移動メニューにジャンプ
(No190) 京都国立博物館 細川家の至宝 鑑賞記 その3
〜関係というのは私が勝手に分類したもの。 白隠関係。 227 夜船閑話 白隠慧鶴著 以前読んだ『白隠 禅画の世界』(著:芳澤勝弘。中公新書)によると、「57歳のときに書かれた『寒山詩闡提記聞』(かんざんしせんだいきもん)の中の自伝的部分のみを、のちに仮名法語にしたもの」とある。なお、書名は「やせんかんな」、著者名は「はくいんえかく」。 阿部無仏という人物が本書を細川護立(永青文庫創立者)にすすめたとある。 (14)228 半身達磨図 白隠慧鶴筆 235 蛤蜊観音像 白隠慧鶴筆 唐の文宗帝がはまぐりを食べようとしたが殻が開かないので香を焚いて祈ったら、はまぐりの中から観音様があらわれた故事にもとづく絵らしい。貝が開かなくていちいち祈るのかね・・・・、どんだけ貝に執着してんねん。 画像は、たとえばここで。
242 白隠慧鶴墨蹟 巖頭全豁語 太い筆跡で「暫時不在 如同死人」とある。たとえわずかの時間でも事故を失えば死人も同じ・・・といった意味らしい。 どこで撮られたのか、許可は得ているのかは承知しないがブログに載せておられる方がいたので、画像はここで。
249 花見図 仙涯義梵筆 花見の遊山船で宴会しているところを描く。「楽しみは花の下より鼻の下」と書き添えてある。花の下で桜を愛でるより、楽しみは飲み食い(口は鼻の下にある)という意味。ま、それだけですが。 「刀」関係 158 国宝 太刀 銘 豊後国行平作 石田三成に細川幽斎が攻められた時、後陽成天皇は古今伝授の断絶をおそれ、烏丸光広を勅使に立て講和させた。幽斎が烏丸光広にこの太刀を与えたため「古今伝授の太刀」と呼ばれる。刀身に龍の彫柄あり。 リンク切れになるまで京博HPで。
(15)252 国宝 短刀 無銘正宗(名物包丁正宗) 身幅が広いので「包丁」の異名がある。安国寺恵瓊所蔵で、関ヶ原の戦いで安国寺恵瓊を捕縛した奥平信昌が所持し、徳川家康に献上。家康は信昌の子で自分の外孫である松平忠明に下賜。その後、伊東巳代治から細川護立へ、という経路をたどる。
255 蔦唐草蒔絵小さ刀拵 短刀の鞘。美麗。画像はタイトル文字の「川」の字の右側。
256 国宝 金象嵌銘 光忠 光徳(花押) 鎌倉時代(13世紀)。画像はここで。
257 重文 太刀 銘 守家造 ほかの刀は上反りのアーチ型に展示、つまり峰が下で刃が上に展示してあったが、これだけ刃が下向けで展示してあった。台で少し刃文が見にくかった。峰の部分を見せたかったのだろうか? 画像はタイトル文字の「川」の左側。
(16)263 重文 桜に破扇図鐔
264 重美 桜九曜文鐔 飾り切りした蓮根というか、リボルバー拳銃の弾倉みたいというか。 画像は、タイトル文字の「宝」のちょぼ。
目貫とは、刀身が柄から抜けないように、柄と茎(なかご)の穴に差し止める釘。目釘。また、目釘をおおう金具。 画像はタイトル文字の「細」の糸へん部分。 鞍や鎧など武具関係。 10 国宝 柏木莬螺鈿鞍 リンク切れになるまで京博HP(図2)で。後期展示のため、現物は観ていない。「木莬」は「みみずく」と読むらしい。
鎌倉(13世紀)。新古今の慈円の歌に基づく装飾。 リンク切れになるまで京博HPみどころで。
細川忠興(三斎)所用。「縅」は「おどし」と読む。忠興が関ヶ原合戦のおりに用いた。画像はここやここ、又はここで。
リンク切れになるまで京博HP(図4)にて。後期展示なので観ていない。「九曜紋」は細川家の家紋。 絵巻、絵画関係 220 秋夜長物語絵巻 室町時代(16世紀)。比叡山の僧桂海が稚児に思いを寄せ、その思いを遂げたが(←遂げたんかい!)その稚児は聖護院の梅若で、神仏の争いになって梅若が自害して・・・・なんて話らしい。 画像はここで。
222 孔雀図 森徹山筆 解説文には単純極まる表現てなことが書いてあったと思う。確かにそうかな。
(18)224 百鳥図 狩野伊川院栄信筆 70種以上の鳥が描かれているそうだが、その詳細までは不明。 近代絵画関係 283 重文 黒き猫 菱田春草 リンク切れになるまで京博HP又はみどころにて。後期展示なので観ていない。
(19)284 重文 落葉 菱田春草 地面がふかふか。
画像はここで。 これも後期展示。
「永青文庫」は、細川家所蔵の宝物を護るために16代当主細川護立(もりたつ)が昭和25年に設立した。護立自身も積極的に収集に努めた。 初代藤孝は古今伝授の歌人としても著名で、二代忠興も利休七哲のひとり。所蔵宝物も文武両道にわたり、「美の世界では天下人」というキャッチフレーズはうまく言っていると思う。 それだけに今回の展示品はバラエティに富んでいるが、個人的にはもう少しテーマの絞られたものの方が好き。
|