移動メニューにジャンプ

(No143) 正倉院学術シンポジウム2009「皇室と正倉院宝物」 聴講記 その1

 平成21年10月31日(土)に、上記シンポジウムを聴きに行った時のメモ。

 
 

 


第1部 研究発表

「奈良朝の宮廷生活」 奈良国立博物館研究員 清水 健

はじめに

 衣食住を文字資料から再現するのは難しいのですが、実は平安時代などより1250年前の天平時代の方がかえって予想しやすいのです。
 それは正倉院宝物のおかげです。

【 一 「献物帳」を読む ・・・ 献納された品々、そして願意 】

 献物帳の中で一番有名なのは、756年、天平勝宝八歳の6月21日の聖武天皇七七忌に光明皇太后聖武太上天皇遺愛の品々を大仏に献納した際の『国家珍宝帳』ですが、これには願文があります。

 749年に阿倍内親王が即位して孝謙天皇となっているので、752年の大仏開眼会や、756年の崩御の段階では太上天皇と皇太后なのだが、適当に天皇や皇后と書くこともあるのでご容赦いただきたい。

 
 
願意は、聖武天皇の慰霊です。遺愛の品を副葬品とせず、寺に納めたのは後世に伝えたいという意志があったと思われます。

 『種々薬帳』の末尾に、作善を示す文章が書かれています。

 『屏風花氈等帳』には願文はありません。

 『大小王真跡帳』には、これは聖武天皇の愛玩していたものであるといった文章があります。
 既に「書」を芸術視していたことが分かりますし、作善功徳の思想がうかがえます。

 『藤原公真跡屏風帳』は、藤原不比等の真跡の屏風を納めた時のものですが、「妾之珍財」とあります。
 これは、光明皇后自身の観点が強く出ています。 

【 ニ 『国家珍宝帳』の記載順 ・・・ 天平人のコスモロジー  】

 『国家珍宝帳』の記載順はこれまでも注目され、重要な順に並んでいるとか、日本、中国、朝鮮の順といった説もあります。

 北啓太氏は、身にまとうもの、身辺にあるもの、天皇の近くにあり手に取るもの、近くだが置かれているもの・・・・・といった順だという説で傾聴すべきと思います。

 私見ですが、第一に袈裟というのは法具として巻頭に挙げられたと考えられます。
 後に武器・武具が挙げられています。精神性の高いものから・・・という分類もできるのではないでしょうか。 

【 三 現存する多様な生活用具 ・・・ 機能性、国際性、模倣性 】

 今回出展されている

5 御書箱(おんしょ の はこ) 北倉

 は、4巻(注 出展されている『楽毅論』や、聖武天皇の『雑集』など)を納める箱ですが、簡素、質実なものです。

 平成17年に出陳された袈裟箱も黒一色です。

 遺愛の品々が納められた
赤漆文欟木御厨子(せきしつ ぶんかんぼく の おんずし)も機能性を重視したものです。

 今回出陳されている献物箱には華美な装飾が施されたものがありますが、収納洋品や生活用品は質実であると言えます。

 これも今回出陳されている花氈は、モンゴルあたりで作られたものです。
 
琵琶には、遊牧民族の狩猟風景が描かれたものもあります。

 黒柿蘇芳染金銀山水絵箱は、黒柿を蘇芳で染めて紫檀を模倣したもので、当時最高級の技術といえます。

 今回出展されている

50 粉地金銀絵八角几(ふんじきんぎんえのはっかくき) 中倉

 は、華足がつき、金属器を模したものといえます。

 また、平成16年に出陳された螺鈿楓琵琶は、蘇芳染の楓材が用いられていますが、ヤコウガイでなくアワビが使用されており、日本で模倣して作成されたことが分かります。

【 四 奈良朝の宮廷生活 ・・・ むすびにかえて 】 

(画像を表示して)
 これは奈良時代の貴族の邸宅内の様子を再現したものです。

 床に花氈を敷き、棚があり、主人の席の後ろには戒めの書が掛けられています。
 寝るのはベッド(御床)です。

 椅子や机にはクロスが敷かれて、瑠璃の瓶などが置かれています。

 もちろん、実際にこれだけの品々が室内にすべて置かれていたかどうかは分かりませんが、正倉院に伝えられている品からみると可能性はあります。

 冒頭で、「原稿を読みますので、お聞き苦しいかも・・・」と言われたが、実際に棒読みで、申し訳ないが人に聴かせるということを意識されたものじゃないなと思った。

 


  


 お疲れ様でした。

 いつものことですが、録音などをしておりませんので記録違い、記憶違いはご容赦ください。

 
  

inserted by FC2 system