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(No58) 奈良 興福寺 国宝特別公開2006 その2 

 奈良の興福寺で、年に一度の南円堂公開、それと恒例の北円堂公開などがあるというので、行ってみました・・・・の続き。 

 


 
5.東金堂

 東金堂(とうこんどう)は国宝。
 以前拝観した時のパンフによると「神亀3年(726)に聖武天皇元正天皇の病気回復を願って造立された薬師三尊を安置するお堂で〜応永22年(1415)に再建された」とある。
 

 手前は、中金堂復興工事の基礎部分。

 今回は、南円堂及び北円堂・仮金堂・国宝館・三重塔拝観で忙しく、東金堂までは手が回らなかった。ここの四天王像も再度拝観したいと思う。

 ここにおさめられている仏像は、

薬師如来坐像 重文 銅造 室町時代

日光・月光菩薩立像 重文 銅造 白鳳時代

文殊菩薩坐像 国宝 桧材 寄木造 鎌倉時代初期

維摩居士坐像(ゆいまこじざぞう) 国宝 桧材 寄木造 鎌倉時代初期

十二神将立像 国宝 寄木造 鎌倉時代初期

四天王立像 国宝 桧材 一木造 平安時代初期

 以前に訪れた時、「興福寺国宝展」で観ることができなかった維摩居士坐像をここで鑑賞できて嬉しかった記憶がある。

 ここにも四天王がおられることだし、ぜひまた鑑賞に行きたいものだ。

 HP興福寺文化財データベースで、仏像や建造物の画像をご参照いただきたい。




6.国宝館

 何と言っても阿修羅で有名な興福寺国宝館であるが、今回の目玉は板彫十二神将立像の一挙展示。
 左写真は観覧券に印刷された阿修羅。

  入るとまず左へ曲がる。
 コースの右側では、

南円堂灯篭 国宝 銅造 平安時代 弘仁7年(816)

千手観音像 国宝 木造 鎌倉時代

薬師如来仏頭 国宝 銅造 白鳳時代 天武14年(685)

など。 

 千手観音は巨大で、見下ろされる格好になる。観音菩薩の視線もそうなっている。眉毛が濃い、威厳があるといえば、あるのだが、ちょっと表情がふてぶてしいというか、腕白なガキ大将みたいな印象も受けた。おかしいかな?

 仏頭は、いわゆる山田寺仏頭。『見仏記』では、みうらじゅんがただ一言「加藤登紀子」と切って捨てたもの。
 右写真は、国宝館観覧券の裏側。

 コース左手には、
地蔵菩薩像 重文 桧材 一木造 平安中期

梵天立像 重文 桧材 寄木造 鎌倉初期 建仁2年(1202) 定慶

弥勒仏半跏像 重文 木造 鎌倉初期

など。
 

 地蔵は目が細くて穏やかな顔立ち。

 弥勒は厨子に入っており、厨子にはいろいろな高僧などが描かれている。無著・世親は北円堂のそれより若々しいし、無著の方が世親より更に若いように見えた。

 コースの正面には
金剛力士像 国宝 桧材 寄木造 鎌倉時代 が。

 以前の「興福寺国宝展」では会期前半で阿形・吽形(うんぎょう)の入れ替え展示だったが、ここでは両体並べてある。

 向かって左が吽。右が阿。上半身は裸で、衣の裾はそれぞれ中央部に向かってたなびいている。こめかみや前腕、ふくろはぎなどの浮き出た血管がリアル。ほんま「血管切れそう」である。

 吽形は左手を腰のあたりでぐぐっと握り締めている。(右手は欠損) 私は彼に「コーヒー乳首」というあだ名をつけている。思うに乳首は別造りで貼り付けみたいになってると思うのだが、それが吽の方だけ取れちゃって、地肌の濃い色が丸く見えているのである。
 左が吽。
 右が阿。

 こんなしょーもないことゆうてんの、私のサイトくらいやろな。

 そこを右に曲がると、八部衆や十大弟子。

 時期によって展示入れ替えがある。(が、よっぽどのことがないと阿修羅は出ていると思う。ないと苦情が出るだろうし。スターは多忙だ)

 左から、
沙羯羅(さから) 国宝 乾漆造 奈良時代(以下同じ)

迦楼羅(かるら)

畢婆迦羅(ひばから)

阿修羅(あしゅら)

 沙羯羅は眉をひそめた悲しげな少年・・・というより童子に近い顔。ナーガ(キングコブラ)を巻き、頭上にいただく。
 迦楼羅は、鳥頭人身。「とりあたま」というと西原理恵子を連想してしまう。龍を常食する金翅鳥(こんじちょう)の化身。龍や蛇を食うんだから、両脇の沙羯羅や畢婆迦羅は怯えてるんじゃないかしらん。
 畢婆迦羅は、ニシキヘビがシンボル。牧神とも、横笛を持ち、緊那羅と同じく音楽神であるともいわれる。口や顎に髭をたくわえる。『ぶつぞう入門』で柴門ふみさんは「竹野内豊似」としているが、こんな顔してるのか?
 他はいかつい武装姿であるに比して、阿修羅のみ、三面六臂で上半身裸、たおやかな薄物をまとう。足元も板金剛というゾウリのような下駄のようなものを履く。

 その右は十大弟子。

 左より、
富楼那(ふるな) 国宝 乾漆造 奈良時代(以下同じ)

羅睺羅(らごら)

須菩提(すぼだい)

 富楼那は説法第一といわれる。右肩を前に出し、左肩を引いて右方を見る。右手は体側におろし、左手は胸前で衣をつかむ。衣は細かいひだが多く、顔は老貌。
 羅睺羅は釈迦とアショダラ妃の間の子。戒行第一といわれる。目を閉じ、両手を腹のところで衣にくるむ。
 須菩提は解空(げくう)第一。若々しい顔。手は胸前。衣に白い長四角の文様(色塗り?)がいくつもある。

 そこから右に曲がると広いスペース。

天燈鬼・龍燈鬼(てんとうき・りゅうとうき) 国宝 桧材 寄木造 玉眼 鎌倉時代 建保3年(1215) 康弁

華原磬(かげんけい) 国宝 銅造 中国唐時代 など。

 天燈鬼・龍燈鬼も「興福寺国宝展」では入れ替え展示だった。天燈鬼は赤鬼。体を右に傾け、蕎麦屋の出前持ちのように、左手に灯籠を乗せる。
 龍燈鬼は青鬼。両足を均等に開き、両手は前で組む。体に龍を巻き、頭の上に灯籠を乗せ、それを上目遣いに視線だけ見上げている。

 華原磬は伏した獅子の背に六角形の柱を立て、そこへ四頭の龍が絡み合った中に金鼓をさげたもの。

 先ほど最初のコースの右側に千手観音があるように書いたが、実際はそこに眺める場所が設けてあるということで、千手観音自体はど真ん中奥にで〜んと据えてあり、中央の広い展示スペースを左右に区切る形になっている。で、いったん会場裏手に出て、右側に移る。

 中央スペースの右側部分には、
梵天・帝釈天(ぼんてん・たいしゃくてん)立像 重文 桧材 寄木造 鎌倉時代初期

南円堂灯篭火袋扉(なんえんどうとうろうひぶくろとびら) 国宝 銅造 平安時代

法相六祖坐像(ほっそうろくそざぞう) 国宝 桧材 寄木造 鎌倉時代 文治5年(1189) 康慶作 

 梵天が向かって右。左手に紅蓮華。帝釈天は袈裟の下に甲がのぞく。右手に経巻。
 灯篭本体は最初に展示してあるが、そこでは火袋扉(上の方の、灯火を入れる部分の扉)は金網がかぶせてあった。そしてホンモノの扉はここに展示してある。銘文が浮き彫りで鋳出されており、撰者が弘法大師空海)で、書いたのが橘逸勢(たちばなのはやなり)と伝えられる。まあ、何て豪華キャストなんでせう。
 六祖像は、本日展示されていたのは善珠(ぜんじゅ)、玄賓(げんぴん)、常騰(じょうとう)、神叡(しんえい)の四体。これらはいずれも、これまで伝えられてきた名前と、その後の資料とで異同、混乱があるようである。
 善珠は、織田無道のような、よく言えばふくぶくしい、悪く言えばふてぶてしい(←字面は似てるんだがな)顔で、左を向く。玄賓は両手を上げ、例えは古いがポール牧の「指パッチン」みたい。

 最後、左手の壁面に沿って、
板彫十二神将立像 国宝 桧材 平安時代 が並ぶ。

左から、
(1) 宮比羅(くびら)大将 右手に剣。左手はおろす。下記HP該当箇所の12体並んだ写真の中では、小さくて判読しにくいだろうが、下段左端(・・・と思う)。

(2) 伐折羅(ばさら)大将 剣を持った右手を左腰前に回し、剣先を地面に立てる。左手は、右手と交差させる。舌を出していたと思う。下記HPで下段左から2番目。

(3) 迷企羅(めきら)大将 右手は拳を高く振り上げ、左手は腹前に。左足は膝を高く上げ、体を「くの字」にした派手なポーズ。下段左から3番目。

(4) 安底羅(あんていら)大将 比較的直立してるだけみたいなおとなしいポーズ。

(5) 頞儞羅(あにら)大将 右手を顎の下に、左手は腰の前に出し、その両手でビリヤードのマッセ(キューを水平でなく、下に向けて突く打法)のような格好をする。上段左から2番目・・・・・かなあ?

(6) 珊底羅(さんていら)大将 右手で長い杖(槍)を突き立てる。

(7) 因達羅(いんだら)大将 右手に棒をさげ、左手は腰のベルトをつかむ。

(8) 波夷羅(はいら)大将 左足は前に伸ばし、右足は膝を曲げる。左手はおろし、右手は曲げて腹の前に。そしてその右手には小さなスコップのようなものを持っている。下段右から2番目。

(9) 摩虎羅(まこら)大将 右手は左腰の前まで回し、こん棒を地面の上に杖のようにして立てる。左手はこれまた体の前をまわして自分の右肩をぐっと抱き寄せるようにしている。おまけに左足はまっすぐだが、右足はぐっと内側に「くの字」にしてるんでおもわず「寒いんかい!!」と言いたくなる。下段右端。

(10) 真達羅(しんだら)大将 両手は胸前で合掌。左脇に青龍刀のような広刃の剣を手挟む。上段右から3番目。

(11) 招杜羅(しょうとら)大将 やや前屈みの姿勢で右足は伸ばすが左膝は曲げる。左手は左腰前、右手は顔の下で、両手で長い槍を斜めに持つ。口は開けている。上段右から2番目。

(12) 毘羯羅(びから)大将 右手に武器を持ち、左手は顔の下まで上げている。
  

 こうした展示物についてはお手数だが、HP興福寺文化財データベースで、画像をご参照いただきたい。
   
 

 


7.三重塔初層

 三重塔は国宝。鎌倉時代建造で、高さは19m。
  康治2年(1143)に建立されたが、治承の兵火(治承4年=1180)に焼失し、間もなく再建された。

 靴を脱いで初層の周りを拝観させてもらえる。

 『ぶつぞう入門』でも「お寺の関係者が〜解説してくれるが〜茶髪の兄ちゃんで〜寺の関係者というよりは、東京ディズニーランドのアトラクション案内係のようであった」と書かれているが、私も茶髪のお兄ちゃんの解説を聴いた。

  構造的な話を少しすると、五重塔などは中央に太〜い柱(心柱=しんばしら)を立てる。
 ところが、この三重塔は四本の細い柱を立てている。これを四天柱(してんばしら)という。

 縁の下をのぞいてみろと言うのでしゃがみこんだら、確かに細い柱が見えた。

 この四本の柱を対角線上に結んで板壁をつくる。上から見ればX(エックス)字形になる。
 例えば初層東面から中をのぞくと壁がV(ヴイ)字形になっている。

 わかりにくいといけないので、上に解説図をつくってみたので、ご参考にしていただきたい。

 で、東西南北それぞれの壁には守護する各如来の千躰仏の画像が描かれているのだが、何せ千躰でもともと一つ一つが小さい上に、褪色しているのでほとんど判別はできなかった。

 で、東面には弁才天坐像が安置されている。

 
 

 頭に鳥居やら、人頭蛇身の宇賀神やらを乗せたファンキーな神様で、これまた『ぶつぞう入門』で柴門さんは「とても可愛らしいと思ったのだが、江戸時代初期のものだということで、国宝も重文もいただいていない」と書いている。
 左写真は、東面から弁才天や千躰仏を観ているところ。 

 なお、西日が強いと傷むから、ということで午前中から西面の扉は閉じられていた。

 三重塔の弁才天や千躰仏については、特別公開チラシ裏面をご参照いただきたい。


 

 


 

 どうもお疲れ様でした。
 
  

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