移動メニューにジャンプ

(No27) 大阪市立美術館 「書の国宝 墨蹟」展 鑑賞記 

 大阪市立美術館で、4月18日(火)から5月28日(日)まで「書の国宝 墨蹟」展が開催されている。

 5月13日に中川憲一氏(大阪市立美術館学芸課長)による「中国書道史と墨蹟」という講演会があった。この講演を聴きがてら、特別展を観に行った。


1.道潜・圜悟克勤

 墨蹟(ぼくせき)とは広くは「書」一般を指すこともあったが、一般には禅宗の高僧による書に限定していう。
 中国において書は尊重されてきたが、それはあくまで「文人」、すなわち科挙を合格した高級官僚の書を中心とするものであり、僧侶の書はあまり評価されなかった。

 その点、わが国においては、特に茶の湯の席において墨蹟は水墨画以上に珍重された。

 
番号 作者 作品名 所蔵等 感想・その他
道潜(どうせん) 重文 与淑通教授尺牘(しゅくつうきょうじゅにあたえるせきとく) 福岡市美術館(松永コレクション)
北宋時代
浙江省の人。
申し訳ないが、あまり印象がない。

 圜悟克勤(えんごこくごん。四川省の人。五祖法演に印可を受ける)は、大慧宗杲(だいえそうこう)・虎丘紹隆(くきゅうじょうりゅう)らの師。

 今日は展示されていなかったが、2 圜悟克勤作の「与虎丘紹隆印可状」(国宝 東京国立博物館)は、宋から桐の箱に入って薩摩坊之津に流れ着いたという言い伝えがあり、「流れ圜悟」という別称をもつ。

 印可状とは、師僧が弟子に悟道の熟達を証明する書状。



 



2.大慧派

 圜悟克勤の法嗣(はっす。師の法を伝えてその法統を嗣ぐ弟子)である大慧宗杲を派祖とする禅僧のグループ。 

番号 作者 作品名 所蔵 感想・その他
大慧宗杲 国宝 与無相居士尺牘 東京国立博物館
紹興21年(1151)頃
安徽省の人。梅州(広東省)に流されていた時、無相居士(詳しくは不明)にあてた手紙。
11 大川普済(だいせんふさい) 重文 梁楷筆 布袋図賛(りょうかいひつ ほていずさん) 兵庫・香雪美術館
南宋時代
浙江省の人。正直言って、賛の字よりも、梁楷(南宋の宮廷画家)が減筆体(げんぴつたい。筆数を減らし簡略化して本質を描く水墨画の一画法)で描いた布袋が軽妙でおもしろかった。
13 偃谿廣聞(えんけいこうもん) 重文 李確筆 布袋図賛 京都・妙心院
南宋時代
福建省の人。これまた、腹の出た布袋の絵がおもしろい。邪道かな。





3.破庵派

 
圜悟克勤の法嗣である虎丘紹隆の法系である破庵祖先を派祖とする禅僧のグループ。

 この派では無準師範(ぶしゅんしばん。四川省の人。破庵祖先の法嗣)が有名。

 東福寺の開山(かいざん。寺院の創始者)である円爾(えんに。駿河出身)や、日本に禅を伝えた無学祖元は無準の法嗣。
 夢窓疎石は無学の法孫。伊勢出身で、高峰顕日の法嗣。七代の天皇に信任され、「七朝の国師」ともいわれる、鎌倉〜南北朝期の臨済宗の名僧。
 また、中峰明本は幻住派の祖。
番号 作者 作品名 所蔵 感想・その他
24 無準師範(ぶしゅんしばん) 国宝 山門疏(さんもんそ) 五島美術館
紹定5年(1232)頃
当日(5月13日)は展示なし。
チラシ等で使われている、いわば本展示会の目玉。
25 無準師範 国宝 与聖一国師尺牘(しょういっこくしにあたえるせきとく) 東京国立博物館
淳祐2年(1242)
聖一国師とは東福寺開祖円爾の諡。径山万寿寺全焼の報を受け板千枚を寄進した円爾に返礼として与えたもので「板渡墨蹟」(いたわたしのぼくせき)と呼ばれ珍重されてきた。
チラシ裏面参照。
30 無準師範 茶入(さにゅう) 五島美術館
南宋時代
おそらく禅林の牌字(はいじ。禅院で大衆に知らせるために用いるかけふだ。また、そこに書かれた文字をいう)。
こういう大きな文字はわかりやすくてよい。茶道の「茶入れ」とは無関係なんだろうか?
45 絶岸可湘(ぜつがんかしょう) 重文 高峰原妙像賛(こうほうげんみょうぞうさん) 茨城・法雲寺
至元27年(1290)
寧海(浙江省)の人。無準の法嗣。高峰原妙は、蓬髪で鼻髭をぴんと横に張る姿(頭はチリチリでネズミみたいな髭)で、古来「有髭之御影」と呼ばれている。
47 無関普門(むかんふもん) 重文 頂相自賛(ちんそうじさん) 京都・天授庵
正応4年(1291)
信州出身。亀山上皇の離宮に出た妖怪を退散させ信任を得たと伝えられる。
しかし、頂相というのはリアルだな。両目がそれぞれ外側を向いてしまっているのまで描いている。賛の字はやや乱れ気味で遺偈(ゆいげ。高僧が入滅に際して、後人のために残す偈)のようだ。
50 癡兀大恵(ちごつだいえ) 重文 頂相自賛 京都・願成寺
正安3年(1301)
伊勢出身。円爾を排撃しようとしたが、かえって入門した。
目をむいたごつい顔は五代目柳家小さんにも少し似て、「悪ダヌキ」という感じ。今にも右手の竹箆(しっぺい)を振りかざして飛び掛ってきそうな迫力。
57 中峰明本(ちゅうほうみんぽん) 重文 一庵筆 頂相自賛 兵庫・高源寺
延祐3年(1316)
杭州の人。独特の抑揚と肥痩(ひそう)を持つ書風は「笹の葉書き」と呼ばれる。中峰は高峰原妙の法嗣。定居することがなく、幻住と自称した。
髪の毛の感じはちょっと「キモいおっさん」という雰囲気。「笹の葉書き」は実にデザインとしておもしろい。
62 虎関師錬(こかんしれん) 重文 進学解残闕(しんがくかいざんけつ) 京都・東福寺
鎌倉・南北朝時代
京都出身。鎌倉後期から南北朝にかけての臨済宗聖一派の禅僧。一山一寧に師事し、五山文学を築き上げた。
黄庭堅の書法を伝える楷行書。
66 虎関師錬 南明山(なんめいざん) 鎌倉・南北朝時代 禅院山号の額字。どこの禅院かは確定していない。
大きい字なので、わかりやすい。黄庭堅風(どんな風や?)の堂々とした字体。
71 無学祖元(むがくそげん) 国宝 与長楽寺一翁偈頌(ちょうらくじのいちおうにあたえるげじゅ) 京都・相国寺
弘安2年(1279)
浙江省の人。本書は無学が来日した年に、建長寺を訪ねた一翁に与えた偈頌(げじゅ。仏教的あるいは禅宗的な内容の韻文)。
堂々とした、風格のある字だと思う。
チラシ裏面参照。
72 無学祖元 重文 重陽偈(ちょうようのげ) 神奈川・常盤山文庫
弘安2年(1279)
重陽とは9月9日の菊の節句。無学が建長寺に入院(じゅいん)したのは8月なので、北条時宗に招かれ建長寺の住持(一寺の主長の僧。住職)となって間もない頃の作。
書のことはよくわからないのだが、この字を見ていると何かいい気持ちになる。
74 無学祖元 重文 与欽禅者偈頌(きんぜんしゃにあたえるげじゅ) 五島美術館
弘安9年(1286)
6月の作だが、その年の9月に示寂しているので最晩年の書といえる。
上記の作に比べ、字が小さく墨色も薄い。
79 夢窓疎石(むそうそせき) 重美 閑居偈(かんきょのげ) 建武元年(1334) 字もいいが、紙がおもしろかった。中国製の魚文の蝋箋(ろうせん。中国製で詩歌などを書く。胡粉を表面に引き、バレンで蝋を刷り込み文様をつける)で、魚や水草が下地になっている。
81 夢窓疎石 重文 春屋字号并偈頌(しゅんおくじごうならびにげじゅ) 京都・鹿王院
貞和2年(1346)
夢窓疎石が、甥で、弟子の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)に、春屋という号を与えた書。
禅僧の名は、最初からある法諱(ほうき)と、成長を認められて師より贈られる道号(どうごう)から成る。
号の大きく豪快な字と、偈の軽やかな草書のバランスがいい。
88 鉄舟徳済(てっしゅうとくさい) 蘇軾詩残闕(そしょくしざんけつ) 南北朝時代 下野国出身。草書なんでさっぱりわからない。濃淡のコントラストがきつい。
94 清拙正澄(せいせつしょうちょう) 重文 平心処斉別称偈(へいしんしょせいべっしょうげ) 香川歴史博物館
嘉暦3年(1328)
福建省の人。平心という字号を与えた時の書。平心処斉は寿福寺の林叟徳瓊の法嗣。
一つ一つの字は美しいと思うのだが、字間というか、バランスが微妙に気になる。
98 清拙正澄 国宝 遺偈(ゆいげ) 神奈川・常盤山文庫
暦応2年
(1339)
当日は展示されていなかった。
本書はいわゆる「棺割り墨蹟」。遺偈であるから入滅直前に書いた偈なのだが、弟子の藤典厩某が臨終に間に合わず棺の前で号泣していると、目を開いて戒法を授け、再び目を閉じたと伝えられているらしい。棺をぶち破って正澄が生き返り、この書をしたためた・・・というならすごいな。
チラシ裏面参照。




4.松源派

 
圜悟克勤の法嗣である虎丘紹隆の法系で、密庵咸傑(みったんかんけつ)の法嗣松源崇嶽を派祖とする禅僧のグループ。

 古林清茂を祖とする僧侶は、古林の号にちなんで金剛幢下と呼ばれる。

番号 作者 作品名 所蔵 感想・その他
100 滅翁文礼(めっとうもれい) 重文 達磨図賛(だるまずさん) 京都・妙心寺
南宋時代
臨安(浙江省杭州)の人。松源崇嶽の法嗣。
達磨と南朝梁の武帝との問答を題材とした賛。
図録には「起筆と終筆に筆圧を加える痩勁で硬質な筆法と、独特の右肩上がりの結体」とある。乾きかけのマジックで無理に書いたような字体だ。
103 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう) 重文 諷誦文残闕(ふじゅもんざんけつ) 神奈川・建長寺
文永5年(1268)頃
四川省の人。無明慧性(むみょうえしょう)の法嗣。執権北条時頼の帰依を得て鎌倉常楽寺に住し、建長5年(1253)、建長寺の開山に迎えられた。
第一幅には「信心弟子 時宗」という一節がみえる。しかし、当日は第二幅だったかな。
諷誦文(ふじゅもん)とは、法会(ほうえ)で大衆を前に朗読する願文のこと。
105 蘭渓道隆 重文 看経榜残闕(かんきんぼうざんけつ) 神奈川・常盤山文庫
鎌倉時代
11行目に「弟子(ていし)時宗」とある。
きりっとした美しい字。
107 蘭渓道隆 国宝 頂相自賛(ちんそうじさん) 神奈川・建長寺
文永8年(1271)
当日は展示されていなかった。
鎌倉時代宋風肖像画の最優作といわれる。
いかにも虚弱そうな(魚のクチボソのような、漫才コンビ「カラテカ」の矢部のような)絵は、よく美術史の本などにも載っている。
チラシ裏面参照。
110 大休正念(だいきゅうしょうねん) 重文 尺牘(せきとく) 神奈川・常盤山文庫
鎌倉時代
温州の人。文永6年、北条時宗の招請で来日。
文中で目の不調を訴えているようだが、字もかすれ、乱れ具合が気になる。
112 虎巌浄伏(こがんじょうふく) 重文 拾得図賛(じっとくずさん) 神奈川・常盤山文庫
元時代
淮安(江蘇省)の人。元来、一具の寒山図賛(重文)は静嘉堂文庫蔵。
134 寂室元光(じゃくしつげんこう) 重文 越谿字号并説(えつけいじごうならびにせつ) 滋賀・退蔵寺
南北朝時代
美作高田の出身。
晩年、弟子の秀格に与えた「越谿」という字号と説。魚文を描いた浅葱(あさぎ)色の蝋箋に書かれている。
137 古林清茂(くりんせいむ) 重文 与運禅人送別偈(うんぜんにんにあたえるそうべつげ) 静岡・MOA美術館
至治元年(1321)
温州(浙江省)の人。横川如珙(わんせんじょきょう。永嘉(浙江省)の人。滅翁文礼の法嗣)の法嗣。「ふるばやしきよしげ」という日本人ではない。古林清茂の派は、金剛幢(こんごうとう)という号から金剛幢下とも、仏性(ぶっしょう)禅師という賜号から仏性派ともいう。
140 古林清茂 国宝 月林道号(げつりんどうごう) 京都・長福寺
泰定4年(1327)
月林道皎(げつりんどうきょう。山城出身。元朝で古林に師事)に「月林」という道号を与えた際の偈頌。
チラシ裏面参照。
150 竺仙梵僊(じくせんぼんせん) 重文 古林和尚碑文(くりんおしょうひぶん) 京都・長福寺
貞和2年(1346)
浙江省の人。古林清茂の法嗣。
1行8字の桝目内に整然とした行書で書かれている。まとまった趙孟頫(ちょうもうふ)の書法に学んでいる。
156 虚堂智愚(きどうちぐ) 国宝 与照禅者偈頌(しょうぜんしゃにあたえるげじゅ) 東京国立博物館
景定3年(1262)頃
浙江省寧波の人。運菴普巌(うんなんふがん)の法嗣。
松平不昧の旧蔵。江戸の初期、武野紹鴎(たけのじょうおう)から京都の豪商の手に移ったが、寛永14年(1637)、丁稚が倉に立て籠もり自殺した際、主人の愛蔵の茶器を壊したり、本作を切り破った事件があった。それ以来「破れ虚堂」という別称で有名となった。
本日は残念ながら展示なし。
チラシ裏面参照。
157 虚堂智愚 国宝 達磨忌拈香語(だるまきねんこうご) 京都・大徳寺
咸淳元年(1265)頃
拈香語(ねんこうご)とは、焼香に際して唱える法語(ほうご。高僧などが仏の教えを平易に説いた文)。
特に「山」とか「春」などが個性的な字体だなあと感じた。
164 南浦紹明(なんぽじょうみん。「じょうみょう」とも) 重文 示宗観禅尼法語(そうかんぜんににしめすほうご) 五島美術館
徳治2年(1307)
駿河の出身。虚堂智愚の法嗣。門弟に宗峰妙超がおり、その門流を大応派という。
宗観禅尼が自ら持参した金銀の小切箔を雲のように散らした美しい料紙に書いた珍しい墨蹟。・・・・・美しい紙はいいのだが、地模様がきつくて字が読みにくい。
171 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう) 重文 与満庵宗祐尺牘(まんあんそうゆうにあたえるせきとく) 神奈川・常盤山文庫
鎌倉時代
播磨出身。南浦紹明の法嗣。花園上皇から贈られた号から「大燈国師」という呼称が有名。
日本語の候文で書かれているので「尺牘」でなく「消息」とも言われる。
184 物外可什(もつがいかじゅう) 西湖懐古・古怨偈(せいこかいこ・こえんのげ) 室町時代 豊後か豊前の出身と思われる。南浦紹明の法嗣。
単純に題名が曲がっているのが気になる私。


 



5.曹源派・その他

 
圜悟克勤の法嗣である虎丘紹隆の法系で、密庵咸傑の法嗣曹源道生を派祖とする禅僧のグループなど。

番号 作者 作品名 所蔵 感想・その他
187 癡絶道冲(ちぜつどうちゅう) 重文 無準忌上堂語(ぶしゅんきじょうどうご) 京都・慈照寺
淳祐10年(1250)
四川省の人。上堂(じょうどう)とは住持が法堂(はっとう。住持が仏に代わって衆に説法する道場。説法堂)に上って執り行う説法のこと。なかなか良い字だと思った。


 



 どうもお疲れ様でした。

 
  

inserted by FC2 system