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(No132) 大阪市立東洋陶磁美術館 企画展「酒器に酔う 東アジアの酒文化」同時開催 平常展 鑑賞記 その2

 平成20年12月23日(火)に、標記企画展を観に行った。その際、同時開催されていた平常展を、ボランティアガイドの方の案内で見せていただいた・・・・・の続き。

 
 


 ここまでは高麗時代の韓国陶磁で、ここからは、朝鮮時代の韓国陶磁です。
 高麗は仏教と貴族の時代。それに対して朝鮮は儒教と武士の時代といえるでしょう。

 陶磁器は高麗時代の青磁から、朝鮮時代は白が基調となってきます。

 朝鮮時代の韓国陶磁器を日本では三島とか刷毛目といった名で呼ぶことがあります。

 粉引という技法があります。これは、陶磁器を釉の中にドボン!とつけるものですが、一見簡単なようで難しい技法です。

(図録による解説)
 1392年から始まり、1910年に終る長大な朝鮮王朝の歴史の中で、前期を代表するのが粉青である。
 これは「粉粧灰青沙器(ふんしょうかいせいさき)」の略称であり、日本では俗に三島と総称し、時に三島と刷毛目とに分ける場合もある。

 鉄分を含む灰鼠色の胎土で成形し、青磁釉に似た釉薬をかけて高火度で焼成している点は高麗青磁の技法を伝承している。
 高麗青磁と一線を劃しているのは、釉下に白泥による化粧がけをほどこし、さまざまな手法で文様をあらわしている点である。

 粉青を施文方法で分類すると、
(1) 象嵌(線象嵌・面象嵌・逆象嵌)
(2) 印花
(3) 白地(刷毛目・掻落・線刻・鉄絵)
(4) 粉引

 


安宅コレクション 韓国陶磁・朝鮮

粉青沙器 白地掻落鉄彩 龍文 梅瓶(ふんせいさき しろじかきおとしてっさい りゅうもん めいぴん) 朝鮮・15C前半 粉青掻落 牡丹唐草文 梅瓶 朝鮮・15C前半
(Yさんの解説)
 先ほど梅瓶は、時代が下る(新しくなる)ほどカーブがきつくなると申し上げました。
 この朝鮮時代の梅瓶を見ていただくと先ほどの高麗時代の梅瓶よりも肩が張ってきつい曲線を描いており、不安定な感じを与えます。
(Yさんの解説)

 この壺は、下の部分と肩の部分の2箇所、線が入っています。
 下の部分の線
(石野注 柳の木の根元あたりの横線)は水平になっています。
 これは轆轤で回しながらヘラか何かを押し付けてこのような線を刻んだのでしょう。
 勢いよく回っているなら、このような水平の線を刻むことは比較的簡単です。

 次に肩のところの斜めの線をご覧下さい。
 この線は斜めになっていますが、ぴったりと刻み始めと刻み終わりが合っていて、線が食い違っていません。
 これは簡単なようで、実はなかなか難しく、この壺の作者が高い技能を有していたことがわかります。

 この柳の絵も、稚拙なようで、なかなか味わいのある文様だと思います。 

粉青沙器 白地線刻 柳文 長壺(ふんせいさき しろじせんこく りゅうもん ちょうこ) 朝鮮 15C後半〜16C初
粉青鉄絵 花鳥文 長壺(ふんせいてつえ かちょうもん ちょうこ) 朝鮮・15〜16C 安宅昭弥氏寄贈
(Yさんの解説)

 この壺の下の方をご覧下さい。焼く時にふくれてしまっていびつな形になっています。普通、このようになってしまうと毀してしまうものですが、平気で使っている。
 また、日本の茶人は、こうしたところに風情を感じるのです。
 

黒釉 扁壺 朝鮮・15C 飴釉 角瓶 朝鮮・17〜18C
(Yさんの解説)

 この角瓶は、円筒形につくったものを大胆に切り落として角形にしています。
 非常にシャープな造形で、薄いところは本当に肉厚が薄くなっています。
(Yさんの解説)

  辰砂(しんしゃ)は銅で赤を発色するのですが、ところどころ緑の色合いになっている点が味わいに富んでいます。

 安宅コレクションは経営危機により住友グループに管理権が移りました。よって、本館のほとんどの館蔵品は住友グループ寄贈となっていますが、この壺は安宅英一氏の一番のお気に入りで、最後まで私有されていました。ですから、この壺は安宅英一氏の寄贈という形になっているのです。 

 
青花 虎鵲文 壺(せいか とらかかさぎもん 又は こじゃくもん つぼ) 朝鮮・18C後半 h:44.1
(Yさんの解説)

 猫みたいなユーモラスな虎です。コバルトは貴重品なので、薄めに使われています。
青花 辰砂 牡丹文 瓶 朝鮮・19C後半 安宅昭弥氏寄贈


(石野注)
 以前「ギャラリーフェイク」という漫画で、李朝の陶磁器を集めていた韓国人が、同胞から「あんなものは邪道だ。端正な高麗青磁こそ正統な美だ」と吹き込まれる・・・・・というような話があって少し興味を持ち、『李朝のやきもの』(著:小松正衛。保育社カラーブックス)を買った。(その時の書評はここから)

 同著の「はじめに」では「李朝とは、朝鮮半島における李氏朝鮮の時代(1392〜1910)のことである。
〜李朝のやきものを日本人ほど心から愛している民族は他に例がない。欧米人は中国や高麗青磁の美には感心するが、李朝の陶磁器を美しいとは思いおよばないのである。
 東洋陶磁の源流は、もちろん古代中国である。それは端正で厳格で、間然するところなく美麗である。対して李朝の陶磁は、温和、素朴、稚拙、天衣無縫、天真爛漫、青天白日などの形容詞が相応しい、まことに屈託のない放胆な美しさである」としている。

 この点は、今回のボランティアガイドのYさんも「中国の陶磁器は、皇帝に捧げるものですから、間違いがあると首を斬られてしまいますので完全が求められます。しかし、韓国陶磁は不完全さがあっても許され、そうしたところが日本の茶人の好みに合いました」などと表現されていた。

 また、同著では「李朝初期の陶磁に三島手と呼ばれる陶器または半磁器の一群がある。朝鮮ではこれを粉青沙器と呼んでいる。粉粧灰青沙器の略であろう。
 一言でいえば、鼠色の器胎に白土の化粧掛けをして、それに文様をつけたもの」として、技法を三つに分類している。

1.印花→器胎に細かく印刻し、それに白泥を刷毛で塗り、後で布のようなもので拭きとると、印刻した目に白泥が残って文様をなす手法
1−(1) 暦手      印花で、その文様の形が九星暦に似ているもの
1−(2) 花三島     桜花文様のあるもの
1−(3) 渦三島     茶碗などで見込みに渦の文様のあるもの
1−(4) 檜垣三島   檜垣文様のようなものがついているもの

2.彫三島→器胎に刷毛で白泥を塗り、それに文様を彫りつけるか、文様以外の部分を削り取って文様の部分を浮き上がらせる手法。印花などより大きな文様であり、手彫りである。

3.刷毛目→鼠色の器胎に刷毛で白泥を塗り化粧する。刷毛目のままの場合もあるし、その上に鉄絵具で草花文などの文様を描く場合もあり、その場合は絵三島ともいう。 

 上記で書いた大阪市立東洋陶磁美術館HPにおける分類方法(象嵌、印花、白地、粉引)との違いについては、よく分からない。HPのそれの方が正しいような気がするのだが。

 なお、三島手と呼ぶ理由について同著では、三つの説を挙げている。
1.細かな印花文が、伊豆の三島神社で発行している暦に似ていたから。
2.これらの陶磁は今の巨文(こむん)島(石野注 朝鮮半島南部沿岸沖にあるらしい)から輸出されていたが、そこが当時、三島と呼ばれていた。
3.日本の各地にある三島神社は朝鮮の神様を神体としており、すなわち三島とは朝鮮と同義であった。

 なお、同著では、どれが正しいかは断言できないが、1が有力としている。


  


 どうもお疲れ様でした。

 
  

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