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(No01) 上方落語名人会鑑賞記(平成14年度)

  先日、家に送られてきたPR誌に上方落語名人会の優待券の案内が出ていた。当日3000円のところ、1800円になるらしい。演者に桂米朝の名前を見つけたので、申し込むことにした。
 最近、米朝師匠をたまにTVで見るが、衰えたなという感じは否めない。言葉は悪いが、今後、生きて動いている米朝をライブで観る機会が何度あるか?と考えたのである。(←ほんと失礼で、ごめんなさい)

 時は平成14年5月9日(木)午後6時30分開演。ところは、大阪桜橋サンケイホール。全席指定で当日券売り切れ、立ち見が出るほどの盛況ぶり。
 私の席は、と言うと1階H列35番。前から8番目というのはよいが、舞台向かって右端から2番目である。

 さて、緞帳が上がった。舞台中央に高座がしつらえてある。舞台右手に仕切りが立ててあり、演者はその陰から出入りする。仕切りの前には、演者の名前を記した、いわゆる「めくり」が立ててある。さて、いよいよ開演だ。


(1) 林家 染雀 「七度狐」

 大御所の揃ったこの舞台ではプレッシャーも大きかろう。少し声が上ずっているような気もするが、普段の声を知らないので、地声かもしれない。
 若い。たけし軍団の「なべやかん」みたいな顔。もう少し美化すれば、上方落語界の「氷川きよし」ってとこか。

 狐に化かされ、麦畑を川のつもりで裸になって渡るところで、そこそこの笑いを取る。

 次は古い尼寺に泊めてもらうことになる。夜中には「いろいろなもの」が出るが、本尊のお灯明さえ絶やさなければ大丈夫、と言い置いて庵主さんは出て行ってしまう。
 ろうそくが消えそうになり、あわてて油を足したが、うっかり醤油を注いでしまい、とうとう火が消えてしまう・・・というところで、「『七度狐』の半ばでございます」と引っ込んでしまった。

 時間の都合で仕方ないなと思うのだが、場内のおばちゃん方は拍子抜けしたのか、低い「え〜〜っ?」という疑問含みの嘆声が出ていた。


(2) 笑福亭 松喬 「牛ほめ」

 松喬って知らんなあ、と思って顔を見たら「何や、鶴三(かくざ)やん」と思った。(←今日のパンフを見たら、ちゃんと載っていた。しかし、昭和63年に早や松喬を襲名したそうだから、これは、知らない私が悪い)。

 「刷り込み」というか、どうしても最初に覚えた名前の方が印象深い。桂南光は、いつまでも「べかちゃん(桂べかこ)」だし、桂ざこばよりは「ウィークエンダーや、動物いじめの桂朝丸(ちょうまる)」。
 林家染丸
も、「はやしやそめじおっしょはん(林家染二お師匠さん)」。(染二は、鳴り物(三味線)が得意で、よく本業の落語ではなく、三味線伴奏でTVに出ることが多く、そんな時よく「師匠」と敬称をつけて呼ばれていた。)
 今回のトリの桂文枝大師匠ですら、つい小文枝と呼んでしまう。
 おっと、寄り道が長くなった。

 最初ちょっと「噛んだ」(言い間違って、わけわかんないこと言っちゃう) し、せりふを飛ばした。
 (「だ」という字を聞くところでA「『だ』って、どう書きます?」B「『た』に『にごり』やがな」A「『にごり』って、なんでんねん?」B「濁音。つまり『てんてん』やがな」となるべきところ、Aがいきなり(Bの説明も受けてないのに)「『にごり』って何でんねん」とやった。)

 しかし、それ以外は快調で、笑いの「量」としては、今日出演の6人のうちで最大だったと思う。
 思うに、声の質がいいのではないか。むろん、これは美声という意味ではない。いい具合に低く、ややかすれ気味な野太い声で、少しゆっくりめのテンポと相まって、ゆったりと安心して笑っていられる雰囲気を醸し出していた。
 高い声で、せかせかと慌ただしい、いわばつんのめって歩いているような染雀の高座の後なので、よけいそう感じたのかもしれないが。

 『らくごDE枝雀』(ちくま文庫)で桂枝雀が、演歌などでも有名な初代桂春團治の声を「いわゆる『大阪声』ちゅうんですか、決して美声やない、どっちか言うたら悪声やねんけど耳ざわりのええお声でねェ」と評していたが、ひょっとすると、その域まで達するかもしれない。

 


(3) 桂 春団治 「代書」

 冒頭で書いたように、舞台右手に仕切りが立ててあり、その後から演者が出入りする。つまり、舞台向かって左側の人ほど、袖から出てくる演者の姿が早く見える。よって、登場のシーンでは、自然と、左側の人がまず拍手をし、それに引きずられるように場内全体が拍手をするという構図になる。
 春団治登場で、例によって拍手をし始めたのだが、いつまでたっても姿が見えない。左側の人が拍手を始めたのだから、袖からは出ている筈なのだ。「えっ、ええ〜〜っ?どない、なってんねん?」
 そう思いつつ拍手を続けてると、ようやく出てきた。歩くのがよっぽど遅いのか、途中で止まったのか、巌流島の武蔵よろしく、観客をじらすテクニックなのか?

 「え〜、ようこそのお運びを・・・」 せりふがよく聞き取れない。駄目か、これは?そう思ったのだが、本編に入ると声はちゃんととおるようになった。

 履歴書を書いてもらいに来たアホな男と、いわばインテリである代書屋とのやり取りの噺だが、今回、代書屋は右を向いて、アホは左を向いて演じ分けていた。私は、客席右端にいたため、自然とアホの笑顔と向き合う格好になる。
小さくて、見えませんな  春団治師匠は、キャラとしては代書屋タイプなのであるが、アホを演じている時の顔が、パンフに載ったこの顔のように、目を細め、ほほ骨のあたりに、くっきりと描いたような深く太い笑いジワが3本ほど入り、実に「いい顔」であった。

 私は、一番多く聴いている落語家が桂枝雀なので、ついグローバルスタンダード(国際標準)ならぬ「枝雀スタンダード」になってしまう。つまり、枝雀の演じ方を基本に比べてしまうのである。(その点でも、冒頭の染雀は損をしている)

 枝雀の場合、代書屋がアホから訂正印を受け取る時、最初から怒っている。
 しかし、今回、春団治師匠は、最初の訂正印は、さして文句も言わず受け取り、「印肉がつまっているから、たまには掃除せよ」といういやみも言わずに返した。
 あれ?と思ったのだが、2回目からは引ったくるように奪い取り、3回目は、そのうえに、ぎゃっ!と噛みつくような素振りまでして見せた。
 演出としては、その方が自然かもしれない。

 それにしても、誰もが指摘することとは言いながら、本当に春団治師匠の高座は立ち居振舞いが端正である。

 高座にあがった時の、座布団に座って噺を始める時のおじぎは、両手を肩幅よりやや広めにして、指先を伸ばして礼をする。
 羽織を肩からするっ!と落とす時の粋さは定評通りである。
 そして、終わりのお辞儀は、両手を揃えるようにして礼をした。
 後ずさりするように高座をおりて、袖に引っ込む前に再度客席に一礼されたのも、今回の公演では春団治師匠だけであった。
 


(4) 桂 米朝 「抜け雀」

 はっきり言って、ちょっと心配していたのだが、足取りもしっかりしていたし、第一声も、春団治師匠と違ってはっきり通ったので安心した。(←何か心配しすぎで、非常に失礼やな)

 「大阪中のお方がみんなサンケイホールにお集まりのような盛況ぶりで〜」というギャグでつかみもOK!「司」という漢字を説明するのに魚屋の大将が「『同』じという字を二枚におろして、骨つきの方や」というのにも笑ったなあ。で、ちょっと珍しい「抜け雀」のネタに入る。

 あまり笑いの多いネタではない。汚い風体の男が宿をとり、早起きして飯を食い、近所を散歩。昼に五合の酒を飲んで昼寝をし、起き抜けに風呂に入って、晩飯で一升の酒を飲んで、ごろりと寝る。翌朝早くから起きだして〜の繰り返し。

 「あの身なりじゃ金を持ってない」とおかみさんに急き立てられ、聞いてみると案の定一文なし。宿代のかたに、屏風に雀を描いて、立ち去ってしまった。

 亭主が朝、屏風のある二階の部屋を掃除しに行くと、雀の声。障子を開け、朝陽が屏風に射しこむと、屏風の雀が飛んで出た。屏風は真っ白。絵に描いた雀が飛び出したと驚いた亭主がどだんどだんと階段を転げ落ち、雀という言葉もしゃべれず、二階を指差し「す〜、す〜、す〜」。
 そんなアホな、と信用しないおかみさんが、翌朝二階に行って、同じように落ちてきて「す〜、す〜、す〜」。ここくらいだろうか、場内爆笑は。

 噛んだのも五、六回くらいあったかな。高座降りる時、ちょっとぐらりとしたし。どうも心配です。

 さて、4人終えて、15分の仲入(途中休憩)。


(5) 露の五郎 「あみだ池」

 私にとっては、露の五郎といえば、バレ噺(好色噺)。まあ、大阪にわか(即興滑稽寸劇)も有名だが、どうも「すけべえのごろやん」という印象が拭えない。顔自体も、ぬらぬらといやらしい艶をもつ、スッポンのような・・・(←そこまで言わんでも)

 しかし、登場のところを見ると、上品に、扇子で裾の乱れを抑えつつ高座につくとこや、首のあたりが細くなって(「しわしわ」って感じもするのだが)すっきりとしたことも相まって、生意気ながら「あっ、露の五郎も、ええ具合に枯れてきたな」と感じた。

 「落語と申しますと、一方に我々同様とゆう、至って愚かしい者がおりまして、また、もう一方には、お客さま同様とゆう、大変に・・・」
 この辺で、扇子をもて遊びながら、ぼそぼそと、言いにくそうに口ごもり始める。

「・・ほんまのことゆうたら、落語てな商売、アホではできませんねん。いろいろ、覚えな、あかんこともあるし・・・そこいくと、客てなもん、入口で木戸銭(入場料)払うだけが仕事で、あとは口開けて笑ってたら、そんでええねんし・・・あんなん、ア・・・えへへへへ」
 そして、やにわに大きな声で改まって「ご来場、まことにありがとうございます!」と深々とおじぎをする。

 場内大爆笑。露の五郎、お得意の冒頭ギャグである。
 似たようなのでは、六代目笑福亭松鶴の「皆さん、松鶴は酒好きや、酒好きやとおっしゃいますが、そないようけ飲めるもんやおまへん。試しに、ここに、ええ酒の一升瓶でも置いて、おい!松鶴!お前、いっぺんどんだけ飲めるか、飲んでみい!そないおっしゃいましたところで、そうですなあ、まあせいざい、こないな盃で一杯か、ま、飲んだところで、ようやく二杯ほどしか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よう残さんほうでして」 

 噺の方は枯れてない。「二人転んで足六本」とか、その手のギャグが多いし。

 この噺は、アホが利口に「あみだ池に強盗が入って、その強盗に、誰が行けとゆうたんやと訊いたところ、へい、あみだが行けと言いました」とか、
「米屋に強盗が入り、米屋の首を掻き切って、横にあった糠の桶に入れよった。こんな話聞いたか?」
「聞かん」
「効かん筈や。糠に首(糠に釘)や」と、時事ネタでころりとだまされる。
 悔しくて自分も他人をだまそうとして失敗するという噺だが、アホがカモを見つけて声をかけるシーンなどでは、思わずびっくりして腰を少し浮かせてしまうぐらい、場内に響き渡る大音声(だいおんじょう)であった。元気やなあ。

 しかし、アホのあわてもの振り、もっともらしいことがいえない無知ぶりを表現するのに毎度毎度、
「大阪、大阪、大阪、あのね、あのね、あのねえ、へへ、えへへへへ・・・」 といった具合に、やたら、言葉をせかせかと繰り返し、最後わけがわからなくなって、笑いでごまかしてしまう、という演出なもので、最後の方になると何かうざいというか耳障りに感じてしまったのは私だけだろうか。



(6) 桂 文枝 「猫の忠信」

 文枝師匠は、小文枝時代に比べると、だいぶ首のあたりに肉がつき、あごがない感じになっている。

 今日の噺は、素人衆がお静さんという師匠について、浄瑠璃の稽古に通っている。
 ところが、ある日、みんながひそかに狙っていた師匠(「あわよくば、あの師匠と・・・」という下心で通っているので、そうゆう弟子連中のことを「あわよか連」というそうだ)が、弟子の一人の常吉と「ぬくい造り」をしていた。
 「ぬくい造り」とは「あったかい刺身」。つまり、常吉が師匠に刺身を口移しで食べさせているのだ。

 そんな様子を、稽古屋の障子の穴から覗いた稽古仲間の次郎吉、次の発表会の主役に常吉が選ばれたことに対する嫉妬心もあって、このことを悋気(りんき。焼きもち)がひどいと有名な常吉の女房に告げ口をする。

 文枝師匠は「女性描写にかけては、当代随一」と今日のパンフにもあった。
 女房のおとわさんは、つくろいものをしていた。
 次郎吉の話を聞きながらも手を休めない。膝の上で、てぬぐいを何重にも折り畳み、右手(の針)をちくちくと動かす。
 何回目かで、右手を、親指とひとさし指を合わせ(針をはさんでいる)、小指を立てた状態で、つ、つっと斜めに引き上げる。
 何度目かの「つ、つ、つっ」で場内に低い歓声があがったような気がする。きっと、声をあげた人は、私と同じように虚空に針と糸とが見えたのだろう。

 意に反して、おとわさんは相手にしない。亭主は奥で寝ているというのだ。
 実際に起き出してきた常吉は、「もうお前とは道で会っても口もきかん」と突っ放す。
 実は、常吉にはいろいろ世話になっている次郎吉、慌てて、俺が間違えるのも不思議じゃないとおとわさんが認めてくれたら許してくれと、稽古屋におとわさんを連れて行く。
 そして、稽古屋の障子の穴を覗く。そこには、常吉。
「はっやいなあ〜〜」

 おとわも見てびっくり、確かに亭主がいちゃついている。ところが、一緒に家に戻ると常吉がいる。
「はっやいなあ〜〜」

 二人から様子を聞いた常吉、どうやら、そいつは狐狸妖怪の類やないかとにらんで、次郎吉と再び稽古屋に行く。
 常吉に「覗け」と命令された次郎吉、
「あほなこと言いなや。今、常やん、わいと一緒に居てるがな。そやのに、覗いたかて・・・・・はっやいなあ〜〜」場内大爆笑。

 思うに、私自身、 浄瑠璃、義太夫、歌舞伎など日本の伝統芸能の素養がないから、落語がわかりにくくなっている部分がある。

 この噺の冒頭で、稽古仲間の先輩格の男が、発表会で割り振られた役に不満で、稽古屋をやめてしまうシーンがある。そこのところがピンとこない。

 また、この噺のもとになっている『義経千本桜』狐忠信を知らないから、オチに行くまでに「?」となってしまう(オチ自体は、お静さんが「似合いますかいな」。猫が「ニヤウ(似合う)」という単純な地口落ち)。

 ところで、全然本筋には関係のない話ですが、この噺では、自分の両親の皮が張られた三味線に会うため、子猫が常吉の姿を借りてお静さんの家に上がりこんだのであった。
 ところで、常吉と師匠が「出来た」のは、猫の常吉が妖力を使って、今日、お静さんをたぶらかしてそうゆう状態になったのだろうか?

 それとも、もともと(人間の)常吉が、前から師匠と出来ていて、(猫の)常吉が今日稽古屋にあがったら、「さ、さ、いつものように・・・」と師匠が横に座り、「はい、お酒。ねえ、あれ、お願い。・・・ぬくい、お・つ・く・り」なんてねだったのだろうか?

 もし、後者なら、常やんは、次郎吉のチクリ(密告)にしごく落ち着き払って対処していたが、内心はびくびくものだったのではないだろうか。
 それと、いずれにせよ猫の身であるから、せっかく口に入れたお刺身を渡すのはつらかったろうな・・・とやくたいもないことを考えつつ、帰途についた私でした。

 


なお、本日のパンフで知ったのだが、春団治・米朝・五郎・文枝の4人は昭和22年入門の同期であるらしい。

 で、ちょっと調べたところ、春団治と文枝はいずれも昭和5年生まれの同い年。五郎は7年生まれで2歳若く、逆に米朝は大正14年というから5歳上。

 大正14年というと、私の死んだおふくろと同い年。私も米朝一門のように米朝師匠を今後「ちゃあちゃん」(お父ちゃん。実子の小米朝が幼時に米朝師匠を呼んだ名前を弟子たちが真似た)と呼び、朝な夕なにご長寿をお祈り申し上げたい

 

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