移動メニューにジャンプ

(No2) 韓国(ソウル)旅遊記 その2 臨津閣観光地

 
  
 2009年11月の末に初めて韓国ソウルに行きました。駆け足の旅行です。





 さあて、本格的なソウル近郊観光。

 昨日の朝に出発した先行組は、昼間のうちに景福宮などのソウル市内観光は済ませているが、私はこれからが観光スタート。

 我々を乗せた貸切バスは、一路Paju(坡州)へ。

 DMZ(非武装地帯)観光の玄関口である臨津閣観光地へ。なお、臨津閣とは歌で有名な臨津江(イムジン河)にある建物という意味。

 駐車場のすぐ近くに、「平和ランド」というちょっとセコい遊園地がある。

 ガイドの車さんによると、最近は韓国の子供も、安保教育・・・・だけではついてこないので、「遊園地に行こう」と誘ってここに連れてくるそうだ。

 

 
 平和の鐘。

 

 

 

 
 この「平和鐘閣」の横で団体写真を撮った。

 このチープな人形(下掲写真)は、「自由の橋」のスタート地点の両脇に立ててあった。

 

 これが自由の橋。関係ブログにいろいろ書いてあるが、朝鮮戦争後に捕虜が解放された時に「自由万歳!」と叫んで橋を渡ったので「自由の橋」と呼ばれるようになったとある。

 
 写真右下に、何か写っているが、ここには金属製のプレートがあり、2000年1月付けで「ここまで来るのに50年」と刻されている。

 

 右写真は、プレートの拡大。

 
 自由の橋の終点場所近く。

 この鉄条網で閉ざされた先には、国境があるのか・・・・・・と言うと、そうではない。

 第一、韓国と北朝鮮との間は「国境」ではない。

 あくまで「休戦ライン」でしかないのである。

 お互いが、相手の国を自己の色に染めることこそ「正義」であると考えている。

 であるから、「他国」の統治権を認めた「国境」ではない。

 

 

 で、その休戦ライン・軍事境界線(いわゆる38度線)の両脇に、北朝鮮・韓国それぞれ原則2kmの休戦エリア(北方限界線及び南方限界線。ただし、地形によって正確にどこでも2kmではない)を持っている。

 さらに、韓国では、南方限界線の手前にさらに、自国民に対する民間統制線(民通線)を定めている。

 この「自由の橋」の先は、あくまで「民通線」の限界であって、この鉄条網の先がいきなり北朝鮮になってる訳ではない。

 

 
 ただ、一般の韓国人にとってはここが自由に近づける限界ということで、左写真にあるように「南北統一」を祈念する皆様方の布が、貼り付けられている。

 

 

 
 自由の橋の右側に展示されていた機関車。

 前から見ると、耳の長い犬のような顔に見えるかもしれないが。(←見えんか)

 

 
 横から見たとこ。

 朝鮮戦争真っ只中の1950年12月31日。

 この機関車(ハン・ジュンギさん運転)は無数の銃弾を受けた。

 確かに穴だらけだ。

 機関車は、そのまま錆付いた古鉄の固まりに化していたのだが、発見されて保存処理が施され2009年6月に上掲の展示施設が完成したとのことである。

 
 機関車をさらにロングで。

 機関車の前のピンク色の道が、左下写真の、ピンク色の道につながっている。

 

 

 

 
 緑屋根のあずまやの奥の植え込みの向こうに、コンクリート造りの「橋脚」が・・・・・・4つ、5つ見えているのだが、この写真で分かるだろうか?

 この橋は朝鮮戦争で爆破されてしまったようである。

 いまでは、横に立派な鉄道橋がかかっている。

 立派な鉄橋の写真を載せているブログとしては、この辺ここで。

 
 この写真は臨江閣観光地の主要建物。

 手前のスキーのジャンプ台みたいなスロープは、(人間も見えてるし)左側の展望台につながるものと思う。

 ただ、私らは時間に追われ、近づいてもいないので詳細は分からない。

 

 

 


 
 

 どうもお疲れ様でした。

 
  

inserted by FC2 system