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(No28) 京都国立博物館と三十三間堂 

 先日、京都国立博物館に行ったのだが、帰りに三十三間堂に寄った。皆さんご存知だろうが、三十三間堂は、京博の向かいにある。


考える人

 
 前にも載せたが、特別展示館とロダンの「考える人」。



 



2.三十三間堂

 下の写真が、三十三間堂の本堂。正式名は蓮華王院というが、南北に長い造りになっており、内陣の柱の間数が三十三あることから、巷間では三十三間堂と呼びならわされてきた。三十三というのは、『法華経』に観音は三十三の変化身をとるとあるそうなので、それとも関連があるのだろう。

 本尊は千手観音である。それも一体ではない。長さというか、幅というか100mを超える長大な本堂の中央に、中尊である千手観音坐像(像高335cm)があり、その両脇に、ほぼ等身大の千手観音立像が500体ずつ、計1000体並ぶ。
 さらに前方には、観音を守護する二十八部衆に風神・雷神を加えた30体が並ぶのだ。
 その物量(「仏」量というべきか?)、集積率たるや日本一ではなかろうか。 
本堂

 あと、三十三間堂で有名なのは「通し矢」であろう。では、渡り廊下に少し近づいてみる。





3.通し矢

 この長大な本堂の軒下、廊下の端に的を置き、反対側の端から射るのが「通し矢」である。

廊下

 ああ、この廊下の端から向こうへ射たのかあ・・・と思ったのだが、何か途中に張り出しがあって、向こうが見えない。おかしいな、と思ってたら・・・・・

 


4.通し矢(その2)

 どうも、通し矢は、本堂西側の廊下を、南から北に向かって射たようだ。上の写真は、北から南に向かって、本堂東側の廊下を撮ったもの。

 廊下中央の張り出しの辺に、中尊の千手観音がおわすわけである。中の尊像はすべて東側を向いている。

 
本堂裏手

 これが本堂の西側。手前に、増築されたミュージアムショップの端っこが写っているのでわかりにくいが、奥に写っている長い廊下(幅は2.5m。軒下の高さは5.5m。奥行きは120mほど)の向かって右側隅(つまり南端)から、北へ射たらしい。
(このことは、後になってわかったこと。もし、当日わかっていたら、この裏手の廊下にもっと近づいて写真を撮っていたのだが)

 通し矢は、桃山時代(16世紀)に始まり、特に江戸時代には、尾張・紀州両藩の名誉をかけての「天下一」争奪戦など大評判になったそうだ。

 通し矢大会の優勝者は、名前や矢数を記した額を堂内にかける習わしがあったそうで、現在も堂内にはいくつか額が展示されていた。
 歴代最高記録は、貞享3年(1686)の紀州藩和佐大八郎という18歳の青年の記録らしい。24時間射続ける「大矢数」という競技で13,053本射て、8,133本通したそうだ。 

 



 

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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