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京劇の世界(10)中国京劇院大阪公演鑑賞記その3

10 李光・李岩ダブルキャスト問題について(その1)

 鑑賞記その1で書いたのだが、今回の公演のウリは、名優李光の来演。
 李光氏のことは、加藤徹氏の『京劇 「政治の国」の俳優群像』に詳しい。それと、今公演パンフから抜粋して紹介してみたい。

 李光は、1941年北京生まれ。父も兄弟も、兄弟の配偶者も京劇俳優という梨園の家系で、9歳で初舞台を踏む。
 名優李少春から「不記名的関門弟子(あえて口には出さないが、彼こそは、と見込んだ最後の弟子)」としてもてる芸のすべてを伝授された。

 のちに「革命模範劇」第2弾の『平原作戦』で主役の八路軍隊長趙勇剛役に抜擢される(74年に映画化)。

 79年、中国京劇院が来日。李光は、「大鬧天宮」の孫悟空と「三岔口」(サンチャコウ)の任堂恵を演じる。
 86年、中国京劇院は大規模な来日公演を実施。李光は東京で、三代目市川猿之助と会見。
 89年、「哪た鬧海」をベースとしたスーパー歌舞伎『リュウオー』で市川猿之助と共演。川劇(四川省)の秘技「變臉」まで披露する熱演ぶりで、多くのファンを獲得した。
 92年、日中国交正常化20周年を記念し、新作京劇『京劇・坂本龍馬』が創作され、中国で上演。李光は、監督と主演(坂本龍馬)をつとめる。中岡慎太郎は李欣(実弟)、お登勢は沈健瑾(妻)が演じた。
 97年の中国京劇院来日公演でも「大鬧天宮」の孫悟空を演じ、「孫悟空役者の代名詞」といわれている。

 今回、日中国交正常化30周年記念と銘打った中国京劇院の全国公演で、「李光がまさに当たり役孫悟空を演じる!」というのだから、全国の京劇ファンは狂喜乱舞して、その公演の日を待ち望んだのである。
 しかし、水歌ななこさん(「中壇元帥進香団・日本支部」主宰者)の掲示板で「李光先生は、今回劇の途中で、弟の李岩氏と入れ替わる」、「岡山や広島の公演では幸いにも全幕李光先生が演じたが、逆に、全幕李岩氏が演じた地方公演もあるらしい」などという情報を知った。

 これはえらいことである。で、大阪公演ではどうなんだろうと思っていると李光・李岩の併記。どこで入れ替わるか、注目しながら舞台を見つめていた。
 そして、前回で書いたとおり、「閙天宮」冒頭からのA氏、そして天王軍の青龍・白虎・月孛・紅鸞・哪タと闘ったB氏、そしてB氏が退場した後に再度登場し、最後まで演じたA氏。真ん中に出てきたB氏が、やたら元気のない、疲れた老人のようだったのである。

 李光氏は60歳過ぎ。弟の李岩氏は6歳下。元気なA氏の方が若い弟李岩氏だろうと私が考えたのも自然ではなかろうか。
 思うに、今回の全国公演は2月13日の沖縄に端を発し、その次は北海道・・・といった超ハードスケジュール。さしもの李光もすっかり疲れ果てて体調を崩してしまった。
 しかし、大都市大阪の公演で、「李光全面休演」となるとつめかけたファンも納得しないだろう。そこで、まずは冒頭と、最後の派手な立ち回りのシーンは弟李岩に任せる。そして、「顔見せ」的な意味合いで、真ん中のシーンだけ李光が演じよう。投げ上げた棒を後ろ手でつかむなど、テクニックを要するシーンも多いので・・・と思っていたら、体調は予想していたより悪く、「決め」のシーンも次々に失敗してしまったので逃げるように舞台の袖に引っ込んでしまい、最後のカーテンコールにも出てこなかった。ひょっとすると、そのまま楽屋で休んでいるのではないか・・・私は、そう考えたのである。

 あれほど体調が悪いなら、名優李光の名誉を汚さぬためにも全幕李岩氏に任せる英断を下してもよかったのではないか。いやいや、私は実際に両者の演技の格差を目の当たりにしたから、そのようなことを言っているが、実際に劇場に来てから「本日は李光氏体調不良のため、全幕李岩氏が演じます」などという張り紙を見たら強い不満を覚え、「伝説の李光氏の演技、体調が悪いと言うなら、たとえわずかでもいいから出演してもらって、その片鱗だけでも観たかった」と感じたことであろう。
 営業的には本日のダブルキャストは、やむを得なかったのかな?と思い返したのであった。(しつこいようだが、この段階では、私はあくまでも元気な方が弟李岩氏だと思っていたのである)

     


11 李光・李岩ダブルキャスト問題について(その2)

 しかし、パンフレットの写真(当然、孫悟空を演じているのは李光氏)を見ていると、元気な方が李光氏であったとしか思えない。(臉譜のせいで無論素顔はわからないのだが)

 水歌ななこさんの掲示板を再度読んでみると、ななこさんが「青龍〜哪タと闘ったのが李岩氏」と書いておられた。これは、どうも李光→李岩→李光だったようだ。
 会場で、中国京劇院「閙天宮」のビデオを買った。これは当然李光氏が演じている。そして、李岩氏が二郎神を演じているようである。それでは、このビデオと大阪公演で、青龍〜哪タの部分における李光氏と李岩氏の演技を比較してみたい。

  李岩(大阪公演) 李光(ビデオ)
 眼光に力がない。目を細めているように見える。それがまた、苦しげな印象を受ける。   かっ!と見開き、活力溢れる眼光。きょろきょろと見渡すさまは、いかにも好奇心旺盛なサルを髣髴とさせる。
重心  妙に重心がひょろ高く見える。
 足がやけに細く感じる。
 パジャマを着たお年よりの長期入院患者のように見える。
 重心がすわり、しかもいつでも次の動きに移れるぞって感じ。
手の振り  「話にならない」、「相手にしてられない」と言わんばかりに手をちゃっ!ちゃっ!と振るシーンがよくあるが、肩やひじ、手首が上がってしまっている。極端なたとえだが、ハンガーに掛けたままワイシャツを着ているような感じ。
 そんな状態で、手の先だけを振っているのだが、手の先しか「動かない」ような印象を受ける。
 頼むから向こうに行ってくれ、これ以上俺を煩わせないでくれと相手を避ける動作のように見える。
 脇がしまり、ぴッ!ぴっ!と、下から上へ、手首のスナップが効いた動作である。

 お前らとは格が違うんだということを誇示するため、あえて手の先しか「動かさない」ように思わせる。  
立ち回りの速さ  前後の演技と、ここだけ、はっきり「流れが変わった」と思わせるほど、動きが遅い。キレが感じられない。  格下の相手とのシーンなので、必死に戦っているのではない。あえて視線を外し、小手先であしらう感じを出している。
 悟空の余裕を表現する意味でも、立ち回りのスピードはゆっくりめである。(前に立つ青龍を棒で打ち、その棒を後にスライドさせて白虎を打つシーンなど)
 しかし、のんべんだらりと遅いのではなく、要所要所ではスピードを上げるので、めりはりがきいている。
「控え」のシーン  手下に戦闘を任せ、自分は後ろで控えているシーンがあるが、棒を抱えて「よっこいしょ」とすわりこんで、本気で休憩している感じ。  手下がどんな戦い振りをするのだろうか興味津々という感じ。
 Dr.スランプあられちゃん風にいうと、「わくわく、わくわく」という効果音をつけたいくらい。
投げ上げ  棒を空中高く投げ上げ、落ちてきたところをスパッ!とつかむ「決め」のシーンで、2回とも落とす。 (ビデオに収録したものだから当然だが)見事に成功。

 結果論で、やたら李岩氏を酷評しているのではないか、とご批判のむきもあるかもしれない。しかし、これは個人攻撃をしているわけでもないんで、中国の京劇をやたら神格化するんじゃなく、今後とも「あかんもんは、はっきりあかんと言う」ことにしたい。
 思うに、李岩氏も国家一級演員(←どんな基準で選ばれるのか知らないのだが)であるし、普段はきっと素晴らしい演技を見せてくれるのだと思う。
 それが、あのような演技(しつこいようだが、大阪公演のあの部分の演技は、ほんとひどかったと思う。いや、そうじゃない。あの演技は素晴らしかったんだという人がいるなら、どうかご連絡を。ぜひとも論議いたしたく存じます)しかできなかったということは、よっぽど体調が悪かったのだと信じたい。
 そして、それがあの超過密スケジュールに起因するものであるなら、責(せめ)は、あの公演日程を組んだ人間こそ負うべきものなのだろう。
 李光氏が、全幕通しで演技せず、中抜きで李岩氏に演じさせることも、過密日程による負担を緩和させるためなのだろうし。

 


12 場内のお客さんについて

 場内は、やはり女性客の割合が多かった。これは演劇全般の傾向なのだろうか?

 京都公演を観に行かれた鍵屋さん(HP「鍵工房」主宰者)も、場内のおばちゃんのマナーの悪さに憤慨しておられたが、大阪公演では、最前列に、派手派手な女性連れで開幕後に現れ、その後上演中に何度も席を立って外へ出るおっさんがいた。
 私自身も「おぢさん」であるし、女性連れということもうらやましく感じることはあっても、別にそれがいかんと言っているわけじゃない。仕事とかの都合で、開演時間にどうしても間に合わないこともあるだろうし、途中でトイレが我慢できなくなることもあるだろう。

 だけどね、ぬぼ〜っと突っ立ったまんま、場内に入ってきて、席について、そしてまた、突っ立ったまんま場内を出入りするのはマナー違反、というか常識以前の問題だろう。
 怒りにまかせて、鍵屋さんとこの掲示板でも書いたのだが
「俺のオンナが中国の芝居観たいって言ってるから、来たもんね。俺、金あるから最前列の席取ったんだもんね。だけど、俺、中国の芝居なんぞにゃ、これっぽっちも興味ねえから、途中だろうとなんだろうと自由に出ていっちゃうもんね。俺、普段から他人に頭下げねえから、ぜ〜〜〜ったい腰なんぞ屈めないもんね。むしろ、そっくり返って、あたり睥睨しながら出てくんだもんね、オラオラ」って感じだった。

 幕が降りたとたん、拍手が鳴り止んでない中でどやどやと席を立ち、カーテンコールで舞台に再登場した俳優さん達とばつの悪い思いをするお客さんも、(こないだ観た、北京京劇院奈良公演=京劇の世界No(6)参照の時ほどではないにせよ)けっこういた。思うに、カーテンコールというものの存在を知らんのでしょうね。

 「カーテンコール」が暗黙の前提になっているというのは、実は私は好きではない。あくまで、カーテンコールというのは、観客の賞賛の意の現れであるべきだと思うからだ。ひどい出来の時は、当然観客達は、上演後さっさと席を立つべきだと思う。
 しかしながら、この日席を立っていた善良そうなおっちゃん、おばちゃん達が、尖鋭な批判意思を秘めていたようには思えない。
 それと、矛盾するようだが私は、カーテンコールは「当然」に堕してはいかんが、基準はアマアマでいい、つまりよっぽどひどい場合でない限りあった方がいいと思っている。
 だって、無機質な、布っきれに光を投影してるだけの映画と違って、生身の人間が、目の前の舞台の上でセリフをしゃべり身体を動かしてくれてるんだから、それに対する感謝はしていいと思うし、僭越かもしれないが、役者さんの方も、終わった後、オプションで手ぐらい振ってくれてもバチはあたらないのかなと思うのである。
 ということで、今回公演では若干(ムチャクチャ文句言ってた?)の不満はあっても、全体としては充分カーテンコールに値すると思うんで、失礼だったな、と。

 私の右隣に座っていた人は、黒っぽいシャツを着て、髪はパンチパーマ。左ほほ(つまり、私の席から見える方)にキズではないのだろうが、伊東四郎のようなシワがあり、顔全体の印象としては、赤井英和っぽい、いい言葉で言うと実に精悍な、ま、はっきり言うとかなりコワモテのおあ兄さんであった。
 私は、うっかり肩とかが触れたらいかんと、大きな身体をすぼめながら観劇していたのであった。
 しかし、このお兄さん、京劇のミエの場面で、私が手をたたくと、すぐについて手をたたく。積極的に盛り上げていこうという姿勢が感じられた。ただ、自分で手をたたいて、ちらと私を横目で見て、私がたたいてないと、拍手をやめてしまうとこが何となく途中からプレッシャーになってきたのだが。

 1部、2部の間に15分の休憩が入った。トイレから戻ると、お兄さんもちょうど戻ってきたようで、(中央通路から見ると、私の席の方が奥になるので)通路のところで、私が先に入るよう待ってくれた。あ、どうもと恐縮しながら席につく。お兄さんも席につく。と、前を向いたまま、前置きもなしにいきなり話し始めた。
「ほんまゆうと、西遊記の京劇は、閙天宮より、この前の如意棒とか取りに行くとこの方がおもろいねんけどな」
 私は一瞬どきっ!としたのだが、根が好きな話題だから
「ああ、竜王のとこにですか」
「そうそう、家来とかがいっぱいおって」
「カニとかエビのかっこしたやつらですね」
「せやせや」と破顔一笑。
「俺な、歌舞伎は、もともとよう観に行ってるねん。ちょっと前に、NHKで西遊記の京劇を通しでやっててなあ、それで京劇も好きになったんや。大阪に来てるやつは、たいがい観に行ってるで」
「NHKって、衛星放送ですか」
「ちゃう、ちゃう。地上波や。もう、けっこう前かな。せや、こんど上海から来るやろ」
「ああ、私S席の先行販売ゆうやつで、もう予約しましたわ」
「そうか、やるなあ」と言われ、満更でもない気分になった。

 ぱっと見では、できるだけかかわりになるのはやめよかな?と思うような人と共通の話題で盛り上がる、そのことが嬉しかったし、けっこう大阪の京劇ファンも裾野が広いやんと思えたことも嬉しかった。


 

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