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(No68) 四天王の研究 パーツ研究 その1(上半身編)

  四天王が好きで、いろいろ観てきた。

 四天王というのは仏土を守護する神将で、東方を守護するのが持国天、南方増長天、西方広目天、北方が多聞天。また、毘沙門天とは、多聞天を単独で祀る場合の別称である。
 姿や持物などいろいろバリエーションがある。

  いろいろパート別に分類してみた。今後、いろいろ時代性など特徴がわかれば、分析してみたい。

 


  1 頭

丸まげ 鎌倉時代 文治5年(1180)
神奈川・浄楽寺 毘沙門天 運慶作
   これも丸まげタイプだが、「まげ」がかなり大きい。

平安時代後期
滋賀・石山寺 兜跋毘沙門天 
鶏冠(とさか)まげ  鶏冠(とさか)まげというのは、私が勝手につけた名称。
 丸まげと同じようなものなのだが、先が細かく分かれたりして、鶏のとさかを横から見たような感じに見えるもの。

鎌倉時代 12C末〜13C初
和歌山・金剛峯寺 多聞天 快慶作
   これも鶏冠まげに含まれると思うが、先が分かれたようなタイプ。

平安時代
宮城・双林寺 二天像
ティアラ  「ティアラ」というのも私が勝手に付けた名称。まげを結っているが、額部分に飾りというか、宝冠がついたもの。

鎌倉時代 13C
京都・霊源院 毘沙門天
 ティアラのような「額飾り」も、かなり大きくて実質的に冠に近いもの(例えば法隆寺金堂多聞天など)もあるが、これは完全に「王冠」みたいなもの。
 これは中国製の仏像であり、我が国の仏像では類例は少ない(私は寡聞にして、知らない)。

9C(唐)
京都・東寺 兜跋毘沙門天
ヘルメット   四天王は武装姿が基本なので、ヘルメット(兜)の例も多い。これは何か布帽子みたいなぺたんとしたタイプで、類例は比較的少ない。

平安時代 10C
滋賀・延暦寺 伝多聞天(広目天という説もあり)
翼ヘルメット   「翼ヘルメット」も私の勝手な造語。ヘルメットの両脇が折れ曲がったようになっているタイプで、この類例は多い。

平安時代 9C
岩手・黒石寺 持国天

 

 

 


2 目


開く  非常に冷静な感じの目。

白鳳時代
奈良・当麻寺金堂 持国天
大きく見開く 奈良時代
奈良・東大寺法華堂 持国天  
細める  私は、この広目天は絶対近視だと思う。

天平時代
奈良・東大寺戒壇院 広目天

 さすがに目を閉じた像は見たことがない。ご存知なら教えてほしい。
 このほか、にらみすえたような目の像も多い。
 また、奈良・興福寺南円堂の四天王では一体だけ、片目を細め、もう一方の目は見開き、眉を上げていた。私のメモでは、それは持国天であったのだが、後で図録を観るとどうも広目天っぽい。しかし、南円堂は年一回しか公開しないので真実は来年までわからんのである(しかも、来年、その特別公開に行けたら・・・・の話である)。

 あと、同じく南円堂の多聞天は、上に捧げ持った宝塔を見上げている。完全にあごが上がった多聞天(毘沙門天)はけっこう珍しい。(実は、同じく興福寺の北円堂の多聞天も、かなり上を見ている)




3.口


閉じる  運慶の長男といわれる湛慶作。

鎌倉時代 13C前半
高知・雪蹊寺 毘沙門天
への字 鎌倉時代 12C末〜13C初
和歌山・金剛峯寺 多聞天
軽く開く  これも自然な形の口。
 なお、当麻寺金堂の四天王は髭が生えているのが大きな特徴。

白鳳時代
奈良・当麻寺金堂 持国天
大きく開く いわゆる忿怒相が多いので、当然類例は多い。

鎌倉時代
京都・三十三間堂 広目天

 

 



4.胸(胸甲)


枠のみ  鎧の胸部分を胸甲という。特に飾りなどのない、ごくシンプルなタイプ。
 東大寺の戒壇院の四天王のそれもシンプル。

奈良時代
奈良・東大寺法華堂 持国天
二重枠  二重円のような形

鎌倉時代
京都・三十三間堂 持国天
肩ベルト(環)  肩からのベルトを環でつる。本当に実務的な感じ。

鎌倉時代 13C
京都・霊源院 毘沙門天
肩ベルトのバックル  これも肩からのベルトを胸甲でつないでいるのだが、上のように単なる環ではなく、バックルのようになっているタイプ。これもかなり実務的。

鎌倉時代
奈良・興福寺仮金堂 多聞天
獣面(人面)  いわゆる兜跋毘沙門天は、胸甲のところが獣面(人面)のような飾りがついているものが多い。

平安時代後期
滋賀・石山寺 毘沙門天
華文様  肩ベルトとの関係はないので、これは完全に胸甲の飾りと考えてよいのだろう。多いのは、こうした円形の菊花のような文様。

鎌倉時代 12C末〜13C初
和歌山・金剛峯寺 多聞天
飾り文様  これも胸甲の飾りの一例。花菱的な文様。

鎌倉時代
京都・三十三間堂 広目天
胸甲なし  「胸甲なし」とは少し言い過ぎか。左写真でも下に胸甲らしきものがあるようにも見える。いずれにせよ、優雅に衣の端を結んでいる感じなので、胸甲が目立たない。

飛鳥時代
奈良・法隆寺金堂 多聞天

 

 

 



5.肩・腕

(1) 肩甲
獣肩甲  鎧の肩部分を肩甲というが、意匠としておもしろいのが、獣の口のようになっているタイプ。類例もかなり多い。
 しかし、何か腕食われちゃってるみたいで痛そう。
 勝手に獣肩甲と呼んでいるが「肩獅噛」というのが正式名称だと思う。

天平時代
奈良・東大寺戒壇院 広目天

(2) 籠手(手甲)
蝦籠手(海老籠手)  兜跋毘沙門天では、海老の背中のような籠手をつけているものが多い。

鎌倉時代 13C
京都・青蓮院 兜跋毘沙門天
籠手(手甲) 鎌倉時代
京都・三十三間堂 持国天



6.袖


鰭袖   「ひれそで」又は「はたそで」と呼ぶ。
 肘の部分の、えりまきトカゲのえりまき(←古い)のような形、フリルのような形の袖。大袖とコンビネーションになっている場合も多い。

天平時代 8C中頃
奈良・東大寺戒壇院 増長天
大袖  大きく垂れ下がった形の袖。最も古い時代から見られる。

飛鳥時代
奈良・法隆寺金堂 広目天 
   大袖は、その後にも続いた。肘の部分に「鰭袖」がついていることも多い。

鎌倉時代
奈良・興福寺仮金堂 多聞天

大袖(結び)  大袖は、その先を結んだ形のものも多い。
天平時代
奈良・唐招提寺金堂 持国天

 



7.右手



奈良・興福寺南円堂 持国天
 戟というか、槍というか、こうした長い武器を持つ例は非常に多い。

鎌倉時代
奈良・興福寺仮金堂 増長天
拳(上)  拳というのは当てにならない。もともと剣などを持っていたのだが、現在はそれが失われているため、拳だけに見えるケースが多いと思う。

鎌倉時代
京都・三十三間堂 持国天
拳(下) 平安時代 10C
滋賀・延暦寺 広目天
手(腰)  手を腰に当てているのは、たいてい反対側の手は戟など長い武器を持っている場合が多い。

鎌倉時代 13C
京都・海住山寺 増長天
手(前)  掌を前に向けている例

白鳳時代
奈良・当麻寺金堂 増長天
手(剣に添える)  剣を持つ左手に添えている例

天平時代
奈良・唐招提寺金堂 持国天
宝塔  多聞天が単独で祀られる場合、毘沙門天という。つまり両者は同じであるが、多聞天の場合は宝塔を右手に持つ例が多い。

飛鳥時代
奈良・法隆寺金堂 多聞天
宝珠  ひょっとすると元々宝塔を持っていたのでは?と思わないではないが、とりあえず今は宝珠を持っている。

鎌倉時代
奈良・興福寺仮金堂 持国天
宝棒(上) 弘仁・貞観 承和6年(839)
京都・東寺講堂 持国天
宝棒(下)  右手に宝棒を持っている。この棒は後補で広目天の筆ではないかとも思われるが、本仏像では左手にちゃんと宝塔を持っているので筆ではない(広目天ではない)と思われる。

平安時代 9C
福岡・観世音寺 兜跋毘沙門天

 

鈷杵  こうした小物は後補の可能性がぬぐいきれない。しかも現物を見ていないので何ともいえないのだが、写真を見る限り五鈷杵か何かを持っているように見える。

鎌倉時代 13C
京都・海住山寺 持国天
 とりあえず宝塔を持っていれば毘沙門天か多聞天だし、筆と経巻を持っていれば広目天である。実にわかりやすい。

鎌倉時代 13C
京都・海住山寺 広目天 
羂索  羂索を持っている例は、他に知らない。何せ持物なんで、どこまで「本物」かよくわからない。しかし、興福寺であるからこそ「本物」の可能性は高いのである。

鎌倉時代
奈良・興福寺仮金堂 広目天

 

 

 



8.左手


剣(上) 鎌倉時代
奈良・興福寺仮金堂 持国天
剣(下)  上に挙げた右手に持った剣を左手で受ける形

鎌倉時代
奈良・興福寺南円堂 持国天
 鞍馬寺の毘沙門天は、時代の旧い分は左手を目の上にかざしているのだが、これはノーマルに戟を持っている。

鎌倉時代 13C
京都・鞍馬寺 毘沙門天
拳(中)  両手が交差しており、評価が難しい。

平安時代 延暦10年(791)
奈良・興福寺北円堂 持国天
拳(下) 平安時代 10C
滋賀・延暦寺 広目天
手(上)  非常に有名な仏像だが、類例は少ない。左手を目の上でかざしており、守護すべき都を遠く見守っていると解される。

平安時代 大治2年(1127)
京都・鞍馬寺
手(下)  本仏像は右手に宝塔を持っているが、左手は自然と垂らして腰の横に伸ばしているように見える。

平安時代 延暦10年(791)
奈良・興福寺北円堂 多聞天
手(腰)  腰に手を当てている例は多い。右手を腰に当てている例と同じく、反対側の手には戟を持っている場合が多い。

平安時代前期
福島・勝常寺 多聞天
宝塔(屈臂)  毘沙門天の場合、多聞天と違い左手に宝塔を持つ場合が多い。左写真は、その中でも類例が多い屈臂(手を曲げた状態)の例。

平安時代 10C
岩手・成島毘沙門堂 兜跋毘沙門天
宝塔(伸臂)  多聞天では右手に宝塔を持つ例が多いのだが、これはやや珍しい多聞天で左手に持つ例で、しかも手を伸ばして上の方で持っているので、より珍しいケース。

鎌倉時代
奈良・興福寺南円堂 多聞天
宝棒 鎌倉時代
奈良・薬師寺東院堂 多聞天
経巻  広目天といえば、右手に筆、左手に経巻。

飛鳥時代
奈良・法隆寺金堂 広目天

 

 

 



9.宝輪(火焔)


宝輪(円盤状)  円盤状の宝輪

飛鳥時代
奈良・法隆寺金堂 多聞天
宝輪(棒なし。通常の輪)   土星の輪のようである。

鎌倉時代 文治2年(1186)
静岡・願成就院 毘沙門天
宝輪(棒なし。細い輪)  リングが細め。

鎌倉時代 13C
京都・海住山寺 多聞天
宝輪(八方向の棒。火焔なし) 白鳳時代 7C後半
奈良・当麻寺金堂 広目天 
宝輪(棒なし。火焔全体) 鎌倉時代
奈良・興福寺仮金堂 多聞天
宝輪(棒なし。火焔3箇所) 鎌倉時代 13C
京都・鞍馬寺 毘沙門天
宝輪(棒なし。火焔6箇所)   棒なしと書いたが、よく観ると頭の後ろに六本あるかも?

平安時代 10C
岩手・成島毘沙門堂 兜跋毘沙門天
宝輪(八方向の棒。火焔3箇所) 平安時代 9C初
奈良・興福寺東金堂 多聞天
宝輪(八方向の棒。一部が三鈷杵。火焔全体) 平安時代 9C
福岡・観世音寺 兜跋毘沙門天

 

 

 



 

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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