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(No154) 京都国立博物館 特別展「THE ハプスブルク」関連土曜講座 「明治天皇からの贈り物 画帖と蒔絵と金魚鉢」聴講記 その5

 平成22年1月23日(土)に、上記講座を聴きに行った時のメモの続き(完結編)。

 



「明治天皇からの贈り物 画帖と蒔絵と金魚鉢」

                                       講師:永島明子(めいこ)氏 京都国立博物館 学芸部工芸室 主任研究員 

 

11.再び、イギリスへの贈り物について

(石野註)

 いつものように、先生からいただいたレジュメを紹介する場合は、別囲みで表示する。

 また、見出しは、整理の便のため、石野が勝手につけたもの。
 さらに、理解を助けるため、先生がしゃべられた順序のとおりではなく若干編集しているので、お聴きになった方は、「先生の話と違う!」とお思いかもしれないがご容赦願いたい。

 先ほど日本からイギリス王子に贈った贈答品のリスト。そして、王子に贈られた画帖の内容。

 そしてゴータに残る画帖。また、ゴータの美術展の図録に載っている槍や箪笥などの写真、また、その図録に挿絵のように載っている絵などを見てもらいました。

 それでは、ゴータの美術展の図録に載っている他の美術品についても見てもらいましょう。

 

 これ(右写真)は、イギリス王子への贈答品リストにある「蒔繪見臺」(蒔絵の書見台)でしょう。

(別の画像を表示して)
 これは、リストの「蒔繪 十種香箱」。

 

 同じく、これ(左写真)は贈答品リストにある「蒔繪 手箪笥」と思われます。




(別画像を表示して)
 これはリストにある「古銅置物 臺添」でしょう。ちゃんと、下に台も付いています。


 

 さて、これ(右写真)が・・・・・・・・・お待たせしました。金魚鉢です。

 これは尾張焼という「やきもの」です。

 リストには植木鉢も載っているのですが、穴があいてないから、これは植木鉢じゃなくて金魚鉢だと。これは宮内省の人に聞いた見解です。

 

(石野註)

 なぜ、先生が「お待たせしました」と言ったかというと、講演冒頭で、「今日の講演タイトルで、画帖と蒔絵は分かるけど、金魚鉢って何だ?と興味を持たれた方がいらっしゃるかもしれません。
 先に謝っておきますが、金魚鉢のことは最後の方で少ししか出てきません。 あのぉ・・・・・・金魚鉢の専門家の方とか来てないですよね?」
と、冗談ぽく断っておられたからである。

 なお、尾張焼というのは、現在でも、植木鉢というか盆栽の鉢として使われることが多いようだ。

  贈答品リストでは「金魚鉢 二」とある。レジュメ掲載の上の写真は丸いが、当日先生が紹介されたもう一つの鉢は長方形の鉢だった。そうした「金魚」鉢に似た盆栽鉢なんかが、例えばここで見られる。

 もっとも、確かにどの盆栽鉢にも穴があいている。

 また、画帖の構成ですが、まず、狩野派の董川の絵が選ばれ、次に町絵師の國貞などの絵が選ばれています。

 幕末の頃、パリであった万国博に日本は絵などを出品しており、幕府の人間と薩摩藩士が視察に行ったりしているのですが、その出品の際にも、狩野派から50図、町絵師の作品が50図出展されたそうです。

 


12.その他の外交上の贈答


 このイギリスとオーストリアの経験で、外国との贈答などはだいぶ慣れてきたようです。その後は、だいたいオーストリアの時の贈答品が前例となりました。

■ 明治3年12月18日(1870年2月7日) 翌年の清国への使節派遣に伴う贈品の調達

 同治帝、西太后、東太后、恭親王〜(略)〜用。総計1万2千両の支出を外務省から太政官弁官に伺い(オーストリアとの贈答が前例となる)

明治4年8月17日(1871年10月1日)
同治帝に佩刀1〜(略)〜屏風2(計画時には古画<但し日本産草木/山水大和風俗人物類>)〜(略)〜漆器3、馬具1。

西太后・東太后それぞれに、漆器3(蒔絵書棚、硯箱など)〜(略)〜画帖2。
(略)
  参考 故宮博物院編『故宮蔵日本文物展覧図録』(紫禁城出版社 2002年)

■ 明治4年3月12日 ドイツ皇帝に大和絵画帖2帙(前年秋に独逸国戦争画帖3冊を贈呈されたことへの返礼)

■ 明治4年3月29日 英国公使パークスに黄金造太刀1口〜。

(略)

■ 明治5年10月18日 ロシア皇子に画帖3箱。


 明治4年3月29日には、あの「だだっ子パークス」の離日に際し刀を贈ったなんて記事がありますが、それ以外に明治3年の記録を見ると、西太后らに画帖を贈った、とありますね。

 また、中国では故宮に残る日本からの文物の展覧会があったのですが、その時の図録『故宮蔵日本文物展覧図録』にあった絵を見てみましょう。

(画像を表示)

 ね?もう皆さんなら、あっ、贈答品リストに画帖があるな?そして、この故宮の展覧会の絵が、イギリスやオーストリアに贈られた絵によく似てるな?・・・・・ということがお分かりですよね。

 国際贈答品の画帖というのは、その当時の日本が、世界の国々に対し、日本の文化を紹介するために選んだものです。

 中国のほかにもドイツやロシアに画帖が贈られているようです。世界のいろいろな国で日本の画帖が今後見つかるかもしれません。

 もちろん、ウィーンの(オーストリアに贈った)画帖とゴータの(イギリスに贈った)画帖の存在が知られるだけでも140年かかりました。

 ゴータの画帖の詳細についても、まだ調べていません。現地に行くのも、先立つもの(石野註 もちろん調査のための予算のことだろう)がないのです。

 でも、もし、今後、そうした世界の画帖の存在が分かるようになったら、この土曜講座で、本日の続編をしたいな、と思っています。本日はありがとうございました。 

 


 最後に1問だけ質疑応答があって、「オーストリアにはイギリスが情報を流していた、という話があったが、当時は電話とか普及していなかったと思うが、どうやって伝えたのか?」という質問があり、デンマーク国立電信会社が「電信」を売り込みに来ていたようだが、もちろん普及していなかったので、もっぱら船便が頼りだった。
 ただ、イギリスは、他の国々にもかなり情報を流していたようで、ペッツが来日するまでにイギリス公使のパークスが、不平等条約を結ぶためのお膳立てを整えていたので、ペッツはほとんど日本に来てハンコを押すだけ、といった状態でした・・・・・・という回答があった。

 実に素晴らしい講演だった。永島先生には深く感謝したい。

 

 お疲れ様でした。

 
 
  

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