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(No75) 正倉院学術シンポジウム2006 その2 「唐代文物と正倉院」 聴講記
2006年10月29日(日)に開催された正倉院学術シンポジウム2006は、春日大社「感謝・共生の館」にて午前9時より、梶谷亮治奈良国立博物館学芸課長の司会進行により、湯山賢一奈良国立博物館長及び葉室頼昭春日大社宮司の挨拶を経て開会された。
二番目の講演は、中国・陝西歴史博物館研究員:晏新志氏(通訳:京都大学大学院陳馨氏)による「唐代文物と正倉院」である。
晏氏は1960年、西安生まれ。
唐太宗と大化の改新は関係があります。唐の太宗の開元の治と聖徳太子、聖武天皇、天平の大化の改新が一致しているのは偶然ではありません。
(※ 石野注)
失礼を承知で言う。この通訳の方(ちょっと「だいたひかる」に似ていた。まあ、それはどうでもいい)、ちょっと通訳としては力不足だったのでは?
晏氏がペラペラペラと、ずいぶん長く、かつ早くしゃべった後、「・・・・・・・・・どんか(文化?)・・・・・・こうりょう(交流)・・・・・・・いろいろ・・・あります」てな感じ。
パワーポイントで次々画像が紹介されるが、それらは当然記録には残らない。よって殴り書きのメモ頼りなので本稿は相当誤りが多いと思うがご容赦願いたい。
正倉院の三つの倉には全部で1万件近い宝物が納められています。
1.楽器
楽器としては18種あります。
(1) 五弦の琵琶
(2) 四弦の琵琶
唐代の石棺の蓋に楽器を演奏する女性の姿が刻まれているものがあります。その中にも五弦の琵琶や四弦の琵琶が表わされています。
木製の四弦琵琶の本体部分に絵を描くのが唐代に流行しました。
(※ 石野注)
晏氏は、掛軸に描かれた琵琶、三彩器の駱駝の上に乗った楽人の持つ琵琶の画像を紹介された。
そのいずれも琵琶本体に横長の枠を設け、そこに絵が描かれている。
(3) 金銀平文琴
琴も紹介された。裏面の頭の部分に四角い枠があり、そこに人が3人ほど描かれている。その人のうち、右下の人物はまるで古代ローマ人というか、鼻が高くあごひげをはやした人物が、杯をあげていた。その杯は瑪瑙杯なのだろうが、全体的な形としては牛角をくりぬいた杯のようであり、細かく言うと、先端の所には龍か何かのような飾りが付いており、上部には把手が付いていた。身もふたもない言い方をすると、「しびん」のような形である。
晏氏は天津市で出土した琴の画像も紹介された。
形としては正倉院の琴と全く同じ形である。先生は「江南に琴をつくる名人がいた」とかもおっしゃっていたと思う。
2.金銀器
(1) 狩猟文銀壷
中国の銀器には、あまり円底のものはありません。江蘇省で金銀器が多数発見されましたが、これと類型は少ないようです。
(2) くんのう
(※ 石野注)
「くんのう」と聞こえたのだが、何せレジュメに記載が無いし、発音が合っているのやらどうやらわからないので、さっぱり確信が持てない。
燻籠?薫籠?どんな字を書くのか?ともかく、細かい穴のあいた球形の金属器である。真ん中で二つに分かれる。
中国の「くんのう」と日本のそれとはそれぞれ特徴があるようだ。
地球儀でいうなら日本の「くんのう」は、南半球と北半球のそれぞれに縁取りがあるので、丸く合わせると赤道部分に2本のラインが出る。それと日本の「くんのう」には鎖がない。
一方、中国の「くんのう」は合わせてもラインは1本だけ。それとフックの付いた鎖がつながっているのが特徴である。
内部で「香」か何かをたき、籠の網目からその煙を出す(そして着物などをたきしめる)のであろう。
「龕灯」(がんどう)という、別名「強盗提灯」という照明器具がある。メガホン形の金属製のフードの中に二つの可動式の環が組み合わさっている。(参考画像は例えばここで)
メガホンの端には持ち手が付いている。その環には蝋燭立ての針が出ており、そこに蝋燭を立てると、この龕灯をどこに動かしても内部でうまく環が連動して、常に蝋燭を垂直に保つというものだ。
なぜ別名「強盗提灯」か、というと、メガホン状のフードが付いているので光が前方に集中する。暗闇で盗人の顔面につきつけると目くらましになるというので、その名が付いている。まあ、どんな具合に持っても蝋燭が消えないから昔の「懐中電灯」と言えるだろう。
この「くんのう」も中国のそれは内部に二重の環があり、正倉院所蔵の「くんのう」は三重の環で構成されていた。その環でどのような角度になっても香が焚けるようになっているのではないだろうか。
(再注)
後で少し調べてみた。「くんのう」というのは私の聞き間違いで、多分この銀薫爐であろう。
(3) 鹿文銀盤
(※ 石野注)
晏氏はいくつか中国で出土した類品を紹介された。鹿の角はいずれも霊芝状というか「きくらげ」のような形である。
正倉院銀盤の鹿は、向かって左を向いているが頭は右を向く、いわば「見返り美人」タイプ。
西安市出土の鹿は、普通に左を向いたもの。
河北省出土の鹿はやはり左を向いているが、地べたにしゃがみ込んでいる。
あと、内モンゴル出土の鹿は、これも左を向いているが背中に翼みたいなのが生えていた。天馬(ペガサス)というか、天鹿というか。
まあ、その違いがどないしてん?という感じがしないでもない。
なお、この銀盤には足が3本付いている。結構無骨にリベット留めされている。晏氏によると足の飾りなどの風格が、銀盤そのものの格調と一致していないので、後補ではないか、とのことだった。
また、中国出土のそれは8C頃のものと断言できるので、正倉院のそれと同時期だろうとのことだった。
(4) 銀鋺
(※ 石野注)
鋺で文様は駅で売っている「みかん」のネットをちょっとたわませた時のような網目文様。
圏足内部に工房の名前が刻まれていた。
3.玻璃器
玻璃器は6件あります。
(1) 杯
紺瑠璃坏
(※ 石野注)
濃い紺色。全体が青く、表面の文様として輪が付いている。青いワイングラスの胴に竹輪のスライスをぺたぺた貼り付けたようだ。
中国ほうもん(?)寺出土のガラス器と色が一致する。
また、この輪をくっつけたようなデザインのガラス器は中国でも出土している。
緑瑠璃十二曲長坏
八曲水晶杯と造形が同じ。西域伝来と考えられる。ササン朝ペルシャの影響による。成分としては鉛の含有量が多い。
(碗)
白琉璃碗
アメリカのガラス博物館にもイランで出土した類品がある。また慶州博物館にも類品がある。
4.銅鏡
(1) 平螺鈿背円鏡
宮内庁:正倉院HPはここ。
(2) 海獣葡萄文鏡
(※ 石野注)
ここで紹介された鏡はどうも正倉院所蔵の鏡とは限らないようだ。
(3) 金銀平脱金杯銀杯鏡
(※ 石野注)
全体は金色。周囲に十二の稜がある。
(4) 金銀平脱鏡
(※ 石野注)
四鳥の文様あり。陝西博物館所蔵?
過梁(かりょう)といって鏡面の枠を超えて文様があるのが特徴らしいのだが、何の特徴なんだか、よくわからなかった。
また、今年の出展品として周囲の銘文が五言律詩となっている鏡が紹介されていた。その詩は日本に残した思いを綴ったもので作者は留学生か遣唐使の一員であろうとのことだった。
今年の出展品として紹介されている画像として金銀山水八卦背八角鏡。
5.三彩器
件数は68件。
丸底鉢 河南省開封出土。
俑鼓
(※ 石野注)
日本で唐三彩を模倣したのが奈良三彩。晏氏は日本での三彩窯の発見を期待するとのことだった。
6.まとめ
7世紀後半から8世紀にかけては唐の頂点の時期でしたが、それは日本も同じでした。
平城京はシルクロードの東の終着点といわれます。
文化の交流とは一方的なものではありません。現に中国の西安市で、和同開珎という日本でわずか2年しか流通していない貨幣が発見されているのです。
(※ 石野注)
和同開珎が2年しか流通しなかったかどうかは知らない。和同開珎の銀銭はWikipediaによると708年に発行され、翌年には早くも廃止されたらしいが、その銀銭が中国で発見されたのだろうか?
どうもお疲れ様でした。
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