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(No60) 奈良 唐招提寺 鑑賞記 その2
奈良の唐招提寺は、年に一度釈迦念仏会(しゃかねんぶつえ)が、毎年10月21日から23日の3日間行なわれる(国宝金亀舎利塔などが公開される)というので、行ってみました・・・・・の続き。
6.礼堂
で、その後、礼堂の正面にまわった。釈迦如来、金亀舎利塔、法華曼荼羅特別公開とある。
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左写真は、礼堂の正面。
おお!まさに私はこれが観たいがために今日来たのである。
で、100円なりをお支払いすると懐中電灯を渡された。
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入ってすぐのところにあるのが
金亀舎利塔 国宝 南北朝時代
普段は舎利殿におさめられていて、毎年10月21日〜23日の釈迦念仏会のために、この礼堂に出されているのである。
一番下で塔を支える亀は「すっぽん」系の亀だろうか。鼻先がとんがっている。角みたいなものも生えていた。
その奥が、
釈迦如来立像 重文 正嘉2年(1258)
厨子に入っている。向かって右側の扉には諸仏や、射的をしているシーンのほか、年配の女性の絵が描かれている。この女性は、厨子やその他の寄進をした桂昌院(5代将軍徳川綱吉の生母)ではないか?と解説されている方が言っていた。
衣のひだが非常に細かい、いわゆる清涼寺式の釈迦如来である。
厨子の裏手には三幅の絵がさがっていた。
中央が、鑑真和上。律宗宗祖。向かって右が中国律宗開祖である南山大師こと道宣律師。
向かって左が、律宗中興の祖である元照律師とのことだが、中央の鑑真和上が両目をつぶられているので、それと想像できるくらいで他はわからない。
あとは、この釈迦念仏会を始めた解脱上人(げだつしょうにん)の絵もかかっていた。案内の人が「この絵が解脱上人で・・・」とおっしゃったので何の気なしに「ああ、貞慶ですね」と言ったら「違います。解脱上人です」とおっしゃる。「いや、この軸にも貞慶と書いてる」といっても納得されないのであきらめた。別に解脱上人じゃないと言ってるのではなく、解脱上人貞慶ですねと言ってるだけなんだが。
正面から観ると解脱上人の絵は右奥隅に懸かっているのだが、それと正対する左奥隅にあるのが、
法華曼荼羅(ほっけまんだら) 重文 鎌倉時代
中央に二如来(釈迦と多宝か?)、その周りに八体のほとけ、四隅に高僧の絵。さらにその周りに明王だの何だのがいっぱい。
右写真は礼堂を少し左から撮ったもの。
手前左にちらりとのぞくは舎利殿の屋根。
右端にちらりとのぞくは同じく校倉(経蔵)。
礼堂から続く東室の先には旧開山堂がのぞいている。 |
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境内の平面図をご覧いただくとよいのだが、この礼堂は、東室とも呼ばれる南北に長い僧坊である。
もともと全部僧坊だったのを、南半分を解脱上人釈迦念仏会の道場と改造し、礼堂と呼ぶようになったようだ。
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左写真の右側に写っているのは、その北部分だから礼堂ではなく、東室(僧坊)と呼ぶべき部分。
正面奥に写っているのは旧開山堂。
灯篭の向こうの石段の左に松尾芭蕉の句碑があるようだが、これも後で知った。 after festival である。(←しつこい)
HPのここでも句碑は紹介されている。 |
東室の真ん中は東西に通り抜けられるようになっており、東側に抜けると校倉がある。
7.校倉(宝蔵・経蔵)
さて、校倉は二棟。
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向かって左手前が宝蔵、右奥に小さく写っているのが経蔵。
いずれも奈良時代の建造物で国宝。 |
特に小さい経蔵の方は、正倉院よりも古い現存最古の校倉だそうだ。
経蔵についてはHPのここで、宝蔵についてはHPのここで。
なお、新宝蔵と呼ばれる建物もある。HPではここで。
新宝蔵に収蔵されている文物で一番印象が強かったものといえば、
金堂鴟尾(こんどうしび) 国宝 奈良時代
だろうか。
ぶっちゃけた言い方をすれば、金堂の屋根の上の「金のしゃちほこ」のようなものだ。金堂の屋根(東西に長い)の両端についているのだが、特に西側のそれが奈良時代そのままのもの。いわゆる「天平の甍」(てんぴょうのいらか)そのものなのである。
8.御影堂
御影堂(みえいどう)には、
鑑真和上坐像 国宝 奈良時代 脱活乾漆
が安置されていることで知られる。
また、東山魁夷画伯による障壁画も奉納されていることであるが、普段は公開されていない。
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左写真は、外から撮ったもの。
なお、HPではここで。 |
御影堂は境内の北の方に位置する。ぶらぶらと西の方へ歩いていく。
9.本坊
左下写真は、本坊の入り口のところ。
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草木に囲まれたこんな空間を散策できるというのは、唐招提寺の得がたい特徴ではないか。 |
右下写真は、その本坊の門を通り過ぎてから、撮ったもの。
もみじが門にかかっている。
ああ、ええなあ。
まだ、紅くなってないけど、こんな緑のもみじも、私は大好きです。 |
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左下写真は、醍醐井。唐招提寺境内でいうと、西北隅の辺にあたる。
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いろいろ「いわれ」はあるんだろうけどなあ・・・・。 |
醍醐井まで行って、そこから再度東側に戻る。
右写真は、多分地蔵堂・・・・だと思う。
ちょいと奥まった感じがいい。
手前の竹棒が邪魔だなあ・・・・。 |
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さらに東側に進む。
10.鑑真和上御廟
築地塀(ついじべい)の中ほどに門が見える。
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その門から中へ入る。
そして、歩を進めると・・・・。 |
右下写真は、歩を進めた奥に鎮座ましますのが鑑真和上御廟(がんじんわじょうごびょう)。
井上靖氏の「天平の甍」碑もあったようだが、しみじみは観なかった。 |
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非常に印象深かったのが、苔むす境内。
右下写真は、コケのアップなんだが、画質も粗いし、あのきめ細かさは伝えきれない。
全くコケなんかの知識はないが、スギゴケなんだろうなあ。
違うかな。 |
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左下写真も苔むす境内なんだが、特に「ふかふか」な感じ。
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青かび、ちゃいますよ。 |
唐招提寺HPではここから。
いやあ、唐招提寺はなかなかよろしいです。金堂が修理中なのは残念でした。
どうもお疲れ様でした。
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