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(No151) 京都国立博物館 特別展「THE ハプスブルク」関連土曜講座 「明治天皇からの贈り物 画帖と蒔絵と金魚鉢」聴講記 その2 平成22年1月23日(土)に、上記講座を聴きに行った時のメモの続き。
講師:永島明子(めいこ)氏 京都国立博物館 学芸部工芸室 主任研究員
4.オーストリア・ハンガリー二重帝国との贈答
現在では外務省の外交文書などもネットで公開されています。
また、オーストリア皇帝から明治天皇あての贈り物の記録も残っています。
資料に墺太利琴とありますが、これはピアノのことです。
それで、日本でも国旗のほかに、王室の旗を決めなくちゃいけないというので、その旗のデザイン図を描いて考えていたようです。 私は、こうした騒ぎは、きっとオーストリアからの客を迎えるためになされたものなのかと思っていたのですが、どうもそうではないということが分かってきました。
5.イギリス王子の来日準備 実はオーストリア公使よりも先にイギリスの王子が日本を訪れていたんです。 明治天皇が京都から東京へうつられたのが明治2年3月28日。 幕末、明治維新の動乱期に、イギリスだけは日本に公使館を開いていました。 明治政府は必死で王子を迎える準備をしました。何せ、まだ日本中には攘夷主義の人間がごろごろいた時代です。
5月8日の記事では、舞楽で迎えることを計画したが、あまりに予算がかかるということで却下されたと載っています。 また、5月12日には浜離宮の改装計画が載っています。 さらに5月18日の記事で、王子と接見するのに吹上御所の瀧見茶屋を予定したことが分かります。外国人の王子に畳はつらいだろうと、椅子を用意する。その腰掛の設計図面なども載っています。 ところが、このようにいろいろ準備を進めていたというのに、6月21日、イギリス公使のパークスが瀧見茶屋は狭いからイヤだと言って断ってきたようです。 パークスは、この時「自分も広間ではなく、上段に座らせろ」とクレームをつけたようですが、明治政府は断ったようです。
6.イギリス王子の接待 当時、多数の外国人が来日していましたが、総出で礼服に着替えて出迎え、日本に寄港していた外国船も一斉に礼砲をぶっ放したので、大騒動になったそうです。 厳戒体制の中、浜離宮へ。贈答品のやり取りをした後、いったん宿舎に戻りましたが、すぐに鷹狩り、舞踏会。 翌日は和歌山藩の藩邸で能狂言。日本料理の大宴会。 延遼館では相撲の上覧。夜は花火を打ち上げたり、雅楽を演奏したり。 蹴鞠を見せたり、日本古来の曲芸、そして魚釣り。これは神道の方の行事で、魚を放してから捕まえたり・・・・という行事のようです。 また、夜には即興で絵を描いてみせたり、これは河鍋暁斎などが得意としているものですが、ともかく盛り沢山なメニューで王子をもてなしたようです。
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