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(No46) 大阪市立美術館 プラド美術館展 鑑賞記 その1
 
 本日、嫁さんと一緒にプラド美術館展を観に行ってきました。

 そのちょいとした感想です。これまで映画とかは一緒に行ってましたが、美術展というと初めてかなあ。

 私個人としてはご夫婦(実際のご夫婦かどうかは知りませんが、妙齢の男女ペアで)美術館などに来られているのを羨ましく思ってたので、今日は嬉しかったです。
 

 


1.第一章 スペイン絵画の黄金時代 〜宮廷と教会、静物〜

 右下は、本展示会のチケット。画像はベラスケスの《ハンガリー王妃マリア・デ・アウストリア》。

 
  会場入ってすぐ、迎えてくれるのは

01 サンチェス・コエーリョ、アロンソ 《王女イサベル・クララ・エウヘニアとカタリナ・ミカエラ》
1575年頃 135×149cm

 フェリペ2世と3番目の妻イサベル・デ・ヴァロアとの間の二人の王女を描いた肖像画。

 服装の模様などは非常に巧緻だが、表情は冷たく形式的というか、人間らしさが感じられない。

 画像は、リンク切れになるまでアートナビ東京都美術館HPで。

02 エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス)《十字架を抱くキリスト》
1597〜1607年頃 108×78cm

 これはチラシ裏面にも掲げられているので代表作の一つといってよいだろう。ちょっと変わった雰囲気の絵。何だか「軽い」という印象を持った。

 それは何故なんだろう。文字通り十字架を「軽そう」に持っているからだろうか。両手は十字架にそっと添えられているようにしか見えない。

 その十字架だが、なぜあんなに横木が短いのだろうか。あれじゃとても両手を広げての「磔」は無理だろう。

 潤んだ瞳で上を見上げている表情も穏やかだ。頭の上の菱形の光は、角帽を思わせる。

 エル・グレコの作品は、あと、
03 《寓話》
1600年頃 49×64cm

04 《若い貴紳》
1600〜1605年頃 65×49cm

05 《フリアン・ロメロと守護聖人》
1594〜1604年頃 206.7×127.5cm

・・・という作品が展示されていた。

 この《寓話》という作品は、白塗りの少年が蝋燭に火をつけようとしているところを、肩越しに猿が覗き込んでいるという不思議な絵である。少年は、消し炭のようなものに口をすぼめて息を吹きかけ火を起こし、そこへ蝋燭のしんをかざしており、手前じゃ赤い帽子をかぶった髭面の男がにた〜と笑っている。
 「火を吹く」ことも「猿」も「肉欲」をシンボライズしているそうだ。

 嫁さんもそうだが、私も敬虔な宗教心てなものがまるでない。
 で、《若い貴紳》も、何であんな襟してんだ、(だいぶ古いが)エリマキトカゲかよ!っと思うのが先になる。

 同じく、《フリアン〜》も、その上目遣いの表情で、どうも素直に鑑賞するより先に「くすっ!」と笑ってしまうのである。

 この宗教心の無さはいかんともしがたい。
07 カルドゥーチョ、ビセンテ《ヨアキムとアンナのいる聖家族》
1631年 150×115cm

・・・を観ても、何か、膝に抱かれてる赤ん坊、次の瞬間には右手で触ってる果物を母ちゃんの顔面に叩きつけかねないどこか邪悪な表情を・・・・・なんて思ってしまう。

 続いてはリベーラ、ジュゼッペ・デの作品が続く。
08 《聖アンデレ》
1630〜1631年頃 123×95cm

09 《盲目の彫刻家(触覚の寓意)》
1632年 125×98cm

 カトリック教徒であれば「X」型の十字架を持っているだけでその人が聖アンデレとわかるそうだが、もちろん私はわからない。私はこの絵を観て、老醜の肉体の衰えを仮借なく描いてるなと思うだけである。
 画像について、リンク切れになるまでは大阪市立美術館HPにて。

 また、《盲目〜》では、嫁さんを笑わせようとモデルの「でこ」の光り加減に注意を喚起しただけだ。不真面目と眉をひそめられても仕方がない。

11 コリャンテス、フランシスコ《エゼキエルの幻視》
1630年 177×205cm

・・・は、最後の審判時の死者蘇生を描いているらしい。画面中央で、一人だけきれいに彩色されてるのがエゼキエル。聖書で『エゼキエル書』ってのがあるということだけは(うちの家にも聖書はあるんで)知っていた。
 石棺の蓋を開けてエゼキエルを仰ぎ見てる白髪の老人や、まだまるっきり骸骨のままの人物やら、これも不思議な絵である。

 リベーラの三つ目の作品
10 《アッシジの聖フランチェスコの幻視》
1636〜1638年頃 177×205cm
も、画面右隅の卓上に古びた髑髏が置かれている。それがいかにも幻想的な雰囲気を醸し出している。
 画面右上の天使が持つフラスコ(とその中の水)が、聖職者に要求される純粋さの象徴であるそうで、フランチェスコはとても無理だと司祭職につくことを諦めたらしい。
 ところでフランチェスコの両手には傷があるのだが、これはキリストの磔刑のシンボルではないのだろうか。なら聖職者の資格十分のように思えるのだが。 

12 スルバラン、フランシスコ・デ《神の愛の寓意》
1655年頃 206×140cm

・・・は、無表情な美女が右手に「心臓」を掲げており、しかもその心臓が炎をあげて燃えている。
 何でも「燃える心臓」というのは「慈愛」の象徴らしいが、そんなことつゆ知らぬ私は、この後鶴橋の焼肉屋に行って「ハツ」でも頼もうかしらんと思ってしまう。

15 ベラスケス・デ・シルバ、ディエゴ《ハンガリー王妃マリア・デ・アウストリア》
1628〜1630年頃 59.5×44.5cm

・・・は、上記チケットで扱われている作品。少し赤っ鼻だが、ちょい「いかりや長介」的な下唇をしてるが、なかなか美しい。

 ベラスケスの作品は、
17 《道化ディエゴ・デ・アセド、”エル・プリモ”》
1635〜1644年頃 107×82cm

18 《フェリペ4世》
1653〜1657年頃 69×56cm

・・・など。
 前者については、膝の上の本がやたら馬鹿でかいし、何か頭が大きくてバランスが悪い絵だなと思っていたが、説明文に添えられた原題に The Dwarf 〜 とあったので「あっ、そうか」と思った。チラシ裏面をご参照いただきたい。

 後者は、スペイン国王の肖像画であるが、後継者の男子に恵まれず国際的な影響力も失墜していく落魄の哀しさを(本来、国王のような権力者の肖像画であれば、そんな弱みは描き出さないのがセオリーであろうが)「悲しく、敗北感に打ちひしがれた」、「皮膚が垂れて疲れきった容貌」、「いまだ尊大ながら快楽と失意と挫折の痕跡を残した視線」(『図録』P98)として表現しきっている。
 あと、
16 《ヴィラ・メディチの庭園、ローマ》
1630〜1634年 44×38cm

・・・の画像はリンク切れになるまではアートナビにて。

 なお、
19 マルティネス・デル・マーソ、ファン・バウティスタ《皇妃マルガリータ・デ・アウストリア》
1665〜1666年頃 205×144cm

・・・に描かれた皇妃は、このフェリペ4世の娘らしい。この絵は父王の服喪中の姿を描いたものらしく、そのもの悲しげな表情も相まって、非常に父に似た顔をしている。


 少し離れた一角に
23 サンチェス・コタン、ファン・デ《狩猟の獲物、野菜、果物のあるボデゴン》
1602年 68×89cm

・・・が展示されていた。
 非常に美しく、リアルな絵。

 嫁さんが「ボデゴンって何?」と聞くので、
「ボデゴンゆうのは、まあいわゆる静物画のことやねんけど、特に台所にあるような野菜やら果物、鳥なんかの食材を中心にする厨房画とか呼ばれるもんのこっちゃ。
 ちなみに、イケイケのお姉ちゃん(←死語)なんかが着る体にぴた〜っとした服のことは、ボディコンシャス、略してボディコン・・・・」
「そんなこと聞いてへん」 

 こんなところで夫婦漫才をやっている場合ではない。この絵には雀の目刺し(目こそ刺してないが羽根をむしった雀が6羽、横に並んだ状態で棒にくくりつけられている)が置かれ、羽根の色も美しい山ウズラやら、葉付きレモンやらが吊り下げられている。
 中央には細い人参とラディッシュ。右側に立てかけられている、白菜のようなセロリのような野菜は、図録によればチョウセンアザミだそうだ。何でアザミ?と思ったが、アーティチョークといえば聞いたことがある。
 画像はリンク切れになるまでは東京都美術館HPで。

25 エスピノーサ、ファン・デ《葡萄と林檎のあるボデゴン》
1640〜1650年頃 50×39cm

・・・は、透明感のある、ちょっと触ると果汁が飛び出してきそうなほど瑞々しく輝いた葡萄が印象的だ。図録によると、その葡萄の房の横には、もう一房葡萄が描かれているが「背景と同化してしまっている」とある。 実際、私は会場では二房あると気付かなかったし、図録の写真を観てもなお、影じゃないのかな?と思ったほどだった。

 また、横一列に並んだ静かな構図ながら、その質感のリアルさがすごい
28 スルバラン、フランシスコ・デ《ボデゴン》 

・・・の画像は、アートナビ東京都美術館HPで。

29 アントリーネス、ホセ《マクダラのマリアの被昇天》
1670〜1675年 205×163cm

・・・は、目の周りや鼻が赤みを帯びていて、妙に疲れた表情に見えた。

31 コエーリョ、クラウディオ《リマの聖ロサ》
1684〜1685年頃 240×160cm

・・・は、目がぱっちりして、ほっぺがふっくらした可愛い聖女。左下に座っている天使が、肩にかついだ本に「ROSA」とか書いてあるので、まるで看板みたいだ。

32 ムリーリョ、バルトロメ・エステバン《エル・エスコリアルの無原罪の御宿り》
1660〜1665年頃 206×144cm 

・・・は、図録には「様式完成期の作品と比較すると、甘美な理想化やポーズの類型化が進んでいない分、どこかモデルの個性を残すような人物像の新鮮味を感じることができ」るとある。
 確かにそうだ。私も嫁さんに「何か現代の少女漫画の主人公みたいな感じやな」と感想をもらした。というか、昭和初期の女の子向けの塗り絵みたいな雰囲気もある。

 画像について、リンク切れになるまでは大阪市立美術館HPにて。

33 《貝殻の子供たち》
1670〜1675年頃 104×124cm

・・・は、チラシ表面で。穏やかにヨハネを見つめながら貝殻を差し出しているのがイエス・キリスト。その水をたたえた貝殻を右手で支え、水を飲みながらヒツジとにらめっこしてるのがヨハネらしい。

35 バルデス・レアル、ファン・デ《ミラノ司教に叙階される聖アンブロシウス》
1673年頃 166×109.5cm 

・・・では、聖アンブロシウスの顔が、「当時のセビーリャで最も重要な絵画の依頼人であったスピノラ大司教」の顔で描かれているそうだ。要するに上得意のスポンサーに「よいしょ」した肖像画。



 

 

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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