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(No180) 大阪市立美術館 没後150年歌川国芳展 鑑賞記 その4


 平成23年5月14日(土)に大阪市立美術館に「没後150年 歌川国芳展」を観に行った時のメモ。

 

 


第6章 風景画 近代的なアングル

 

(吉田氏の解説)

 天保前期(1830〜36)は、浮世絵風景画の傑作が続々と版行された時期である。
 北斎の「富嶽三十六景」しかり、広重の出世作、保永堂版「東海道五十三次」(天保5年{1834}頃刊)しかり。
 国芳は、北斎や広重の名所風景にはない、一種シュールでどこかエキゾチックな風景画の傑作をまさに天保初年に制作した。
 近年の研究で、国芳の斬新な風景画の源泉に、蘭書(オランダの本)の銅版画の挿絵があることなどが明らかにされており、自らこうした西洋の資料を所持し
活用した例が指摘されている。

 国芳は西洋画の特色やその要素を、視点の極端に低い構図法、板ぼかしの技法の多用、色面による画面構成などの工夫という、国芳風景画の特徴を確立することで自家薬籠中のものとした。

抒情的な広重、ダイナミックな北斎とも一線を画す、近代的アングルの風景画を誕生させたのである。

261 「東都三ツ股の図」

 巷間、国芳は、東京スカイツリーを予言していた?とネットを騒がせている作品。「日曜美術館」でも取り上げていたし、先日の毎日新聞でも紹介されていた。



 その「国芳スカイツリー」の構造を見ると、

  

 第5章 子ども絵の

260 「子供遊金生水之堀抜」

 に描かれた、井戸を掘る時に組む櫓(やぐら)に似ている。しかし、対比を考えると異常に高いのは事実。

 

 「三ツ股」の絵を観ると、右の方にいくつも井戸掘りの櫓のようなものが描いてある。

 

 

262 「東都首尾の松の図」

 私は、むしろこちらの絵の方が面白かった。
 何せ「首尾の松」の絵だと言うのに、その松はどこに描いてあるんだか分からないような扱い。(どうも下図の丸で囲んだ所の松がそうらしい)やたら、近景の石垣やら、カニやらが強調されている。



 また、石垣の石と石の合間から伸びてるタンポポはまだ理解できるのだが、画面上部には、下に向かってタンポポの花が描かれている。その右には少しだけ葉っぱの先が描かれているので、きっと、石垣のもっと上には大きなタンポポが生えていて、横向きに伸びちゃって、花が咲いたものの重力に耐えかねて下を向いちゃったんだろうか・・・・・・?と想像するしかないのである。

 船虫がこんなクローズアップされてる絵も珍しいんではないだろうか。



263 「近江の国の勇婦於兼」

 前期展示なので現物は観ていない。画像はチラシで。

 この「お兼」という遊女は、荒馬も綱の端を下駄先で踏みつけ鎮めてしまう怪力女として知られていたそうだ。
 馬が後脚を蹴立てて暴れているのだが、この馬がやたら西洋風。と言うか、アメリカンコミック的。タブロイド判のざらざらしたペーパーに、スパイダーマンとか何とかのヒーローと一緒に、カクカクした動きで載せられていそうな雰囲気。横に英語の吹き出しがあっても違和感ない感じ。

 後方の山脈の描写もニューホフ『東西海陸紀行』を参考にしているそうなのだが、その真ん中で純日本風の浮世絵美人が見得を切っている。

 

264 「忠臣蔵十一段目夜討之図」

 ニューホフの元絵との関係は、聴講記その4を参照。

 

270 「東都名所 両国の涼」

 手前に花火見物の船、その横に物売りの船。(川面には、船の提灯が映っているとこが芸が細かい)

 向こうに花火師の船があり、船上から派手に花火を打ち上げている。上空で炸裂する花火・・・・・・と、ここまでは、まあ普通の構図だろう。



 画面右には、川の中、頭に手拭いを乗せ、風呂に入ってるみたいな一団がいる。先頭の者は、何やら字が書かれた木刀のようなものを持っている。金がなくて船に乗れないから泳いでるのか?と思ったら、図録解説によると、これは水垢離をとっている大山参りの講の連中らしい。

 川面に降り注ぐ「火の粉」まで描いてるとこがユニークだなと思う。

 

275 「東都富士見三十六景 新大はし橋下の眺望」


 画像は国芳HPの下部の展示作品一覧を参照。

 

276 「東海道五拾三次 人物誌 川崎」

 どうということもないような風景画であるが、右端の人物がひょいと、後ろに煙管の雁首をはたき、タバコを捨てている。

 吸殻が踊る、その感じがなんともシャレている。

 

 

279 「相州江之嶋之図」

 「日曜美術館」では、篠田正浩映画監督が絶賛していた。

 観光的な名所案内図としての意識は薄く、グロテスクなまでに異様な迫力で、うごめくような岩の塊として描かれている。



 左端では参詣で坂を登る人々や、水遊びする人々が描かれていると展示解説にはあるのだが、どうも、楽しそうな観光客ではなく、難破か何かでようやく漂着した人々が、高みに避難しようとしているようにしか見えない。

 

 

 


 

第7章 摺物と動物画 精緻な彫と摺


(吉田氏の解説)

 摺物は、商品として不特定多数の人々に販売される浮世絵版画とは異なり、趣味人たちの配り物として注文制作された非売品である。
 例えば、狂歌や俳諧を楽しむグループが新年の配り物としたり、贔屓の役者へのはなむけなどとして企画した。
 それゆえに、浮世絵版画とは一味違った風雅な趣向のもと、良質な紙を用い、金、銀など、金属粉が多用されるなど、贅沢な材料が選ばれた。また、空摺
(エンボス)の効果的な手法など、彫、摺の巧みな技を十二分に活かし、木版技術の粋を集めた作品が誕生した。


295 しんば連 魚かし連 市川三升へ送之

 前期展示なので現物は観ていない。画像は国芳HPの下部の展示作品一覧参照。

 手前に朱鍾馗の幟。その後ろは鯉幟。鍾馗は五代目市川海老蔵七代目市川団十郎)の似せ絵。

 八代目市川団十郎市川三升)は、江戸を追放され大坂にいた父五代目海老蔵に会うため上坂することになり、その際贔屓の新場連、魚河岸連から贈られたもの・・・・と図録解説にあった。

 「役者絵」の

156 五代目市川海老蔵

 の解説に、天保13年(1843)、奢侈のため江戸を追放された・・・・とあった。

 





 

 

 お疲れ様でした。

 
 
  

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