山

 続く演目は「双下山」。昆曲の伝統演目「思凡下山」が出典とのことである。

 若い僧本無が舞台に登場。修行に耐えかね、和尚や兄弟子の留守に乗じて、山を降りようとしている。

 本無の行当(ハンダン。役柄)は(チョウ。道化役)。丑は、鼻を中心に白く塗る化粧が特徴。ピエロも顔を白く塗るし、妙に哀しげな表情も共通している。

 首からかけた数珠を多用する。前にぐっ!と持ち上げ、アーチというか、鏡の枠のようにして、その枠の両横から「ばあ〜っ」て感じで顔を出したりする。
 突っ立ったまま首を微妙に回し、首にかけた数珠をぶ〜んぶ〜んとフラフープのように(←たとえが古いね)回す。さらに、数珠を回したまま、身体もぐるぐると回転させたりする。写真は北京で買った絵葉書からのもので、演じるは王保忠。
数珠ぶんまわし

 微妙にタイミングを計り、ふわっ!と数珠を首だけで放り上げ、またすぽっ!と首で受け止める。
 一番多いのは、数珠を体の前で40cm幅くらいで持ち、その幅の部分を縄跳びみたいにぶんぶんぶんと回すもの。回しながら歩き、歩きながら回す。

 さて、美しい尼僧の色空を見かけた本無。からかってやろうと声をかける。ものの拍子で、何回かくっつきそうなくらい、顔をつきあわせる若いご両人。いつしか両者もお互いに憎からず思い、ひょんなことから二人とも俗世に戻ろうとしていることを知り、夫婦約束まで交し合う。

 本無を演じる厳慶谷も国家一級俳優。しかも、日本の大学にも学び、茂山流の狂言も修行しているそうだ。
 開演前に、京劇では丑に限ってはアドリブが許されるという「あおり」のアナウンスがあった。それを受けるがごとく、ここから厳慶谷のアドリブが連発。

彼女をおんぶ  落ち合う場所に川がある。ここで花道が活用される。花道部分を川に見立て、足をちょいと踏み入れる。「ツ・メ・タ・イ」思わぬ日本語に場内大受け。
 それからも「坊主と尼さん・・・」なんて日本語の台詞が続いた。

 色空を演じる劉佳が好き。顔のイメージで行くと縦長、眼も切れ長の史敏と違い、丸顔で眼もくりくりしていて可愛い。熊谷真美って感じ。

 本無は靴を口にくわえ、色空をおんぶして、ふたり仲良く花道の奥へと退場。      

 またも、隣のおばさんの寸評。「おもしろかったね。あの、女の人、ええんちゃう?伸びると思うわ。ひいきにしよ
 へえへえ、それはありがたいこって。



4 貴妃酔酒

 いよいよラスト。幕があがって、裴力士、高力士の二人の宦官。
 ばっ!とスポットライト。おや、また花道を使うのだな?と気がついた。舞台向かって右上方からスポットライトが花道を照らす。そうすると、花道後方の私らは照明を正面から浴びることになり、まぶしくって仕方ない。

 花道から楊貴妃一行の入場。美しいのだが、少し進んだらすぐ正面席の方を向いての演技が始まる。先ほどの双下山の川の場面もそうであったのだが、専ら正面席側を向いてるので、後ろ姿しか見えない。残念だ。まあ、楊貴妃のうなじなんか見ようと思ってもなかなか見れるもんじゃないぞ、と自分を慰めることにする。

正装の楊貴妃  入場のシーンであるが、お付きの女官は大きな扇を持つのが二人、それ以外が二人の計四人。パンフに載っている訪日メンバーで史敏以外の女優は劉佳、何蕾、陳蔚の三人。じゃ、あとの一人は?と思って配役表を見ると、沈菊娣とある。で、パンフの表示はスタッフ。こうしてパンフに配役が載り、堂々と日本公演のステージにあがる以上、素人ではなく、京劇の心得はあるのだろう。上海京劇院の正式メンバーでないから、俳優と書けないといったような事情はあるのだろうが、少し?な気分。

 劉佳さんくらいはわかるが、他の人の区別はつかない。だから、どれが沈さんかわからないのだが、登場のシーンで先導する扇を持つ女性の一人(左側)が、あわてている。花道の入口に扇の先がひっかかっているのだ。いったん、少し下げればいいと思うのだが、いわゆる関西弁でいうところの「ウロが来ている」状態なのだろう。強引に引きずり出した。折れたりしなくてよかったと思う。あの人が沈さんでは?と邪推する私。

 舞台正面に楊貴妃一行が着く。玄宗皇帝が百花亭で宴を催すよう命じたのだが、その皇帝は西宮へ行ってしまったとの報せが入った。西宮に行ったというのは、玄宗が楊貴妃のライバル梅妃のもとに行ったということである。
 やけ酒を飲むことに決めた楊貴妃。女官や宦官がすすめる酒を次々に飲み干して「できあがって」いく楊貴妃。飲み足りぬ、礼服を脱いでくるから、大きな杯を用意しておけと宦官に言いおいて、いったんお召し換えに引っ込む。

 高力士、裴力士の二人が花の鉢で宴席を飾ろうと運ぶ。重い鉢なので、二人で運ぶのだが、両者の手の高さが合っていないので、もうひとつ、二人で力を合わせて運んでいる実感が、見ている私には伝わってこなかった。

 楊貴妃再登場。公演パンフによると「臥魚・・・庭園の花を愛でるときに見られる動作。足を踏み出して体をかがめながら上半身を大きくひねり、背中を地につけ上を仰ぎます」とある。そのポーズで花の香りをかぐ。

魯さんの臥魚はねじりが少なめ
 白黒写真は魯大鳴氏の『京劇への招待』から。

 カラーは、北京で買った絵葉書からのもの、演じているのは李玉茹という女優さん。
いつもより、よけいにねじれております

 楊貴妃のやけ飲みは続く。だんだん乱れてくる。

口でくわえちゃいます  パンフの写真にあるように、手を使わず、盆の酒杯を直接くわえる楊貴妃。

 そして、パンフ説明によると「下腰・・・歌舞伎にある「えびぞり」に煮た京劇の基本動作で、貴妃が酒を飲む場面のクライマックスになります」に移る。

 要するに、杯を口にくわえたまま、いったん盆に背を向ける。そして、ぐぐぐっ〜とえびぞりになっていき、元の盆に杯を戻す・・・というのが見せ場というわけだ。高力士が「なんて飲み方だ」と呆れる台詞があった。
 この下腰が本公演では二回繰り返された。私は、この「えびぞり」は、エンターテイメントとしてはおもしろいが、見ていて、「美しい」シーンとは思えない。杯を直接口にくわえるというのが、まず「行儀悪いなあ」と感じてしまうのだ。

 帝の寵愛こそが、自らの存在意義そのものである。自分の所へ来ると言っておきながら、玄宗は梅妃のもとへ行ってしまった。アイデンティティ根源の危機。
 千々に乱れる女心、愁いを酒の力でまぎらわせようとするのだから、後ほどの、宦官に酒のお代わりを持て、西宮から玄宗を連れて来いだのと無理難題をふっかけ、拒む宦官にびんたを食らわせ、「わらわの思いに背くなら、宮殿を追い出すぞ」と言うシーンは理解できる。
 頬を打つといってもじゃれているようなもの、ずっと側に仕えている宦官への甘えのようなものを感じる。
 また、言いつけに従うなら官位を与えるが、聞かぬならクビにするという台詞も、単純にとらえるなら権力をかさに着た、いやみな台詞。しかし、その台詞を発する楊貴妃自体、玄宗の意により明日はどうなるかわからぬ身の上。何より、官位を授けるといっても、「天子様に口添えし」、宮殿を追い出すといっても、「天子様に言いつけて」と天子を媒介にしないと何も語れない哀しさを感じるのである。

 要は、下腰はあってもいいが、二回も繰り返すことはないやろう、ということ。

 楊貴妃は、高力士の冠を取り上げ、自らの冠の上に重ねる。そして男のような歩き方をする。
 「おんな」である我が身がいやになったのか、それとも男であって男でない宦官をあざけっているのか。

「恨めしや李三郎 
とうとう私をお捨てになった
捨てられた私は  長い夜を耐える」

 悲痛な唱を残し、両脇を女官に支えられ、酔余の楊貴妃は、宮殿に帰る。

 

帰ろう

(ひとこと)
 この「貴妃酔酒」は、往年の名優梅蘭芳が現在のような形に整理したと聞いた。そこで、加藤徹さんの「京劇城」の掲示板で、「梅蘭芳自身や、他の人の演技でも、このえびぞりは入っているのでしょうか?」と質問した。すると、十河都さん、xiaoyuさん、加藤徹さんから、あれほどじゃないが、梅蘭芳ものけぞっていたとのご回答があった。ビデオや来日公演でご覧になったそうである。

 また、加藤先生からは『京劇と中国人』(著:樋泉克夫。新潮選書)に梅蘭芳改編前の「貴妃酔酒」について言及があると教えていただいた。この本も、以前買っていたので、さっそく読んでみた。

「戦前の『貴妃酔酒』をみると〜自分を捨てた玄宗を恨み〜安禄山を『かつては床を共にした仲なのに、いまではわらわをうち捨てて、浮気浮気のし放題』と罵る。燃え上がってしまった欲情。火照る体をどうすることもできず、あろうことか酔いにまかせて宦官に誘いを掛ける。すると宦官、すかさず『我、我没有(やつがれ、モノのお役にたつでなし)』と切り返す。
 男なしではいられぬ楊貴妃の痴態を赤裸々に表現したもの。」

 少しけれんが多いのでは?酔歩、酔眼はよいが、楊貴妃の絶望、哀しみを表現するのに下腰はどうか?と感じたのだが、もともともっとけれん味たっぷりのものであったようだ。   


 「花道」を使った京劇というのも、あまりお目にかかれないと思う。貴重な経験をさせてもらった。
 上演案内を送ってくれた楽戯舎さんに感謝したい。

 

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