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(No65) 奈良 法隆寺 その3
法隆寺で、年に3日間しか公開されない上御堂が公開されるというので、行ってみました・・・・・・の続き。
9.食堂 その他 右下写真は、綱封蔵(こうふうぞう。平安時代?国宝)。いわゆる宝物庫。これは東南から撮ったもの。
なお、 境内地図は、法隆寺HPのここから。
少し西に戻って、大宝蔵院めざして北上する。
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左下写真は、綱封蔵の中間部あたりで、西南部分から見て撮った写真。
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いかにも土蔵という感じだが、中間部の空白は主に何に用いられるのだろう? |
さらに北上。右下写真、向かって左が食堂(じきどう。奈良時代。国宝)、そして右は細殿(ほそどの。鎌倉時代。重文)。
ちなみに、私の後ろにいた男性は案内看板を読んで「こくほうしょくどう・・・・・
って何やろう?」と首をひねっていた。
大衆食堂ちゃうねんから「こくほうしょくどう」はないと思うのだが。 |
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まあ、フリガナが振ってないのもいかんと思う。
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左写真は、大宝蔵院の前まで行って、食堂の北側側面を撮ったもの。 |
さて、左下写真は大宝蔵院。平成10年に落成した展示館である。
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左写真の手前(左側)に見えるのが西宝殿。
その向こうが大宝蔵院の中門。
さらに、その向こうに屋根が見えるのが大宝蔵院の東宝殿である。 |
中門から入って左に行くと西宝殿。そこには夢違観音像(白鳳時代。国宝)や玉虫厨子(飛鳥時代。国宝)など。
中央の百済観音堂には百済観音像(飛鳥時代。国宝)。
そこから先の東宝殿には、伝橘夫人念持仏厨子(でん たちばなぶにん ねんじぶつ ずし。白鳳時代。国宝)など。
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左写真は、大宝蔵殿。
名前が紛らわしいが、大宝蔵院から南におりたところにある。 |
中央の門の右に看板が立っているが、ここで「法隆寺秘宝展 平成18年秋季」が開催されていた。
門の左に見えている屋根が中倉という建物のもの。松の木の後ろで見えにくいが、そこが南倉。
私は、もっぱら中倉の四天王像(平安時代。重文)を観て、前列の持国天と増長天は頭が丸まげで、後列の広目天と多聞天は屋根みたいな形の変なまげだ。袖の形も、前列は袖の先をくくっており、後列は結んでいないなあ。
ファッションは前列と後列で違うが、ポーズは向かって右側の持国天と多聞天は左手を上げ戟を持つような格好をしているが、向かって左側の増長天と広目天は右手を上げて握り拳をつくっており、左右で使い分けてるなあ、なんて考えていた。
国宝も重文も指定されていないが、飛鳥時代の持国天と多聞天は飛鳥時代だけに、正面向きで左右対称形だなあ、なんてことも感じていた。
で、さらに南下。
10.東大門 その他 左下写真は、東大門。
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奈良時代の建造物で国宝。 |
法隆寺のリーフレットによると、「珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つ」とあるが、どこに特徴があるかよくわからない。
右写真は、東大門をくぐって、東側から撮ったもの。 |
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東大門を抜け、東院伽藍を目指す。
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夢殿への参道の北側にあるのが、左写真にある重文の律学院。 |
もうすぐ夢殿。
11.夢殿 中宮寺 その他 左下写真は、東院伽藍入り口のの四脚門(鎌倉時代。重文)。
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たくさんの観光客が出入りしている。
夢殿の本尊である救世観音(くせかんのん。飛鳥時代。国宝)が特別公開中なので客も多いのでは? |
右下写真は、入り口の門から見える夢殿の屋根。
いわゆる東院伽藍は、行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲び、天平11年(739)に建てた上宮王院(じょうぐうおういん)をさし、その中心が夢殿(奈良時代。国宝)と呼ばれる八角円堂である。 |
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右下写真は、夢殿の相輪。
夢殿内部の救世観音を拝観したが、何せ堂内は暗く、よくわかんなかったというのが正直な感想である。
あと、乾漆行信僧都坐像(奈良時代。国宝)や塑造道詮律師坐像(そぞうどうせんりっしざぞう。平安時代。国宝)なども安置されている。
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左下写真が、夢殿の全景。
夢殿の南側には、礼堂(らいどう。鎌倉時代。重文)がある。
右写真が、その礼堂。
もともと東院伽藍の中門があったが、礼拝場所に改造したらしい。 |
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夢殿の北側にあるのが、絵殿(えでん。鎌倉時代。重文)と舎利殿(しゃりでん。鎌倉時代。重文)。
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左写真では、手前(左側)にある三間の建物が、聖徳太子一代の事蹟を描いた障子絵をおさめる絵殿。
中間にある一間のスペースが馬道。 |
馬道の向こうにある三間の建物が、舎利殿。2歳の聖徳太子が合掌した掌中に出現した舎利を安置する建物。
右写真は、袴腰(はかまごし)といわれる建築様式の東院鐘楼(とういんしょうろう)。鎌倉時代の建築物で国宝。
私は袴腰と聞くと「青磁袴腰香炉」しか連想しないのだが。
ちなみに青磁袴腰香炉の画像については例えばここで。
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鐘楼を抜け、夢殿の裏手に中宮寺があるというので、歩く。
左下写真は、太子殿など。(東院伽藍 北室院太子殿 江戸時代 重文。北室院本堂 室町時代 重文。北室院表門 室町時代 重文)。
その辺を右(東)へ歩くとすぐ中宮寺の門跡(右下写真)。
法隆寺と中宮寺は別の寺院なので拝観料は別。
しかし中宮寺は、夢殿のすぐ裏手。いろいろトラブルがあるのか、拝観料は別料金だという注意書きが目立つ。 |
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境内に入って、特にどこに参れるわけもなく、ひたすら南へ。ひたすら・・・というほどの距離もなく新本堂に着く。
昭和43年に落慶したそうである。靴を脱いで堂にあがると、そこにおわすは、
本尊 如意輪観世音菩薩半跏像である。飛鳥時代の作で国宝。
エジプトのスフィンクス。レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並び世界三大微笑像といわれていると寺のパンフにあるのだが、『ぶつぞう入門』(柴門ふみ。文春文庫)にあるように「そんなの世界でどのくらいの人が知っているのだろうか」と思う。
どうもお疲れ様でした。
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