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(No55) 奈良 薬師寺 その2 

 奈良の薬師寺で国宝の吉祥天画像が特別公開されるというので、行ってみました・・・・・・・の続き。 

 


2.玄奘三蔵院伽藍

 さて、道路を渡って北側の玄奘三蔵院伽藍へ。なお、伽藍の平面図はここで。
 下写真は、伽藍の礼門などの遠景。
 

 下写真は、伽藍内の玄奘塔。法隆寺夢殿のように八角形をしている。やや左斜めから撮っているのだが、堂の正面には「不東」の額が掲げられている。この「不東」とは、ただ一心に西(インド)をめざす、決して東(中国)には戻らないという玄奘三蔵の固い信念を示す言葉とのことである。

 玄奘三蔵院伽藍の解説はここで。玄奘三蔵院内の仏像については、ここで。
 

 下写真は、玄奘塔の側面。
 

 下写真は、玄奘塔裏手にあたる大唐西域壁画殿。中には、平山郁夫画伯による壁画が祀られている。長安大雁塔や高昌故城、バーミヤン大仏などが描かれている。
 

 下写真は、玄奘三蔵院伽藍を出て、白鳳伽藍を眺めたところ。左が東塔、右が西塔。 
 


 



3.法話について
 
 金堂に入った時、僧侶が法話の案内をされていたので、聞かせていただくことにした。

 薬師寺HPでは驚いたことに僧侶紹介というページがあった。うろ覚えだが、多分最初に話されたのは松久保師だと思う。では、松久保師の法話のエッセンスを。


 奈良で一番有名なのは、やはり大仏さまの東大寺です。次に有名なのは斑鳩の里の法隆寺。そして、不思議なことに、三番目くらいに、これといった特徴のない薬師寺が入ってまいります。
 一番大きいのが東大寺。一番古いのが法隆寺。そして
一番僧侶が良いのが薬師寺・・・・・・・・・・と、自分で言わないと誰にも言っていただけないので。

 奈良のお寺には大きな特徴があります。他のお寺にあって、奈良のお寺にないもの・・・・・何かお分かりですか?無いものを探すというのは難しいですね。それはお墓なんです。
 奈良のお寺では葬儀はいたしません。ですから、例えば私が
惜しまれながら、死んだとしますね。すると、私の同僚の僧侶は、お経はあげてくれませんし、墓もたててくれません。墓ない
(儚い)ものです。

 中門からご覧いただきますと、東塔と西塔が並んでおります。この塔というのは、いわば仏陀のお墓です。つまり、過去のための建物ですね。

 では、現在をどうするか。現世に生きる私たちのために金堂を建て、薬師如来をお祀りしています。

 そして、金堂の後ろには講堂がございます。ここは、僧侶が学ぶ場所、つまり学んだことを将来に活かす未来のための建物であります。

 こうして中門から北に向かって、塔・金堂・講堂と、過去・現在・未来、きっちりと時間軸に沿って伽藍が構成されているわけです。

 さて、東塔は何重の塔か、ご存知ですか?屋根は六層あるので六重の塔と思われがちですが、小さい屋根は裳階(もこし)といって、建物を雨露から守るためのもので、塔としては三重塔となります。
 六階建てではないので、
どうぞ五階
(誤解)のないように・・・・・・・・・・皆さん、ついてこれていますか?

 講堂は学習の場と申しましたが、いわば薬師寺自体が学校、それも国立大学みたいなものなのです。いわば、
薬師寺の僧侶はエリート・・・・・・エリート・・・・・・エリート。まあ、これだけ申し上げればわたくしの立場もお分かりいただけると思いますが。

 先日、ご近所の小学生の方が取材にいらっしゃいまして、それだけ素晴らしい僧侶の方は、どのような毎日を送られているのですか?と尋ねられました。
 皆さんもそうだと思いますが、僧侶というと、お経をあげているか、あっちこっちを掃除している。そんなことばかりしてるイメージが持たれがちなんですが、本当はもっと大事な仕事があるのです。
 それは、こうして皆さんにお話をさせていただくことなんですね。ご参拝に来ていただいた皆さんに、たとえ10分でも15分でも、ほとけの教えをお話し、仏縁を結ぶ。これが何より大事な仕事なんです・・・・・・とこう答えたのですが、その小学生の取材メモをちらっと見て、私はがくっとなりました。そこにはこう書かれていたんです。
「要するに観光案内」
・・・・・・。

 お話が終わったらまたご散策いただいたらよろしいんですが、一度東塔の横に立ってみてください。皆さんの影が映りますね。その横には東塔の影が映ります。皆さんは、この先100年も生きる方はいらっしゃらない。ところが東塔は1300年の昔から、同じ場所に立って、同じ影を落としているのです。同じ影でもえらい違いですね。

 では1300年とは申しません。せめて、あと100年、300年先のことを考えていただきましょう。先日も小学生の方にO・ヘンリーの「賢者の贈り物」のお話をしたのです。
(※ 石野注 ここでお話の概略をされた。ご存じない方のため解説すると、貧しい若夫婦の妻が自慢の髪を切って売り、夫のために懐中時計の鎖を買う。そして夫は、懐中時計を売り、妻のため髪飾りを買う・・・・という話である)
 こうやってお話しますと皆さんは、ああ、いい話だなとお思いになると思いますが、この話を聞いた小学生の方はこうおっしゃったのです。
「この話は根本的におかしいですよ。なぜプレゼント交換するなら事前にもっと話し合っておかないんですか。
問題は夫婦間のコミュニケーションの欠如ですね」
 この話は、あと数年はいいですが、何年かすると「何の役にも立たない無駄な買い物をしたバカな夫婦の物語」としてコメディのように扱われるかもしれません。でも、この小学生を責めることができるでしょうか。私たち自身、朝起きてから夜寝るまで、目に見えるものだけを追いかけていないでしょうか。
 よく皆さん、家内安全とか諸願成就などを願われます。
心身」ともに健やかに、と願われる方が多いのですが、ともすれば心身の「身」ばかり考えて、「心」がおろそかになってはいないでしょうか。
 確かに、ここ100年ほど、私たちはモノが豊かになり、モノで幸せになりました。
 しかし、この夫婦は、モノだけを買ったのでしょうか。お互いに何も要求はしていないのに、モノに心を添えて、相手を思いやる心を立派に交換したのではないでしょうか。
 100年後、皆さんは残らず墓の下です。100年後、300年後の人々が、あなた方はこんな生き方、考え方しか残してくれなかったと不満に思われるのか、こんな立派な生き方、考え方を
残していただいたのでこんなに幸せになりましたとお墓に手を合わせて感謝していただけるのか、そこをどうかお考えいただきたいと思います。
 もっとも、100年先と申しましても、この
金堂を出ますと半分くらいは頭の中から抜けていきます。そして、観光バスに揺られますと、後の半分が・・・・・・・。100年先はおろか、さあ、今日のお昼は何を食べようか、と1時間先のことで頭がいっぱいになるのが人間の常でございますが。

(そこで・・・・と、やおら写経の用紙を取り出し、オレンジ色の外装を開き、中の和紙とお手本の般若心経の経文を示される。
 そして、「書こうとすると邪念がわく。”空”の心を得るにはただ、このお手本の経文をなぞる、一心に写すというのがよいのです」と解説された。
 「写し終えたらぜひ本寺にお納めいただきたい。期限はございません。この和紙は1000年保つ美濃の和紙です。こうして巻くとしわになりません」と実演して見せ、「最後は、この外装紙を裏返して包んでいただきますと、こうしてちゃんと薬師寺の住所が印刷してございます。こういう所にも薬師寺の僧侶の優秀さが現われております。あとは切手を貼ってポストに入れていただければ、全国どこからでも届きます」とのことであった。写経用紙は2000円也である) 

 
 その後、休ヶ岡八幡宮などをまわって、再度金堂を通り抜けようと思ったら、また法話が始まっていた。先ほどの松久保師の法話はちょっとギャグが多いな、と感じたので、今度の僧侶の法話は何やら伽藍の説明などで、少し学術的かな・・・と思い、もう一度聴くことにした。
 この僧侶は多分小林師だと思う。では、小林師の法話の抜粋を。

 中門から入りますと東塔、西塔、金堂、講堂。そして食堂や僧坊など、こうした主要な堂宇が揃ったお寺の建物のことを七堂伽藍と申します。

 本日は土曜日で、たくさんの方々がご参拝いただいていますが、平日などでは、お参りいただく方も少のうございます。つまり・・・・・・
ガラン・・・・・。「がらんどう」というのは、ここから来た言葉です。

 この薬師寺は何宗のお寺か、と申しますと少し難しいですが法相宗
(ほっそうしゅう)と申します。実は日本最古の仏教でございます。同じく奈良の東大寺は華厳宗(けごんしゅう)、この近くにございます唐招提寺は律宗(りっしゅう)となります。
 唐招提寺がお祀りしているのが有名な鑑真和上。そして、薬師寺がお祀りしているのが、これまた有名な玄奘三蔵で、平山郁夫画伯が玄奘三蔵の取経のみちのりを描かれた壁画が公開されておりますので、後ほどぜひご覧ください。

 薬師寺は、東塔と西塔の二つが並び立っているところに大きな特徴がございます。
 そして今、お話を聞いていただいているこの建物を金堂と申します。本堂ではなく金堂
(こんどう)と申しますのは、中におおさめしている仏像が昔金色に輝いていたから、と申します。いわゆるブロンズ像だったのですね。それが何度か火災にあって表面の金色が溶け、今のような艶のある黒色になったといわれています。
 中央にいらっしゃるのが薬師如来、私どもの心身の病気を救ってくださる仏さまで、又の名を医王如来と申します。薬師如来は、手に薬壷
(やっこ)という薬の入れ物を持っておられることが多いのですが、ご覧のとおり持っておられません。実は
薬壷を持たれるのは平安期以降なのです。

 金堂の裏手にございますのが講堂で幅は41mございます。これが一番大きな建物です。講堂というのは僧侶が経典を学ぶ場所でございまして、ここが一番大きい奈良のお寺というのは、つまり学校なんですね。
 その中でも、東大寺や薬師寺は、選ばれた人間しか入れなかったんです。今で言えば、東京大学や京都大学といったところでして・・・・・・こう申し上げると私の立場もご理解いただけると思いますが。もっとも、昔と今とではずいぶんレベルの違いがございます。

 奈良のお寺の特徴は、先ほども申しましたとおり学校ですので、お葬式はしないということです。ですから、お墓は一切ございません。
 私は在家から出家いたしましたので実家がございます。私の実家は代々臨済宗の檀家で、永平寺が本山ということになります。
 もし仮に私がここで亡くなったといたしましても、薬師寺の僧侶は葬儀をあげることができません。ですから、そんな場合、私の菩提寺から僧侶を呼んできてお経をあげてもらうということになります。

 そういうことで葬儀には出ませんが、めでたい席にはどんどん出てまいります。先日、私の後輩が結婚式をあげるということで招待状をもらいました。披露宴だけでなく式にも出席してくださいとあるので、喜んでいつものとおり、袈裟を着て出かけたところ、何と
会場はチャペルでした。そこへ袈裟を着た私が出席をしたのです。どうしても神父さんと目が合ってしまいます。

 式も進んで賛美歌斉唱ということになりました。その頃には私も遠慮して後ろの方へさがっていたのですが、どうしても私、
声が大きいんですね。それに、何故か、賛美歌がお経調になってしまうんです。

 この薬師寺、何百年も前の戦火で東塔を除く伽藍が焼けてしまいました。仏像は残ったのですが、いわば雨ざらしのような状態にもなっていたのを何とかしようと考えたのが、私どもの師匠であります高田好胤であります。
 ところが、先ほども申しましたように、薬師寺には一切檀家というものがございません。そこで、高田好胤、一介の僧侶が全国行脚をいたしまして、写経をお願いしたのでございます。
(・・・と、写経の説明に入った。中味は、先ほどの松久保師と同じなので省略する.。後半は小林師もギャグ満載だった



 

 


 そう言えば小学生の頃、母親が読んでいた高田好胤師の『心』とか『道』というカッパブックスくらいの大きさの本を読んだことがあるし、TVでも観て「坂田利夫師匠に似ているなあ」と思った記憶がある。そこにも、堂塔復興のため、写経にご協力を、と呼びかけられていたと思う。

 どうもお疲れ様でした。
 
  

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