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(No52) 京都国立博物館 特別展 「美のかけはし」 鑑賞記 その1
「特別展覧会 開館110年記念 美のかけはし 名品が語る京博の歴史」が2006年7月15日から8月27日まで開催されたので観に行ってきました。
第一章 諸行無常 東山の光と影
京都国立博物館と後白河法皇などがどう関係するのか、というと、この京博の地に後白河法皇の御所・法住寺殿(ほうじゅうじどの)があったそうである。
その後、平清盛が蓮華王院(三十三間堂)を寄進したそうである。
4 後白河法皇像 絹本着色 縦98.5 横82.4 鎌倉時代 14世紀 京都・神護寺
後白河法皇の画像としては、この神護寺本のほか妙法院本が有名らしいが、妙法院本の法皇の頭頂は丸く体もでっぷりしているとのことである。
そう言えば、この法皇の頭のてっぺんは平らだ。以前奈良博「重源」展で観た栄西の頭も平らだった。で、図録を見直して気付いたのだが、その「重源」展で妙法院本の後白河法皇像が出展されていたのだ。
この際なんで、頭比べをしてみたい。
後白河法皇像(神護寺本) |
後白河法皇像(妙法院本) |
栄西禅師坐像(神奈川・寿福寺) |
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ということで、頭まっ平らチャンピオンは栄西に認定する。(←何やってんだか)
12 平家物語絵巻 伝土佐光信筆 紙本白描 縦15.8 全長626.0 室町時代 16世紀 京都国立博物館
平清盛逝去の場では、高熱のあまり黒煙をあげている。燃えちゃってるわけだな。
第二章 大仏出現 秀吉の夢の跡
京博と秀吉は、豊国社、大仏殿、方広寺などで深い関係がある。
16 豊臣秀吉像 重文 玄圃霊三(げんぽれいさん)・惟杏永哲(いぎょうえいてつ)賛 絹本着色 縦110.6 横51.0 桃山時代 慶長5年(1600) 滋賀・西教寺
黒い唐冠(とうかむり)に白い直衣(のうし)姿。この冠については、土曜講座「明服の輸入と利用をめぐって」聴講記その2をご参照いただきたい。
19 桐矢襖文胴服(きりやぶすまもん どうぶく) 重文 豊臣秀吉所用 白練貫地 辻が花染 丈(たけ)115.2 裄(ゆき)57.9 桃山時代 16世紀 京都国立博物館
胴服とは現在の羽織の原形。辻が花染とは、絵文様を絞り染であらわす技法。
画像はチラシ1及び博物館だよりにて。より鮮明には京博HP名品紹介にて。
21 松竹鶴亀菊文童具足(しょうちくつるかめきくもん わらべぐそく) 重文 豊臣棄丸(とよとみすてまる)所用 胴高22.3 草摺長16.5 桃山時代 16世紀 京都・妙心寺
棄丸(鶴松)は、秀吉53歳で淀君との間に得た子。しかし天正19年(1591)にわずか数え3歳で夭折した。
画像はチラシ2にて。
23 常服(じょうふく) 豊臣秀吉所用 麒麟文円領 紅羅地金襴 丈139.0 裄119.0 貼裏(ちょうり) 緑平絹 丈139.0 裄122.5 中国明時代 16世紀 京都・妙法院
画像や由来については、土曜講座「明服の輸入と利用をめぐって」聴講記その2をご参照いただきたい。
第三章 京博誕生 文化財保護の原点
帝国京都博物館は明治30年5月1日に開館した。設計図面なども多数展示されていた。この辺の解説は京博HPで。
47 源氏物語画帖 土佐光吉筆 紙本着色 (各)縦25.7 横22.7 桃山時代 17世紀 京都国立博物館
金銀箔や砂子を施した華麗な装飾料紙が用いられている。これで、場面を観ただけでどの帖かわかるくらい詳しければいいのだが。
49 柳橋水車図屏風(りゅうきょうすいしゃずびょうぶ) 紙本金地着色 (各)縦151.5 横336.0 桃山時代 17世紀
解説には、予備知識のない欧米人がこの屏風を見たとしたら、とても「絵」と位置づけることは不可能だろうとしている。単なる装飾的デザインとしか見えないだろうということなんだろうか?
同じく解説によると、、柳の葉が右から順に繁茂していくさまは春から夏への季節の移り変わりを表現しているそうだ。
また、左端には金箔押しされた蛇籠(じゃかご)と水車が描かれている。「近世以前の者たちなら、蛇籠・水車・柳と続けば、難なく宇治を思い浮かべよう。であれば、橋は宇治橋、銀を用いて早瀬に表現されたのは宇治川ということになる。
では、橋の向こうにあるのは、いうまでもない、平等院鳳凰堂、地上に出現した浄土の世界である」とある。う〜ん、恥ずかしながら私にはわからなかったなあ。つい先日宇治には行ったんだが。
画像は、チラシ2で。
第四章 魅せる 名品との出会い
54 龍智像(りゅうちぞう) 真言七祖像(しんごんしちそぞう)のうち 国宝 絹本着色 縦213.0 横151.2 平安時代前期 弘仁12年(821) 京都・東寺
真言七祖(八祖)については仏画ゼミ(18)をご参照いただきたい。七祖(八祖)についてはポーズが決まっており、龍智については、左手で衣の端を握り右手に経を持っているのが特徴。
絵自体については「大きな絵だなあ」とは思ったが、それほどの印象はない。むしろ、右上に飛白と呼ばれる特殊な書体で祖師名を大書されているのだが、これが空海の字と言われているので「へえぇ、これのどこをどう読めば龍智と読めるのかわからんが、これが空海の字なのかぁ〜」と思った。
55 釈迦如来像 国宝 絹本着色 縦159.4 横85.5 平安時代後期 12世紀 京都・神護寺
衣の色から赤釈迦という愛称を持つ。
衣の輪郭に施された照暈(てりぐま。光を反射した白いハイライト)、巧みに配された具色(ぐいろ。白を混ぜた原色の調子を弱めた中間色)、繊細な截金文様など華麗で精巧な技法が用いられている。
画像は京博HP名品紹介にて。
56 風天像 十二天像のうち 国宝 絹本着色 縦144.3 横126.5 平安時代後期 大治2年(1127) 京都国立博物館
これも展示替えの関係で現物を観ていないので、京博HPの解説をご覧いただきたい。各画像は、京博HP名品紹介にて。
57 釈迦金棺出現図(しゃかきんかんしゅつげんず) 国宝 絹本着色 縦160.0 横229.5 平安時代中期 11世紀 京都国立博物館
仏画の名品といえば必ずといってよいほど紹介される作品で、実物を観ることができて嬉しかった。
釈迦入寂後、臨終に間に合わず嘆き悲しむ母摩耶夫人(まやぶにん)のため、一時復活し、棺から起き上がって説法する場面を描いたもの。
例えば『仏画の鑑賞』(著:中野玄三。大阪書籍)の解説では「奇蹟の場面を描いた大作で、相対する釈迦と摩耶を取り巻いて、画面いっぱいに配置された群衆が、この奇蹟を固唾(かたず)をのんで凝視するさまを劇的に描いたもの」とある。
しかし、現物を目の前にするとつくづく「大きいなあ」と感じるとともに、けっこう「無表情」な群集が多く、ドラマチックさより、静かな様式美のようなものを強く感じた。
なお、画像はチラシ2及び博物館だよりで。より鮮明には京博HPで。
58 孔雀明王像(くじゃくみょうおうぞう) 国宝 絹本着色 縦167.1 横102.6 中国北宋時代 11世紀 京都・仁和寺
孔雀明王像というと奈良博「重源」展で観た金剛峯寺の像もそうだし、京博HPで紹介している安楽寿院本のそれもそうだが、孔雀は真正面を向いている。しかし、本作の孔雀はやや首を斜めにしている点が写実性や柔らか味を感じさせる。
画像は、チラシ2にて。より鮮明には、京博HP名品紹介にて。
60 源頼朝像・平重盛像 国宝 絹本着色 頼朝:縦143.0 横112.8 重盛:縦143.0 横111.2 鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺
教科書などにも載っており、非常に有名な絵。最近では「あれは頼朝(重盛)じゃない」といった説があり、それで本も書かれているようだが、詳細は知らないので省略する。
頼朝はまだマシだが、重盛は、印刷などでは衣装が黒ベタのように見えるのだが、やはり間近で観ると地紋がきちんと描かれていることに気付く。
ただ、『日本美術史』(美術出版社)を読んでいると「重盛像を除いて表情は威厳に満ちており」とあったのが、「重盛可哀想・・・・確かに垂れ目だが、そこまで言わんかて・・・・」と思わせた。
頼朝の画像は、チラシ1で。より鮮明には京博HP名品紹介にて。
また、「威厳のない」重盛は博物館だよりで。より鮮明には京博HP名品紹介にて。
62 瓢鮎図(ひょうねんず) 国宝 大岳周崇(たいがくしゅうすう)ほか賛・如拙(じょせつ)筆 紙本墨画淡彩 縦111.5 横75.8 室町時代 15世紀 京都・退蔵院
「ひょうたんナマズ」という言葉があるが、何で鯰(なまず)なのに鮎(あゆ)の字が用いられているのか?と思った。どうもナマズを鮎魚というらしい。
4代将軍足利義持の「瓢箪で鮎魚を押さえ取れるか」という問い掛けに対し、如拙が絵を描き、京都五山の禅僧ら31名(いわば当時トップクラスの知識人)が思うところを記したもの。上半分は文字で埋まっている。
禅僧らの詩の内容はわからないのだが、義持の人をくった奇妙な問い掛けに対し、いかにも真面目くさって取り組む格好をしつつ、知的なゲームを楽しむ「義持を中心とするサロンの、自由な雰囲気を偲ばせる」一作とのことである。髭面のオヤジが瓢箪を川に向かって突き出してる、文字だらけの変な絵・・・とだけ感じていてはいかんらしい。
なお解説は京博HPで。(←詳しく解説してあるので、ぜひご覧を)
63 天橋立図 国宝 雪舟筆 紙本墨画淡彩 縦89.5 横169.5 室町時代 16世紀 京都国立博物館
展示替えの関係で実物は観ていません。すみません。
画像は、チラシ2で。鮮明な画像は京博名品紹介で。詳しい解説も京博HPで。
64 風神雷神図屏風 国宝 俵屋宗達(たわらやそうたつ)筆 紙本金地着色 (各)縦169.8 横154.5 江戸時代 17世紀 京都・建仁寺
これも展示替えの関係(8月6日まで展示)で実物は観ておりません。図録には「おそらく全寄託作品のなかで最も有名で、しかも人気のあるものであろう」とあるので残念だが致し方ない。
画像は、チラシ1及び博物館だよりで。より鮮明には京博HP名品紹介にて。 65 千手観音立像(せんじゅかんのん りゅうぞう) 重文 湛慶(たんけい)作 木造漆箔彩色 高174.1 鎌倉時代 建長3〜8年(1251〜6) 京都・妙法院(蓮華王院安置)
三十三間堂の千手観音が何で妙法院?と思ったのだが、図録解説では「蓮華王院は当館の南に位置し、天台宗の門跡寺院の一つとして著名な妙法院の管下に現在はなっているが、当初は後白河法皇の法住寺殿の仏堂として長寛2年(1164)に建立されたもの」とある。第一章の解説に加えておいていただきたい。
画像はチラシ2にて。
どうもお疲れ様でした。
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