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(No152) 京都国立博物館 特別展「THE ハプスブルク」関連土曜講座 「明治天皇からの贈り物 画帖と蒔絵と金魚鉢」聴講記 その3

 平成22年1月23日(土)に、上記講座を聴きに行った時のメモの続き。

 



「明治天皇からの贈り物 画帖と蒔絵と金魚鉢」

                                       講師:永島明子(めいこ)氏 京都国立博物館 学芸部工芸室 主任研究員 

 

7.イギリス王子が持ち帰った品々

(石野註)

 いつものように、先生からいただいたレジュメを紹介する場合は、別囲みで表示する。

 また、見出しは、整理の便のため、石野が勝手につけたもの。
 さらに、理解を助けるため、先生がしゃべられた順序のとおりではなく若干編集しているので、お聴きになった方は、「先生の話と違う!」とお思いかもしれないがご容赦願いたい。

 さて、この王子はドイツ人でした。

 彼は、旧東ドイツ領のゴータにあるフリーデンシュタイン城の城主なのです。
 彼は父アルバート公の跡を継いで、父の実家を継承したことになります。

 ですから彼は、英国王子エディンバラ公アルフレッドというより、独国のザクセン・コーブルク・ゴータ公アルフレートなのです。

 彼の持ち物は、イギリスにはなく、皆、ゴータの城に遺されています。

 来日の際、彼に贈られた品々のリストも残っています。

日本外交文書 明治2年7月22日(1869年8月29日) 

外務大丞(神奈川在勤)等ヨリ外務大丞等宛

英吉利「エディンバラ」公横濱到著報告ノ件

(附記四) 王子ヘ御進贈品
一 蒔繪見臺  一
一 同 十種香箱  一
一 同 手箪笥  一
一 畫帖  十
一 古銅置物 臺添  一
一 金魚鉢  二
一 植木  二十七鉢

(略)

 

 ところで、私は、これまでアルフレッドが明治時代に最初の国賓として来日していたとは知りませんでした。

 しかし、ゴータ公がフリーデンシュタイン城に遺した美術品の展覧会は観たことがありました。

 これが1998年のゴータ展覧会の図録です。

 日本のものと思われる蒔絵の十種香箱や見台が載っています。
 それに、今回展示している画帖のものとよく似た絵も載っているのです。ただ、その絵には出典等は記載されていませんでした。どこか全く別なところのものが転載されているのかもしれません。

 その図録には、美人画のような絵や武者絵のような日本画が載っていました。

 その絵はよく見ると、例えば鏡台の展示物の横に、化粧をしている芸者のような美人画の浮世絵が、「槍」の展示物のそばに、槍を構えて馬にまたがった武者絵が、 また、糸などをいれる箪笥の展示物の横に「組み紐をしている女性」の絵が載せられているのでした。

 つまり、城に残っている日本の「鏡台」の写真を載せるとともに、何となく、そのような鏡台の前で化粧をしているような美人の浮世絵を載せる。
 この絵はどうも、展示物そのものではなく、鏡台や、槍、箪笥などについてヨーロッパの人間にイメージを持たせる、いわば雰囲気づくりの挿絵のような扱いで載せられているようなのでした。

 

 私は、冒頭で申しましたとおり、漆器が専門で絵の方は専門ではありません。ただ、今回、山下とともに、明治天皇がオーストリア皇帝に贈った画帖を見させていただくことができました。

 それで気付いたのですが、その今回京博で展示しているオーストリア皇帝に贈った絵と、イギリス王子の遺品の図録に載っている絵が、よく似ているのです。

(今回展示している画帖の美人画、槍を持った武者絵、組み紐をしている女性の絵と、ゴータ公遺品の展覧会図録の絵を順に表示)

 美人画は・・・・・・・かなり雰囲気が似ていますね。武者絵は・・・・・・構図など絵としてはあまり似ていませんが、コンセプトは共通しています。

 で、圧巻は、この組み紐をしている女性でして(と、先生は両者を重ね合わせて表示した)

 ほら、この通り、ほとんど重なり合ってしまうのです。へへへ、もう1回やってみますね。ふふ、これ時間かかったんですよぉ(と、自慢げなとこが実に可愛い)

 私は、ゴータ・フリーデンシュタイン城美術館の学芸員とは、以前から親しくなっていたので、メールで「○○君、図録に載っている日本画、出典が示されていないんだけど、そちらに所蔵されている画帖の絵じゃないかと思うんだ。そちらのお城の所蔵品じゃない?もし、日本からの画帖があったら、写真を送ってくれない?」と問い合わせたんです。

 すると・・・・・・・・・・ゴータ城からメールが返ってきたんです。

 


8.ゴータ遺品の画帖とイギリス王子に贈った画帖

 ゴータに遺されていた画帖は、バラバラでボロボロでした。

(右写真はゴータの画帖)

 まあ、挿絵扱いにされていたくらいですから。

 「十様観」というタイトルで、「壱」は狩野董川の絵でした。

 二は雪斎だろうと思われますが、ゴータには現存していません。

 「参」は、雪菴です。

 四は楓湖。五は大和絵。

 六は男女商人を描いており、七は国周らの職人の絵。

 ゴータの画帖は保存状態は悪いのですが、オーストリアの画帖と違い、題箋が残っているのです。

 例えば第七帖の題箋には「これも先と同じく浮世絵風。くさぐさの技をし・・・・・職人尽くしの絵といえり」なんて説明書きがついています。

 観八は、農業を描き、九は名所図です。

 十は裏表紙しか残っていません。いま、十と申し上げましたが、やはり現存していないニの裏表紙である可能性もあります。


 さて、イギリス王子に贈った画帖については、どのような絵を選ぶか、外交文書には企画段階の案と、贈答用のリストの両方が残っています。

 

イギリス王子用 明治2年5月 企画時

イギリス王子用 明治2年10月 贈答品
一  狩野董川 公卿百官武家其外之図 董川 貴賤風俗  
ニ〜五 浮世繪師國貞外二人筆 百工并農桑茶摘東京其外銘所之景 國貞 國順 男女商人汐汲  
國貞 國周 男女職人
國貞 國久等 農業こかひ茶つミ嶋原  
廣重 名所
六七 雪斎
雪菴
草木其外生類寫眞圖 雪斎 花鳥
雪菴 花鳥  
楓湖 日本古代から近世迄甲冑并武器を携居候武人之圖 楓湖 錦仙等 武者
容斎并同人共門人 日本名将其外典故に有之圖尤禽獣蟲魚等あひしらひ候圖に限り為認候積り 楓湖 錦仙等 大和繪
浮世繪師芳富 西洋寫眞畫風之模擬之あぶら畫體ニ認候日本風俗之人物男女老少取交へ 芳富 寫眞  

 ただ、贈答用リストの方には「草稿」という文字があり、「これが最終的な決定案なのかどうかは、現在ではよく分からないのだが、とりあえず資料として保存しておく」といった意味の注意書きが添えられています。

 しかしながら、この贈答用リストは、ゴータの城に残っている、実際にエディンバラ公アルフレッドが持ち帰った画帖と照合するとほぼ一致していますから、決定案だったということが判明しました。

 第十帖の「西洋寫眞畫風之模擬之あぶら畫體ニ認候」というのは、写真という言葉から日本人が想像して描いた油絵風の様式の絵といった意味です。

 

(石野註)
 左写真は、今回展示されているオーストリア皇帝に贈呈された画帖。
 二分冊となっており、それぞれ黒塗りの深い木箱の中に保存されていた。

 左写真の左側の画帖は、その箱の「蓋」の上に乗せて撮った写真と思われる。

 また、この画帖の作者は狩野永悳住吉廣賢服部雪斎松本楓湖歌川広重(三代目)、豊原国周の6名。

 先生が上記資料にマークしているのは、特に説明はなかったが、作者やテーマで、今回展示分と共通しているものをピックアップしたのだろうと思う。
 これを見るとイギリス王子に贈ったものの方が網羅的で量も多かったと分かる。

 


 お疲れ様でした。もう少し続きます。

 
 
  

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