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(No96) 講演「修ニ会を学ぶ」聴講記 その5 

 2007年2月3日(土)、息子の学校の父母会行事で講演会があったので聴きに行った・・・・の完結編。

(なお、いつものことなのでつい断り書きを省略しがちなのだが、たいてい録音は禁止されているし、たとえ許されていても逐一テープ起こししていたら時間がいくらあっても足りない。よって、いつでも聴講記は、簡単なメモとおぼろげな記憶を頼りに「適当に」セリフを再構成している。
 「話し言葉」なので、「録音してるんでしょ!」とお叱りの言葉をたまにいただくので、そうではないということをお断りするとともに、内容については聞き間違い等が多々あることを前もってお詫びさせていただく) 

 


【 6.本行 】
【 (5) お松明 】

 処世界は、他の人より2時間くらい先に堂に行って掃除をするので、お松明
(たいまつ)がないと申しました。他の者は6時か7時くらいに上堂しますが、その時にお松明が出ます。
 今は全員が北の出仕口から上がるようになりました。

 お水取りといえば、欄干からお松明の火の粉が舞い散るシーンが有名ですね。
 お松明は、行の趣旨ではない。単に練行衆が夜に上堂する時の懐中電灯代わりにすぎない、と言う人もいます。しかし、私は意味があると思います。

 あのお松明で、たくさんの人が見に来てくれます。修ニ会の時には二月堂あたりの空気が変わります。お松明を契機に少しでも多くの人が、修ニ会を知っていただけたら、と思います。

 さて、処世界も1日くらいはお松明がないと可哀想だということか、12日だけは11本のお松明が出ます。その日だけは駕籠松明という大きな松明を使います。
 通常は、青い杉葉を使います。
 3月12日だけ松明は重さが60kgくらいあります。松明には孟宗竹ではなく、3年以上真竹でないと保たないといわれています。孟宗竹では折れてしまうそうです。
 普段の松明は脇に抱えるように持ちますが、12日だけは肩にかつぎます。


【 (6) その他の行法 】

 


【 (7) 下堂 】

 一日の行を終えると下堂して、湯屋へ行きます。
 一番の楽しみというと、湯屋で体重計に乗ることなんですね。今日は何kgやせただろうか、ということで。この体重計は、何年か前に清水公照長老が寄進してくださったんです。理事長なんか5、6kgはやせますからね。・・・・私は増えたんですが。
(会場笑い)

 大きな檜のお風呂なんです。
 一人が「お行水!お行水!」と言うと、周りの者は「さよう!さよう!」と言わなければならないことになっています。
 ところが、行を終えた後のお風呂ですから楽しくてね、隣の人と私語してたら「さよう!さよう!言わんかい!」と先輩に怒られたことがあります。
(会場笑い)

 その後、「ごぼう」という名の茶粥を食べます。

(※ 石野注)
 「お行水!」と言うと「さよう!」と返さねばならないのに雑談して怒られたという話は面白いのだが、もう一つシチュエーションがわからなかった。
 その辺、後日の守屋長老の講演で質問したので、その時に詳述する。

 また、「ごぼう」については、その守屋長老の講演を聴いた後で実際に食べたので、それも併せて紹介する。



【 7.さいごに 】

 さて、奈良ではお水取りが済まないと春が来ないといわれます。また、春になっても天候が不順だと「水、汲み足りへんかったんちゃうか」などと言われます。
 これだけ大そうなことをしないと春が迎えられないということなんですね。

 皆さんも是非、修ニ会に来ていただいて、声明を楽しんでもらったり、春を迎えることの趣旨や、修ニ会の意味をお考えいただけたら、と思います。
 どうもありがとうございました。
  (※ 石野注)
 この後で時間も超過しているが、どうしてもお聴きになりたいことがあれば一問だけ質問を受け付けるとの司会者の言葉があったので、手を上げた。

 先述の『仏教発見!』に「『お水取り』の楽しいところは、なんと言っても観音様をほめまくる点にある。〜こんなふうにほめまくると、次は名前を60回以上呼び続ける。
〜最初は『観自在菩薩』とフルネームで呼ぶ。やがて『観自在』と短くなる。そして最後は『観』になる。『観ちゃん!大好きっ!』と叫んでいるようなものである。回数も18回
”位”というのがいい。夢中になっている時に、正確に数えるのはやぼである」という記述があった。

 「南無観自在菩薩」と24回呼ぶ。次に「南無観自在」と20回呼ぶ。最後、「南無観」と「18回位」呼ぶことになっていると書いてあったのだ。
 これは話としてはおもしろいのだが、正式な作法の書に18回「位」なんてファジーな表現がされているか疑問だった。
 それで、回数についてはどうなっているのか質問した。

 回数については全部、きちんと決まっています。
 しかし、初夜と後夜では微妙にリズムが変わったりしますし、和上とか大導師が上げ声といって、回数の最後の時に上がり調子で読むのですが、そこを間違えたりして回数が変わってしまうこともごくたまにはあります。

 ともかく、何回読むとは決まっていますが、今何回目か覚えておくのが大変で、人によっていろいろな方法を用います。

 例えば、席の前に南天の実を置いておいて、それを見て数を数えるという方法をとる人もいます。ところが、席に座って前の畳を見たら、南天の実が掃かれてなくなっていた・・・ということがありました。
(会場笑い)
 柱の数を数えるという方法もあります。須弥壇の左側の5本の柱を見て、正面の5本の柱を見て、右側の3本の柱を見るといった調子です。ですから、そんな人は、よく観たら、声明をあげながら、身体がこう
(身体を左に向け、次に正面を向き、次に右を向く)なってたりします。(会場笑い)


 ともかく経験者からでないと絶対に聴くことのできない情報が満載で圧倒的におもしろかった。上司永照師、ありがとうございました。

 ここまで読んでいただいた方、どうもお疲れ様でした。

 
  

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