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(No53) 京都国立博物館 特別展 「美のかけはし」 鑑賞記 その2  

 「特別展覧会 開館110年記念 美のかけはし 名品が語る京博の歴史」が2006年7月15日から8月27日まで開催されたので観に行ってきました・・・・・・の続き。

 

 


第五章 蒐める 収蔵品の成り立ち

 博物館の収蔵品の成り立ちとして、購入、管理換、寄贈の三つの方法がある。管理換とは国(文化庁)が購入・所有した作品を移管することだが、博物館が独立行政法人化することで制度としてなくなったそうだ。 購入も、独立行政法人化によって収益をあげねば独自の購入予算をひねり出すことも難しくなるだろう。こうした「文化」と「採算」というのはなかなか両立しないものと思うのだが。
 と、言うことで、これからも「寄贈」のウェイトがますます重要になるのでは?と思う。

83 芦手絵和漢朗詠集(あしでえ わかんろうえいしょう) 国宝 彩箋墨書 縦27.9 全長1367.9 平安時代後期 永暦元年(1160) 京都国立博物館 

  「和漢朗詠集」は、11世紀初頭に藤原公任(ふじわらきんとう。966〜1041)が撰集したもの。本書は奥付より藤原定信の子、伊行(これゆき)が書写したものとされる。

 文化庁より管理換。

 画像はチラシ2及び博物館だよりにて。より鮮明には京博HP名品紹介にて。



84 十二天面 重文 木造彩色 帝釈天:32.5 風天:30.0 毘沙門天:30.9 平安時代 10世紀 京都国立博物館

 かつて東寺の潅頂会(かんじょうえ)に際して用いられた仮面。 

 画像は京博HP名品紹介で。

85 山越阿弥陀図(やまごしあみだず) 国宝 絹本着色 縦120.6 横80.3 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館 

  山越阿弥陀図とはいわゆる浄土教絵画の一種。以前「仏画ゼミ」の「浄土教絵画」:「阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)」で若干解説した。
 当初は極楽浄土で阿弥陀如来は「待ち」の姿勢だったのだが、極楽往生を願う人々の欲求の高まりにより、だんだんサービスが良くなってきた。つまり、待ってるんじゃなくて、この絵のように山を越えて迎えに来てくれるし、それから、お迎えのスピードもどんどんアップしていくのである。

 山越阿弥陀図もいろいろなパターンがある。確か以前、京博の平常展示で観た気がするのだが、重文の京都・金戒光明寺本などは阿弥陀如来も脇侍である観音・勢至両菩薩も山の向こう側におり、上半身しか見えない。
 また、阿弥陀は正面を向いている。阿弥陀の手には、五色の糸が縫い付けられている。何でも往生する時、その色糸をつかんだままで死ぬようにがんばる(?)らしい。かなりムリがあると思う。

 京都・禅林寺本(国宝)は、阿弥陀が正面向きで上半身のみ、というのは同じだが、両菩薩は、既に山のこちら側まで出てきている。

 その点、本作は皆、一応山の向こう側にいるのだが、阿弥陀は斜め向きで腰のあたりまで見えている。

 画像は京博HP名品紹介にて。

 

90 縹糸威胴丸(はなだいとおどし どうまる) 重文 胴高29.0 草摺高26.5 兜鉢高14.0 室町時代 15世紀 京都国立博物館

 縹糸とは花田糸とも書く、藍色の薄い色の染め糸。

 


第六章 護る みやこの宝蔵

 寄贈は所有権も譲り渡すことだが、博物館に預けるのが「寄託」。

93 突線鈕式袈裟襷文銅鐸(とっせんちゅうしき けさだすきもん どうたく) 重文 青銅鋳造 高107.0 弥生時代後期 2〜3世紀 京都・梅林寺 

 銅鐸には畿内の近畿式と東海の三遠式に分かれるが、本作は近畿式らしい。図録の解説にはこれ以上説明していないし、私も知らないのでここまでとする。

 画像は、チラシ1及び博物館だよりにて。より鮮明には京博HP名品紹介にて。


94 金銅威奈大村骨蔵器(こんどう いなのおおむら こつぞうき) 国宝 銅鋳造鍍金 高24.2 飛鳥時代 慶雲4年(707) 大阪・四天王寺

 以前、平常展でも観た。画像は京博HP名品紹介で。
 平常展で展示されている三彩釉の骨蔵器も印象深い。両方の解説は京博HPで。 


95 絵因果経(えいんがきょう) 国宝 紙本着色 縦26.5 全長1034.2 奈良時代 8世紀 京都・上品蓮台寺

 以前に仏画ゼミのページでも取り上げた。料紙の下半分に釈迦の伝記とも言うべき『過去現在因果経』の経文を書き、上半分に挿絵を入れたもの。

 詳しい解説は京博HPにて。

98 宝誌和尚立像(ほうしおしょうりゅうぞう) 重文 木造素地 高159.0 平安時代 11世紀 京都・西往寺

 本像は以前通常展でも観たことがあるが、強烈な印象を残す作品。

 宝誌和尚(418〜514)は中国南北朝時代の名僧で、梁の武帝が肖像画を描かせようとしたところ、顔の下から十一面観音の姿が見え隠れしたのでついに描くことができなかったという奇跡譚の伝説が残っているそうだ。


 で、何がすごいか、と言うと、その奇跡譚を彫像で表わそうとした点である。つまり宝誌和尚の顔が真ん中から真っ二つに裂け、両側に開き、中からもう一つ顔が見えている・・・・・それを彫刻で表わしているのである。宇宙船の
乗組員の腹を食い破って、中からエイリアンが出てくるSF映画を観たことがあるが、この彫像は、まさにそれ。

 小さくてわからないだろうが、チラシ1で。


99 阿弥陀二十五菩薩来迎図 国宝 絹本着色 縦145.1 横154.5 鎌倉時代 13〜14世紀 京都・知恩院

 「早来迎」(はやらいごう)の名で知られる。上記の山越阿弥陀図のところで、だんだんお迎えのスピードが速くなると書いたが、これも疾風怒涛のごとき勢いで往生者のもとへなだれ込んで来ているので「迅雲来迎」(じんうんらいごう)とも称され、鎌倉時代後半から流行した様式である。
(なお、スピードアップ狂騒曲は更にエスカレートし、やがては後姿のみ描いて、迎えどころか、既に浄土に連れ帰るところ、という「帰り来迎」にまで至る)

 画像は、京博HP名品紹介にて。

100 明恵上人像(みょうえしょうにんぞう) 国宝 紙本着色 縦146.0 横58.8 鎌倉時代 13世紀 京都・高山寺

 以前、奈良博の西山厚先生の講演を聴いた時におっしゃっていたが、先生は明恵に似ているらしい。先生の『仏教発見!』(講談社現代新書)にも「『明恵上人に似ている』と、私はよく言われる。〜松の木に坐す明恵上人の肖像画があるが、その横顔と瓜ふたつらしい」とある。

 樹間の鳥や樹上の栗鼠(りす)の姿を探すのも、楽しみの一つである。

 


第七章 甦る 文化財の総合病院

 退色した絵画や破損した彫刻などを修復するのも博物館の重要な役割の一つである。

110 準回両部平定得勝図(じゅんかいりょうぶ へいていとくしょうず) 鄂壘扎拉図之戦(エレイジャラトのたたかい) 原図作者 ジュゼッペ・カスティリオーネ 紙本銅版(エッチング) 個人蔵:縦51.3 横89.6 京都国立博物館蔵:縦51.7 横89.4 銅版製作フランス(1770)

 本図は清朝第6代皇帝乾隆帝(1711〜99)が、西域の準爾(ジュンガル)・回彊(ウイグル)両部を平定したことを記念するためカスティリオーネ(中国名 郎世寧 1688〜1766)に命じ原図を描かせ、パリに送って銅版画にした。

 個人蔵は洋紙を用い、京博本は中国の宣紙に刷られている。

 画像は博物館だよりにて。

 


第八章 究める 見いだす喜び

 研究員の方々の地道な調査で新たな発見がなされることも多いとのことである。

118 芦雁図襖(ろがんずふすま) 重文 (俗姓:小栗)宗継(そうけい)筆 紙本墨画 (各)縦169.5 横116.0 室町時代 延徳2年(1490) 京都国立博物館

 宗継は室町幕府の御用絵師の宗湛(1413〜81)の子。

 まず、京博HPの解説ページをご覧いただきたい。そこの芦雁図では鳥が小さな山みたいなところに乗っている。
 この襖は四面あって、HPには四面のうち、一番右と、その左で計二面(全体でいうと、右側半分)の写真が掲載されている。
 ところが従来は、この右半分の2枚が、中央の2枚と考えられていたそうだ。しかも今とは左右逆に並ぶと考えられていた。
 ややこしいのだが、山の斜面でいくと、現在は普通に真ん中が高い、いわば▲の形。しかし、これまでは、中央の2枚のうち、向かって左の襖では斜面が右肩下がり。そして向かって右の襖では逆に右肩上がりになる、いわば「V」字形になると考えられていた。
 しかし、その後の研究で、明治期に大幅な加筆がなされていたことがわかり、加筆前の並び方も判明したそうである。

122 洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ) 紙本金雲着色 (各)縦153.6 横360.0 桃山時代 17世紀 京都国立博物館

 図録解説によると「京都の市内と郊外を六曲一双の屏風に鳥瞰的に描き、貴賎群集の風俗も点綴する『洛中洛外図』は〜百点近い数にのぼる」が、美術史的に大きな価値があるものというと上杉本ほか、それほど多くはないそうだ。

 画像はチラシ1にて。また、京博HPでの解説はこちら。その他、東博舟木本についてはこちら、歴博甲本についてはこちら、上杉本の洛中洛外図については、こちら

 ・・・・・・・・なお、偉そうなことを書きましたが、展示替えの関係で両作品とも現物は観ておりません。



 

 

 どうもお疲れ様でした。
 
  

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