| 項目 |
内容 |
出典中の記載 |
備考 |
| 正月 |
前104年、中国の暦学でいう、宇宙の原初と同じ状態(甲子朔旦冬至)が到来した。
この時、司馬遷らの提議によって暦法が改正され、正月が年頭となった。 |
「前104年〜『太初暦』が作られて、それまで年頭であった十月(亥の月)に代わって、正月(寅の月)が年頭となった」(P83) |
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| 史書 |
司馬遷は、甲子朔旦冬至を迎えた前104年に『史記』の著作を開始した。 |
「中国世界の最初の歴史である『史記』〜」(P99) |
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| 元号 |
中国における最初の元号は、漢武帝が定めた。 |
「武帝は6年ごとに改元を繰り返したあげく、前110年の封禅を機会に新しい元年を元封元年(げんぽうがんねん)とした。これが元号の始まりである」(。P99) |
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| 終末論 |
中国最初の終末論は、黄巾の乱がきっかけだった。 |
「黄巾の乱は〜世界の終わりを信じる典型的な千年王国運動であった。これは終末論が中国世界に現れた初めである」。(P107) |
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| 皇帝 |
中国最初の皇帝は、秦の始皇帝であった。 |
「西北方の西戎出身の秦王国が、華北・華中の都市国家を次々に征服し、前221年に統一を完成して、秦王政(秦の始皇帝)が皇帝の称号を初めて採用した。これが中国という世界と、その中心を成す皇帝という制度の始まりであった」。(P138) |
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| 遊牧帝国 |
前二千年紀に始まる中国以前の都市国家の時代を動かしたのも中央ユーラシアから侵入した狩猟民・遊牧民だったが、中国最初の統一帝国秦に対抗して、匈奴も草原の遊牧帝国を形成した。 |
「中国に最初の統一帝国が出現するのとほとんど同時に、中央ユーラシア自体にも、最初の草原の遊牧帝国が出現した。それが匈奴である」。(P139)
「前221年の秦の始皇帝の中国統一の直後に、モンゴル高原に匈奴の最初の遊牧帝国が出現した」(P145) |
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| 中国から遊牧帝国への嫁入り、贈り物、兄弟格の交際 |
前200年、漢の高祖は冒頓単于の大軍に包囲され、単于の皇后に手厚い贈物をして、やっと脱出でき、その後、嫁入りや贈物等で和親が成立した。 |
「中国の皇女の嫁入りと、中国からの毎年の贈物と、君主同士の兄弟格の交際は、これから13世紀に至るまで、遊牧帝国と中国の和親関係の定例になる」(P142) |
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| 皇帝の不在 |
南匈奴軍は311年、洛陽を占領して晋の皇帝を捕らえ、続いて316年には長安を占領して次の皇帝を捕らえた。 |
「前221年に秦の始皇帝が初めて皇帝となってから、1911年に清の宣統帝が退位するまでの2132年間で、中国に皇帝がなかった年は、後にも先にもこの317年だけである」。(P150) |
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| 遊牧民の文字 |
682年、クトルグはモンゴル帝国に第2次トルコ帝国を建国したが、この帝国では遊牧民が初めて自分たちの言葉を書き表す文字を持った。 |
「第2次トルコ帝国が残した碑文には、ソグド文字に改良を加えたアルファベットを使って、初めてトルコ語の文章が綴られている。ここに至って、中央ユーラシアの遊牧民は、初めて自分たちの話し言葉を文字に書き留められるようにな」った。(P176) |
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| 紙幣 |
元朝のフビライ・ハーンは、盛んになった遠距離貿易の決済の便宜のために、1275年、世界最初の不換紙幣を発行した。 |
「世界最初の紙幣を発行して成功したのもモンゴル人であった」。(P241) |
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