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(No125) 奈良国立博物館 「第60回正倉院展」公開講座 「正倉院宝物とシルクロード」 聴講記 その2

 平成20年11月8日(土)に、奈良国立博物館工芸考古室長 内藤栄 氏の講演を聴きに行った・・・・の続き。
 


「正倉院宝物とシルクロード」 内藤栄



  今日のお話は3部構成となっています。

1.文献からわかること
 『冊府元亀』外臣部というテキストを使用します。
 「外臣」というのがミソでして、中華思想の中国からみると、外国は家来ということになります。
 唐に集まった各国の朝貢品のリストを考察します。

2.宝物からわかること
 いくつかの宝物そのものからわかることを考察します。

3.天蓋の起源について
 天蓋は一般にインドが起源とされますが、インド起源とササン朝ペルシア起源の二系統あるのではないかという仮説を提唱します。


1.文献からわかること

 『冊府元亀』のうち、日本に縁の深い玄宗皇帝前後のものをピックアップしました。
 また、各国の朝貢品でも正倉院に関係のないものは省いています。

(1) 香・薬

(スライド)これが、今年出展されている全浅香です。
 これは、沈香と呼ばれる香木の一種で、黄熟香(蘭奢待:らんじゃたい)と並んで有名な香木です。

 こちらのHPで、資料や画像など詳しく紹介しておられる。

 林邑(りんゆう。ベトナム東南部からタイ東部)から、沈香、黒沈香が朝貢されたという記事があります。

 罽賓国
(けいひんこく。アフガン東北)からは蕃薬が朝貢されました。
 大食
(アラビア人)は龍脳香。
 饒楽府奚
(ぎょうらくふけい?じょうらくふけい?)から麝香(じゃこう)が朝貢されたという記事があります。饒楽府奚というのは、河北省に同じ地名があるのですが、河北省から長安に朝貢に来る訳がないので、結局どこかよく分かりません。

 法隆寺献納宝物にも香木(沈香)が含まれています。この香木にはソグド文字が書かれています。ソグド文字は現在のウズベキスタンあたりで使われていた文字ですが、その辺で香木が産したとは考えにくく、中継貿易によるものと考えられます。




(2) 花氈・色氈

 花氈
(かせん)というのは、羊や山羊の毛を液につけて固めて成型したものです。
 ですから、羊や山羊の毛を糸にして織って作った織物の絨毯
(じゅうたん)とは外見は似ていますが、製法は全く違います。

 文様は中国的なものが使われていますが、イランと中国の融合も感じられます。

(スライド) この花氈をご覧下さい。花の模様の間にいわゆる唐子(からこ)が表されています。
 その唐子の左手をよく観ると、ホッケーかポロに使うスティックのようなものを持っています。

 『冊府元亀』には于闐国
(うてんこく。天山南路のホータン)から打毬馬2匹ほかが朝貢されたという記事があります。打毬馬とはポロ用の馬でしょう。

 ポロというのは、羊を奪い合うのが起源だとも言われています。

 wiki では、アフガニスタンの国技であるブズカシは、2組の騎馬隊が山羊を奪い合う競技で、昔は生きた山羊を引きずり回していた(ブズカシとは、そのものズバリでペルシア語で「山羊を引きずる」という意味らしい)が、今では山羊の皮に砂を詰めたものを奪い合うと書いてある。

 内藤先生がおっしゃるような羊を奪い合う競技、しかも羊の頭を奪い合うか何かで、ずいぶんとエグイ競技だなぁと、ある文章を読んで思った記憶があるのだが、どこでそれを読んだのか思い出せない。

 いずれにしても、ポロは中国オリジナルのスポーツではありません。

 内藤先生が紹介されたのが左写真の花氈

 拡大してよけいわかりづらくなったが、唐子は、左手にポロスティックを持っている。

 馬に乗っていないからホッケーのスティックと見るべきかもしれない。

 康国(サマルカンド)で毛錦、米国(サマルカンドの東南)で拓壁舞筵という記事があります。
 突厥
(モンゴルから西トルキスタンの遊牧民族)から波斯(ペルシア)錦、獅子国(スリランカ)から白氈(はくせん)という記事もあります。


(3) 象

 林邑から「馴象」
(なれぞう)という記事があります。家畜化された象が生きたまま朝貢されたのでしょう。
 ペルシアからも象が朝貢されたという記事があります。ペルシアで象が産したとは思われないので、これは中継貿易によるものでしょう。

 『新唐書』天竺伝では南天竺から象、象牙が朝貢されたという記事があります。南インドなら象もいたでしょう。

 象牙は工芸品の材料にもされました。非常に有名な宝物紅牙撥鏤尺も象牙製です。

 材料としてではなく、象牙そのものが珍しいということで、そのまま宝物となっている例もあります。牙の形のまま残されており、半ば化石化しています。



(4) 犀

 犀(サイ)の角というのは面白くて、あれは毛が変化したものなんです。

 この講演の前に念のために天王寺の動物園の方に確認したら「間違いない」と言ってもらったので安心してお話できます。

(スライド)斑犀把白銀葛形鞘珠玉荘刀子(さいかくのつかしろがねかずらがたのさやしゅぎょくかざりのとうす。中倉。このHPに画像あり)です。
 柄に犀角を使っています。犀角は毛なので手触りがザラザラして滑り止めになって良いのです。これが象牙なら滑って危ないでしょう。

(スライド)これは今年出展された犀角魚形です。

(スライド)これは斑犀如意(はんさいのにょい)です。この孫の手のような宝物は約60cmの長さです。自然には60cmもの長さの犀の角はありません。

 これは犀の角が毛であるという性質をいかして、切込みを入れ、それを下に押し広げて伸ばし、こうした長さに加工しています。

 
 如意の画像は、奈良博HPで。

 犀の角を切り開いて伸ばすという表現が文章ではうまく伝えられず申し訳ない。
 変な例えだが、韓国焼肉で骨付きカルビを骨の両側から包丁を入れ、骨を真ん中にして長い肉に開く・・・・なんてことをして焼くがそんな切り開かれた骨付きカルビを連想した。 

 先日、イラン大使に「ペルシアに犀はいたのですか?」と訊いたのですが、「いました」との答えでした。


(5) 鸚鵡

 鸚鵡
(オーム)は、実際に羽根で工芸品をつくるのではなく、あくまで文様の世界で用いられたということです。

(スライド)螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん。画像はここでも)です。阮咸とは琵琶の一種です。

(スライド)花鳥背八角鏡(かちょうはいのはっかくきょう)です。

 阮咸では文様に瓔珞(ようらく。首飾り)を銜えた鸚鵡が用いられている。
 八角鏡では、「花形の円鈕(えんちゅう)を挟んで、葡萄(ぶどう)の枝を銜(くわ)え頸(くび)から綬帯(じゅたい)をなびかせた二羽の鸚鵡(おうむ)が対向して旋回(せんかい)する、迫力ある構図が鏡背(きょうはい)一杯に鋳出(いだ)されている」とHPの解説文にある。

 吐火羅(トカラ。中央アジア イラン系民族)や、拂誓国(ふっせいこく?インド内?)という記事があります。



(6) 羊

(スライド)これは羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)です。銘文に日本語が記載されており(石野注 同HPの解説にも、「画面の下端に調絁の銘の一部とみられる「天平勝宝三年十月」(751年)の墨書(ぼくしょ)があり、本品が我が国で制作されたことがわかる」とある。)日本製とわかります。
 このような(角が渦を巻いた)羊がいるか?とイランに行った時訊いたところ、「いる」と答えられました。こんなに角が巻いてたら山羊じゃないかとも思うのですが。 

 吐火羅や吐蕃(チベット)の記事がありますが、朝貢品としての数は少ないようです。これは、当時既に中国では羊が珍しくなかった。つまり陳腐化して朝貢品としての重要性に乏しかったということかもしれません。 



(7) 瑪瑙(めのう)

 康国
(サマルカンド)や渤海(中国東北部)など。

 


(8) 瑠璃

 『太平御覧』には、「『魏略』に、大秦国(ローマ帝国)から赤や白、黒など十種の色ガラスが伝わったとある」とか「『魏書』に、天竺商人が長安まで五色の色ガラスを売りに来た。今では誰も珍しいと思わなくなったとある」などの記事があります。
 
 吐火羅やウズベキスタンという記事があります。




(9) 楽舞

 資料には、倶密国が胡旋女子を朝貢したなどとある。また、日本の「舞女11人」という記事もあるようである。

 

 


(10) 葡萄酒

 康国という記事があります。ただ、『冊府元亀』には、あまり記載がありません。

 いずれにせよ唐の時代の中国人は白瑠璃のカットグラスの杯で葡萄酒を飲んでいたことは間違いありません。




 まだまだ続くが、ここでいったん切る。

 いつものことですが、メモ間違い、記憶間違いはご容赦ください。

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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