移動メニューにジャンプ

(No85) 京都御苑 その2 

 2007年1月31日(水)に京都へ米朝・小米朝親子会に行ったのだが、少し時間があったので京都御苑に行ってみた・・・・・・・の続き。
 



  京都御苑でどうしても行きたかったのが蛤御門(左下写真)。
 


 蛤御門といえば、司馬遼太郎の小説での来島又兵衛を思い出す。

 
【 京都御苑 案内図 】

緑色外枠=京都御苑
北側=「入」:今出川入り口、「今」:今出川御門、
西側=「乾」:乾御門、「中」:中立賣御門、「蛤」:蛤御門、「下」:下立賣御門、
南側=「堺」:堺町御門、
東側=「寺」:寺町御門

水色外枠=京都御所
北側=「朔」:朔平門、
西側=「皇」:皇后門、「清」:清所門、「宜」:宜秋門、
南側=「建」:建礼門、
東側=「春」:建春門

御所内=「紫」:紫宸殿、「車」:新御車寄、「涼」:清涼殿、「小」:小御所、「学」:学問所、「学」:御学問所、「常」:御常御殿、「参」:参内殿、「后」:皇后宮御殿

黄色外枠=「大」:大宮御所、「仙」:仙洞御所

御苑内
「明」:明治天皇生誕地、「猿」:猿ヶ辻、「瘤」:瘤の樹、「厳」:厳島神社、「翠」:拾翠亭、「桜」:桜松、「迎」:迎賓館


 右下写真は蛤御門の瓦。
 ところで、この門はもともと「開かずの門」だったが、宝暦の大火(1708)の時に開いたので「焼けて口を開く」で、蛤御門と呼ばれるようになったらしい。

 ウソみたいな話やな。

 「禁門の変」の時の弾痕が今でも残っているらしいのだが、よくわからなかった。

 上掲写真は、それっぽい所を探したのだが・・・・。どうも違うみたい。



 
 夕日を受けて、これまた真っ赤っかに見える樹。

 建礼門あたりから南側を見たのが右下写真。
 ここが、いわばメインストリートといっていいのだろうか。

 道には細かい玉砂利が敷き詰められているので、自転車は走りにくい。

 で、いわば山ん中の「けもの道」みたいに、各自転車が同じところを走り、わだちのような自転車道をつくっている。


 左写真は、御所の南側面を観たところ。真ん中あたりにのぞいているのが建礼門
 


 右下は建礼門をアップで。
 御所参拝の出入り口は清所門だが、御所としてはこの門が正面玄関なんだろうか?


 


 御所の東側面へ。

 
 建春門は工事中だった。

 右下が桜松
 松のうろから桜が枝を伸ばしている。

 昔は松も元気だったが、倒れちゃったらしい。

 春の開花時の写真はここ

 左下は和風迎賓館
 



 右下写真は大宮御所・仙洞御所の西側側面。
 

 名前はわからないが、この門も警察詰め所みたいな小屋があったので、ここも参拝時の入り口なのだろうか。
 

 
 非常に凝った瓦。菊の花はともかく葉っぱも。

 
 これまた、菊、菊、菊・・・・

 


 右下は、自転車ラインのクロスロード。

 
 御苑に刻まれし十字架。

 
 御苑南端には九条家跡がある。

 その九条池にあるのが厳島神社

 破風形鳥居というのが非常に珍しいそうなのだが。

 
 左が厳島神社の祭神。

 左下が九条家の茶室、拾翠亭
 

 ここで、いったん外へ出た。
 御苑南側側面を東へ進む。

 南側側面の中央あたりにあるのが堺町御門(右写真)。

 京都御苑は、北は今出川通、西は烏丸通(からすまどおり)、南は丸太町通、東は寺町通に面している。

 東西は約700m、南北は約1300m。よって、御苑を一周すると約4kmということになる。


 

 このまま東に進んで鴨川まで出た。地図に「頼山陽書斎跡」とあったので、鴨川公園(鴨川の河原)を歩いたが、特に看板などはない。
 これかなあ?・・・・と思って撮ったのが右写真。

 町の方へ戻ってみたら、小さな石碑が出ていた。やっぱ、さっきのが書斎跡だったらしい。
 扉は閉ざされているようだ。(開けてみたりはしなかったが)

 落語会の時間が近づいてきたし、夕闇も迫ってきたので、会場へ向かうこととした。





 どうもお疲れ様でした。

 
  

inserted by FC2 system