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(No112) 京都国立博物館 特別展覧会「狩野永徳」 鑑賞記 その2

 2007年10月16日(火)〜11月18日(日)、京都国立博物館にて開催された特別展覧会「狩野永徳」の鑑賞記・・・・の続き。


2 永徳と扇面画

【 30  二十四孝図扇面流し屏風 州信印 】

 8の「二十四孝屏風」では、十二の場が描かれていた。

 二十四孝で、8の屏風に描かれているのは
(1) 虞舜帝
 舜は、父母弟は心の曲がった人物であったが、ひたすら孝養を尽くした。舜が田を耕していると象が現れ、これを手伝った。

(2) 黄香
 黄香は母を亡くしたが、残された父に、夏は枕を扇であおいで冷やし、冬は布団を自分の身体で暖め孝を尽くした。

(3) 閔損
 閔損(孔子の弟子の閔子騫)は、実の母を亡くし、継母は実子二人ばかり可愛がった。冬に粗末な着物しか与えられず震えていた閔損を見て父は継母を離縁しようとしたが、閔損は私一人が寒い思いをしていれば、実子二人は辛い目にあわなくて済むからどうぞ離縁しないでくれと頼んだ。 

(4) 三田分樹
 田眞、田廑、田慶の三兄弟は親の死後財産を三等分したが、大きく繁った木も三等分しようと切ろうとしたが、枯れたので切らずにおいた。

(5) 郭巨
 郭巨は貧しかったが、母は孫に食事を分け与えてろくに食事を摂らなかった。郭巨は妻に「子はまた授かるが、親は授からない。この子がいては、母は餓死する」と言って、土中に埋めようとした。そして土を掘ったところ金の釜が出てきて、豊かになった。

(6) 孟宗
 孟宗の母は病気になって、いろいろな食べ物を欲しがった。冬に筍を所望された孟宗が雪を掘っていると筍があらわれた。

(7) 漢文帝
 漢の文帝(劉恒)は、母の薄太后に孝養を尽くし、食事は毒見した。

(8) 丁蘭
 丁蘭は母の死後木像を造り、生前と変わらぬ孝養を尽くした。

(9) 老莱
 内容は既述。

(10) 揚香
 父と山を歩いていた時に虎と遭遇した。父を食べずに私を食べろと懇願したところ、虎は去った。

(11) 姜詩
 姜詩の母は、常にきれいな川の水が飲みたい、魚が食べたいと望んだので、姜詩夫妻はいつも長い距離を歩いて水をくみ、魚をとっていた。ある日、家の近くに、きれいな川ができ、毎朝鯉が獲れた。

(12) 董永
 董永は幼い頃母を亡くし、残された父に孝養を尽くした。ある日父が死んだが葬式代がないので、身売りした金で葬式を出した。身請け主の所に行く途中、美女が「妻にしてください。身請け主には絹織物を渡して許されました」と告げた。その美女は天の織姫だった・・・・・・・の十二。

 そう言われると図案は、象がいたり、虎がいたり、それらしい絵柄である。ただ、(8)の丁蘭のが、木像かどうかわかりにくい。


 本作は「激しい水しぶきをあげる(※ 石野注 図録では「挙げる」とあるが、ひらがなで表記する)川面を扇が流れていくという、いわゆる扇流しの体裁を取るもので、一扇に三面ずつ(※ 石野注 「一曲に三面」とか「一曲に三扇」が正しいのではないか? )、総計三十六面もの扇面図が貼付されている。その内訳は二十四孝を画題とするものが二十面を数え〜残る十六面には花鳥、山水、走獣が描かれる」とある。

※ 石野11月25日再注 
 六曲一双の屏風で、その曲がる部分一つを右から順に一扇〜六扇というそうだ。
 で、一双というくらいなので、右側の屏風を右隻、左を左隻と呼ぶとのこと。
 つまり図録の「一扇に三面」という表現は正しいのである。知らないくせに偉そうな注を書くもんじゃない。自戒のため、修正せずに別注の形で明記しておく。



 ところで、残る二十四孝は、
(13) 陸績
 陸績は、六歳の時、袁術からおやつに蜜柑をもらった。持って帰ろうとして袖から蜜柑がこぼれたのを見咎められ「泥棒のような真似をする」と言われたが「あまり見事な蜜柑なので母に食べさせようと思いました」と答え、感心された。

(14) 剡子
 剡子(ぜんし)は、鹿の乳が年老いた両親の眼病の薬になると聞き、鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入った。危うく猟師に射られそうになったが、孝心のおかげで助かった。

(15) 蔡順
 王莽の頃、蔡順は盗賊に襲われた。その時蔡順は、採った桑の実を採り、熟していない物と熟した物に分けていた。理由を訊かれ、熟したものを母に与えるのですと答え、孝心にうたれた盗賊は殺して奪うどころか、米と肉を与えて去っていった。

(16) 呉猛
 呉猛は八歳だったが、家は貧しく蚊帳を買う金も無かった。呉猛は、親が蚊に刺されないように、自分が裸になって毎日毎日蚊に刺された。

(17) 張孝兄弟
 飢饉の年、張禮が木の実を拾いに行った時、盗賊に襲われ食われそうになった。張禮は年老いた母にまだ食事をさせていないので、少し時間をくれ。食事させたらまた戻ってくると言った。張禮は家で母に食事を与え戻ろうとしたが、兄の張孝がこれを知り、私の方が太っているから私を食べて弟を助けてくれと言い、弟も兄をかばった。非道な盗賊もこれにうたれ、殺さず、逆に多くの米と塩を与えた。

(18) 王裒
 王裒(おうほう)は、父王義が時の皇帝の怒りに触れて罪も無いのに亡くなったのでこれを恨み、座る時皇帝の居る方角には決して向かなかった。王裒は父の墓の傍らにあった柏の木にすがって泣き続けた為に、柏の木は枯れてしまった。母は生前雷を怖がったが、死後も雷が鳴ると王裒は母の墓に駆けつけた。

(19) 王祥
 王祥の母は、冬の極寒の際に魚が食べたいと言い、王祥は河に行ったが氷に覆われ魚はどこにも見えない。悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が二匹出て来たので、獲って帰って母に与えた。

(20) 黄庭堅
 山谷(さんこく)黄庭堅(こうていけん)は、宋代の詩人だが、自ら母の大小便の便器を取り、汚れている時は素手で洗った。

(21) 庾黔婁
 庾黔婁(ゆけんろう、ゆきんろう)は南斉の人。セン陵県の役人になっていたが、着任してすぐ胸騒ぎがしたので役人を辞めて家に帰ると、父は大病を患っていた。医師は、病人の便の味で病状がわかると言う。簡単な事だと言って舐めてみると、味が違ったので父の死を悟り、自分が身代わりになることを北斗七星に祈った。

(22) 朱壽昌
 朱壽昌(しゅじゅしょう)は、七歳の時に父母が蒸発した。ある時朱壽昌は、役人の職も妻子も捨て、自らの血でお経を書いて天に祈っていると、秦に母がいると告げられ、五十年ぶりに母に会う事が出来た。

(23) 曾参
 曾参(そうしん)が山に薪を取りに出かけ母が留守番をしている所に曾参の親友が訪ねて来た。母が“曾参、急いで帰って来てくれ”と、指を噛んで願ったところ、それが通じ、曾参は急に胸騒ぎがしてため急いで家に帰ってきた。

(24) 唐夫人
 唐夫人は、姑の長孫夫人に仕え、姑に歯が無いのでいつも乳を与え毎朝姑の髪を梳いて、その他様々な事で仕えた。

 以上、二十四である。

 「二十四孝」という落語では「何だって唐(もろこし)のババァは、あれが食いたい、これが食いたいと食い意地ばかり張ってやがんだ?」てなセリフがあるが、全く同感だなあ。


 で、本作の「二十四孝を画題とする二十面」とは、どれなんだろうか?

 8の屏風は賛文が付いていたのでよくわかったのだが、この扇面にはそれがない。仕方ないので自己流で絵解きをしてみたい。
  

内容
 男がお祈りみたいなことをしているのは分かる。これを、『三国志演義』で孔明が七星壇に祈ったことに見立てて、これは上記(21)の庾黔婁と判定する。
 老女の前で跪く男。後ろの戸の陰で誰かが覗き込んでいる。いかにも、既に家庭を築いている所に幼い頃生き別れた男が訪ねてきたので、家人が心配そうに見ているって感じ。で、(22)の朱壽昌と判定する。
 子供の足元に丸いものが三つほど見える。これを袖からこぼれた蜜柑とみて、樹下の大人が袁術、子供を陸績と見立てて(13)の陸績と判定する。
 これが分からない。跪く男。その前の人物は何やら木の枝のような、鞭のようなものを持っている。見ると男は顔を押さえているようにも見え、親に顔面を鞭打たれたのか?という感じ。
 他の判定を終えて再度考えてみる。釜掘りじゃないから(5)は×。川は見えないから(11)は×。鹿革をかぶってないから(14)も×。盗賊も兄弟も描かれてないから(17)も×。(18)は死後の孝行の話だから、これも×。・・・・・・・・・・あれ?もうないや。ギブアップです。
 これは簡単。枕を扇いでいるので、(2)の黄香である。8の屏風と共通。
 これも難しい。しかし、8の屏風における丁蘭と図柄が似ているので(8)の丁蘭と判定する。
 これは会場でも印象的だった。何せ絵柄が絵柄なんで。吸わせているのが老母で良かったね。舅だったらややこしい。
 結論として(24)の唐夫人と判定する。
 右の武器を持った連中は盗賊どもだろう。盗賊に襲われるのは(15)と(17)だが、(17)なら兄弟が描かれるだろう。
 男の前に籠が二つ描かれている。これは熟れた桑の実と、熟れてない桑の実の二種を入れ分けた籠とみて、(15)の蔡順と判定する。
 これも少し悩んだ。男が何か器のようなものを持っている。で、おまるを運んだ黄庭堅か、とも思ったが、おまるをお盆には載せないわな。
 母の両脇に侍女か何かが寄り添っている。貧乏人の家ではない。それも黄庭堅かな?と思った理由の一つでもあるのだが、8の屏風に似た図柄があった。
 よって、自ら毒見を済ませた食事を持ってきた場面とみて、(7)の漢文帝と判定する。
 これは虎がいるので迷わず、(10)の揚香と判定する。
 これも少し悩んだ。雪の積もったところで裸の男が寝転んでいて、その前に何か尖ったものが顔を出している。筍だとしたら、孟宗だ。しかし、確か雪っ原を掘って筍が出てくるのだが、裸になる必要はないよな。
 で、その尖ったものは筍じゃなくて、鯉の頭とみて(19)の王祥と判定する。

 

 

内容
 これは簡単。象がいるので悩まず、(1)の虞舜帝と判定する。
 これまた簡単。今回の展示会で頻出する(9)の老莱子と判定する。
 雲に乗って天女が昇天している。これは妻となった織姫が天に帰るところとみて、(12)の董永と判定する。8の屏風と共通しているので、間違いないだろう。横の子供は董永と天の織姫の間に出来た子供なんだろうか? 
 これも8の屏風と共通した画題なので、判断しやすい。子供連れで去ろうとする女性。父親に懇願している子供。ということで、(3)の閔損と判定する。
 これは鍬を持っているので郭巨か?とも思ったが、それなら妻と子供。そして掘り出された釜が描かれるだろう。
 それにどうも雪景色らしい。先ほどの雪原おやじを王祥としたので、これは(6)の孟宗と判定する。
 どこかに筍が顔を見せていると悩まないのだが。この男は何か持っているみたいなので、既に掘り出して帰るとこなのだろうか?
 これも少し悩んだ。帰ってきた男が振り分け荷物で持っているのは、どうも薪か柴のようである。
 そこで、(23)の曾参と判定する。
 これは似たような図柄が多くて非常に悩む。夫婦がいて、母に仕えている。妻の前に川が見えるので、(11)の姜詩だと最初は思った。
 しかしよく見ると水の流れは扇面に描かれているのではなく、この扇面が貼られている屏風自体に描かれたもの。となると、別物か?
 黄庭堅は妻も侍女もいたが、あえて自ら母の便器の世話をしたとのこと。妻と離れ、一人で母の前に立ち、何かやや小さめの洗面器みたいなものを持っているので(20)の黄庭堅と判定する。
 服をはだけたおやじが寝っ転がっている。これのどこが孝行か、とも思うが、まあ自分に蚊を誘っているとみて、(16)の呉猛と判定する。 
 これまた、8の屏風とも共通する画題なんで判断しやすい。樹の下に男が三人なので、(4)の三田分樹と判定する。





  

 まだ、続きます。どうもお疲れ様でした。

 
  

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