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(No124) 奈良国立博物館 「第60回正倉院展」公開講座 「正倉院宝物とシルクロード」 聴講記 その1 「正倉院宝物とシルクロード」 内藤栄
今回、第60回目で記念誌が発刊されたのですが、それを見ていて私の本日の講演と同じテーマが過去の記念講演にあることを発見しました。 また、昭和42年には、当時の西村奈良国立博物館学芸課長が「シルクロードと正倉院宝物」という、前後入れ替わっただけで同じテーマの講演をしております。 さて、皆さんに白瑠璃碗がササン朝ペルシアからのものと申し上げても驚かれないと思います。 それは一つ目には戦争で疲れた国民を癒すため。 つまり、日本にはこんな素晴らしい宝物があるということで誇りを取り戻そうということです。
このことが如実に表れているのが、目録の白瑠璃碗の解説文です。三行ほどの短い解説文ですが、そこに「外見は、はなはだ今のカットグラスに似る」という一節があります。 どちらかというと、薩摩切子のイメージでとらえられていました。ササン朝ペルシアのイメージはありません。そこまで遡っては考えられていなかったのです。 どうもこの碗は盗掘品だったようなんですが、教授は出てきた場所がアムラッシュという場所であるとつきとめました。
さらに教授は、実際の出土がデーラマーンであることもつきとめ、そこへ行きました。 これで白瑠璃瓶なども含め、ササン朝ペルシアのものであるとわかってきました。 正倉院展側もこれに機敏に反応し、それからササン朝ペルシアを意識した展覧会が2、3回続きました。
この頃からシルクロードがクローズアップされてきました。 今日来られている皆さんは年齢層が様々ですが、50代、60代の方はこうしたシルクロードブームをリアルタイムで経験しておられる素晴らしい年代なんですね。 ところが、今の高校生はシルクロードに興味を示さないんですね。怖い、と言うんです。何故?と訊くと「あの辺は、危ないでしょ」って言うんですね。まんざら当たってないこともない。
「奈良はシルクロードの終着駅」ということを、いつ頃からかわかりませんが、誰かが言い出しました。 シルクロードはやはり、東は長安、西はローマなんですね。 あと、日本人は「(4) 遣唐使の道」を付け加えたがっているのです。しかし、それはシルクロード交易で長安に集まった品々を遣唐使が選んで日本へ持ち帰っただけです。
<参考>
下の地図は、wikiの地図。特に海岸伝いの「海の道」をご参照いただきたい。 下の地図は『新シルクロード』(NHK出版)の衛星写真MAP。
まだまだ続くが、ここでいったん切る。 いつものことですが、メモ間違い、記憶間違いはご容赦ください。
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