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(No188) 京都国立博物館 細川家の至宝 鑑賞記 その1


 平成23年10月28日(金)に京都国立博物館に特別展「細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション」を観に行った時のメモ。

 

 


 ということで、久しぶりに京博へ。

 相変わらず平常展示館は工事中。何かずいぶん前から工事している気がするのだが。(ずっと、講演会は往復ハガキで申し込んでよその会場まで行かないとあかんし、「らくご博物館」は博物館じゃなくて近くのホテルでやってるから「どこが、らくご『博物館』やねん!」とツッコミたくなる。)

 でっかいクレーンは立っているが、何もぶらさげていない。


 別のところじゃ、やっぱでっかいクレーンが二基も立っているが、いずれもな〜んもぶらさげずに、無駄に動いてる感じ。

 

 おい、おい、仕事せぇや!と言いたくなった。


 工事現場を囲む塀の一角に、いかにも「ここから中の様子をご覧ください」って感じに透けてるとこがあったので「そこまでゆうなら」(←ゆうてへん、ゆうてへん)とのぞいてみた。

 

 建ち上がるのは、まだまだ先のようである。

 

 下写真は、工事の停滞ぶりに悩んでいる責任者のかた。(←違う、違う)

 

 


 以下で(1)などは音声ガイドの対象番号(私は音声ガイドを借りてないのですが)。
 頭の134などの番号は図録の番号。

 〜関係は私の勝手な分類。


 とりあえず仏像関係。あと、文書関係とか。

 

7 錦旗

 画像は、ここで。遠祖細川頼有ゆかりの品。

 リンク切れになるまで京博HP(図1)で。

 

(1)34 重文 十一面観音立像  勝龍寺

 勝龍寺の本尊。いわゆる檀像。鎌倉時代13世紀前半。永青文庫は菩提寺である「永」源庵と、初代藤孝の居城長岡京市の勝龍寺(「青」龍寺)から採った。

 画像は、ここここで。リンク切れになるまで京博HP(図10)やみどころにて。 

39 明智光秀覚書

 光秀の自筆。

 

41 重文 大原野千句連歌懐紙

 紙の模様が実にいい!

 

30 細川藤孝(幽斎)  絵:田代等甫筆、和歌:細川幽斎

 後期展示なので現物は観ていない。慶長17年(1612)の作。

 画像は、ここここここで。

 リンク切れになるまで京博HPのここ(図6)やここで。

 

 

(2)31 細川藤孝(幽斎)

 南禅寺天授庵に、幽斎の三回忌のおり、夫人が依頼し、以心崇伝が賛を書いたとされる画像が伝来しているが、それを江戸17世紀頃に写しをとったとされる。

 

(3)45 細川忠興(三斎)  大渕玄弘

 ガラシャの旦那。絵の解説に「結んだくちもとに意志の堅さが」とか何とか書いてあったが、桂歌丸のような顔の気難しそうなおっさんで、ガラシャは苦労したのでは?と思った。

 三回忌のおりに侍女の立法院が泰照寺に寄付したとのことである。

47 重文 織田信長自筆感状与一郎宛)


48 重文 堀秀政副状長岡与一郎宛)

 これに信長様自筆のお手紙が・・・とか何とか書いてあるために、47は、信長自筆ということが確実である唯一の文書であり、第1級の信長文書と称されるそうである。

 

50 徳川家康書状(丹後宰相宛)

 「家康」とか「石田治部」くらいだけ読めた。家康石田三成を処刑したから見に来いとか何とか書いてあるようである。

(4)52 細川ガラシャ消息(松本殿御内儀宛)

 水の流れるような筆跡で、ガラシャの教養がしのばれる・・・・なんてことが解説文にあった。



57 露払  細川ガラシャ

 後期展示なので現物は観ていない。チラシなどで紹介されているのは後期のみの物が多い気がする。ガラシャが忠興のために自ら織った雨具とのこと。

 画像は、ここここ、又はここで。

 リンク切れになるまで京博HPのここここ(図5)で。

 

63 細川忠利像  矢野三郎兵衛吉重筆、沢庵宗彭

 忠利は忠興(ガラシャ)の間の三男。五位以上の者にしか許されない正装の束帯姿で描かれている。

 

77 重文 芦雁図屏風  伝宮本武蔵

 6曲1双の大作。後ろ姿の雁が多いのが特徴らしい。


 茶器関係

(5)183 唐物尻膨茶入 利休尻ふくら

 「茄子」と呼ばれる形に似るが肩に張りがあるものを「尻膨」と呼ぶそうだ。もともとは千利休所持で、その後徳川秀忠から細川忠興に譲られたそうである。南宋13世紀のもの。

 画像は、ここここで。

 リンク切れになるまで京博HPの図(7)又はみどころで。

 

166 瓢花入 銘 顔回  千利休

 瓢箪の下半分をすぱっ〜!と切って花入れにしたもの。

(6)167 顔回添状  千利休

 薮宗把の礼状に対する返信と伝えられる。「遺言で譲ろうと思っていたが、死ぬのを待たれるのもいやなので・・・」といった内容から、以前から執心していた宗把に譲った後と考えられる。


171 唐物茶壷 銘 頼政

 将軍家伝来の「鵺」という茶器に負けない・・・ということで「頼政」という銘らしい。

 

191 茶杓 銘 けつりそこなひ

 筒に「ケツリそこなひ」と自筆の銘あり。

 
 

 

 


 お疲れ様でした。

 
 
  

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